西暦2001年1月1日(月)〜10日(水)  

記              録
 メリダからマヤのカバー、ウシュマルという遺跡を見に行った。カバーは仮面の宮殿というレリーフで囲まれたことで有名な所。ウシュマルには魔法使いのピラミッドというのが有名で、これはジャングルに浮かぶように見える姿が素晴らしい。この日も、ここの大ピラミッドに登る。(詳細ページはこちら←未完成です)
 ビヤエルモーサはオルメカ文化のラ・ベンタ博物館へ行く。ここには巨大石像がある。特に順さんの身長くらいの頭部があることで有名。そのあと、パレンケ遺跡へ行く。ここもマヤ。碑銘の神殿が有名だが、残念なことに登ることは出来なかった。その代わりに十字架の神殿群にある3つのピラミッド全てに登った。(詳細ページはこちら←未完成です)
 今日はまた飛行機で移動、オアハカに行く。市内観光ということで、ピラミッドには登らなかったが、歩いての観光となる。博物館では、明日行くモンテアルパンの出土品を見る。金やトルコ石など結構贅沢な装飾品を使っていた。(詳細ページはこちら←未完成です)
 モンテアルパンは思っていた以上に大きな遺跡だった。崩落しているところが多いが、雰囲気は充分に感じられる。踊る人の石像には残酷さと哀れを感じた。ミトラ遺跡では侵略スペイン軍の破壊のすごさを思った。ヤクール遺跡は石組みのみが残されている小さな遺跡だ。しかも、乱暴な修理をしているのでちょっと残念。夕方、飛行機でメキシコシティへ移動。(詳細ページはこちら←未完成です)
 午前中にしない見学。ソカロ周辺の遺産を見る。年間600人もの生け贄をしたというテンプルマジョールの話を聞くと、徹底して破壊しまくったスペイン軍の心情もわかるような気がする。人類学博物館では、アステカカレンダーに対面。これが生け贄のバックボーンかと思うとこのレプリカを沢山おみやげを買ってしまった自分が変。

 午後はテオティワカンへ。月のピラミッドと太陽のピラミッドへ登る。300段以上の階段を昇りきった。夕方、飛行機でモンテレイへ移動。 (詳細ページはこちら←未完成です)
 帰国へ向かう日。モンテレイからダラスへ。ダラスから日本へという道順になる。ひたすら飛行機の中の1日。

 11日間と長い日程の旅だったが、毎日好天に恵まれ、日焼けしてしまった。夏とは違って長袖なのでばれることはないが、こんな季節に日焼けなんて贅沢の極み。(詳細ページはこちら←未完成です)
 午後3寺30分には成田へ到着。家にたどり着いたのは6時。年賀状の整理をしてから寝た。

 ・・・まだ時差ボケだ。一日休みがあってよかったが、そうでもなければボーとしてしまうだろう。とりあえず書きためた日記などをMS−DOSファイルに変換して整理を始める。 
 何と朝起きたら雪が積もっている。夏から急に冬、夢から現実へ戻された感じ。休みも今日まで。といってもまだ、頭も体もぼんやりしているので、行動が鈍い。それでもやっと届いたスーツケースを開けて洗濯なぞは終わった。夕方ベッドに入ったらそのまま朝まで寝てしまった。で、夕食は食べずじまい。

 ・・・一日中起きたり寝たりで、調整を計る。成田でカウンターが暇そうな宅配業者を選択したのがいけなかったのか、成田からの荷物が午後にしか来なかったので、午前中は編集作業のみ。順さんが夕方から上記のように寝てしまったので、それで一日が終わる。
 仕事始め。昨日よく寝たせいか、結構スッキリしている。職場へ行ってもっとスッキリした。たった2週間のことなのに、子どもが飛びついてきたりして、ああいいもんだと思った。幸福感に満ちた1日だった。

 ・・・去年もそうだったけれども、新築の校舎は人気がないと寒い。実は我が家も木造だが結構部屋の温度を上げるのに苦労したが、職場はなおさらのこと。夜は久しぶりに我が家での食事。のんびり出来た。
10  仕事2日目。午後休暇をとった。今年度は休暇の数も少ないなあと思う。理由もないのに休む必要はないわけだが、ま、それだけ健康的にも安定しているということなのだろう。それにしても眠い。昨日は9時に寝て、今日はまだ6時半だというのにベッドに潜り込む。

 ・・・遊びほうけていたら、仕事の方の研究会の担当から宿題はまだかという催促を受けた。だいぶ前に資料だけは調えておいたのだが、監査などでそちらに気が行ってそのままになっていた。仕事の方もどたばたといっぱいはいってきて、のんびりムードでいる雰囲気ではないが、気持ちとは裏腹に体は言うことを聞かない。

 やはりまだ時差ボケなのだろうか、私の方も眠たい。どうも夜昼まだ少し狂っているような感じ。こういうこともだんだん年齢を重ねると直りにくくなるのだろうか?