西暦2000年12月21日(木)〜31日(日)  

記              録
21  冬至。なのに気温は14度もあり、暑いくらいの1日だった。まさに地球温暖化そのものだ。暖かいのは助かるが、やはりまずいのだろうなあ。

 授業は明日で終わり。長かったような終わってみればアッという間のような。

 ・・・今日は午前午後を通じ忙しかった。こういう日もある。まぁのんびりとしていたが、人並みに師走状態になってきたということか。
22  本日は忘年会。東京湾クルーズというと聞こえはいいが、結局は屋形船の飲み会と言うところ。6時半から2時間半も船の上。解散場所の新宿へ戻ってきたのは10時になっていた。疲れた。2次会に行かずまっすぐに帰宅。

 ・・・ここのところ、私の仕事は完全に停まっている。人の仕事というか、むやみやたらと人の出入りが多く。その対応に追われている。特にコンピュータが動かない!という相談というか、手助けというか、それが多い。今日もその類で疲れた。7時になったので帰宅。あんまり疲れていたのだろうか、財布を職場に忘れてきた。
23  仕事が終わるというのはこんなにも身も心も楽になるものかと思うくらい今日は気分が良かった。昨日の疲れなぞ、どこかへ行ってしまったようだ。で、新宿まで自転車で買い物ツアー。一旦帰宅してからまた秋葉原へ買い物。しかし久しぶりの人の波は、それだけで疲れさせた。

・・・朝起きてからまずコンピュータに向かった。そのあと自転車で職場へ。幸い財布は無事に見つかって、その後職場近くで朝ご飯。そのままヨドカメでアルバムの台紙などを買って、帰宅したのが12時過ぎ。2時少し前に家を出て、我が家の土地の件で不動産屋に行き、その足で今度は秋葉原に。買い物があったから。帰りに少し飲んで帰宅。結構走り回った。それでも順さんは元気だ。深夜まで起きていた。
24  昨日の疲れか、何となくダラッとしてしまうことの多い日だった。それでも、色々と準備をしなければならないので、義務感だけで動いていた。

 夕方からは、前の職場の関係で施設のクリスマス会へ行った。ほぼ1年ぶりにあった子どもたちは元気だった。親が無くても子は育つと言うが、色々な人と本人のそれなりの頑張りの成果だろう。こんな子達を見ると、親がいながら満足に生きられない子どもはいったい何なのだと思ってしまう。子どもが悪いのは親のせいなのだ。

 ・・・朝起きたら7時近かった。それから少し調べものをして、その後に順さんが仕事を始めたので、こちらは年賀状の印刷に取りかかった。裏面は出来ているので、喪中の葉書が来た人を除いて表書きをすればよい。それでも250枚近くになるので、結構時間をとった。1時近くになって、食事に行ったが、食べたフライの尾鰭が喉に引っかかってしまって、どうも今も具合が良くない。困った。
25  終業式。一区切り。子供を帰してから、念願の(?)ワックス塗り。机を何度も動かしながら3度塗りを敢行。その合間に資料室の整理をしたので結構時間いっぱいまで立ち仕事で疲れた。

 夜は、今度の旅行に一緒に行く友人と最終打ち合わせをかねての忘年会。明日定期検診があるので、酒量は控えめ。

 ・・・何となく終わった2学期だった。感激もなく終わった。この状況はまずいと思うのだけれども。机の上を形式的に、つまりは書類の山を動かしただけの、片づけをした。夜は遅くはならなかったものの、かなり飲んだ。
26  年末だから混んでいるだろうという則の予想通り、4時間の待ち。で、診察時間はさっさと終わり。でも仕方ないよなあ。それだけ多くの人が救われたのだもの。そりゃあ人数制限をすれば、もっと短い待ち時間ですむかもしれないけれど、それは早く先生に看て欲しいと思っている人に診察を引き延ばさせることになるのだもの。誰だって異常を感じたら早く見て欲しいと願うだろう。自分はもうすんだからさっさとなんて不満を言うのは自分勝手だと思う。そう思うが、長い待ち時間で疲れた。

 診察の結果は「よいよい」とのこと。薬は3年を経過した時点で終わりそうな??

 ・・・帰宅したのは9時少し前。それから旅の栞の印刷をはじめた。これが今回は大部であるとともに、3冊作らなければならないので、時間がえらくかかる。順さんは最初の意気込みは何処へやら、好きなテレビを見終わるとさっさと寝てしまった。今日中に仕上げたいので、なんとか頑張るも、終わったのは午前2時だ。
27  1日職場で仕事。はかどったはかどった。要録や机の整理、3学期の準備などお茶の時間も惜しんで仕事に励んだ。その後久しぶりに美容院へ行った。病気をしたときに髪を切ってから初めてのことだ。下を切りそろえて、ついでに染めた。締めて11500円也。高いものだ。2時間もかかった。

 ・・・順さんの髪の毛を染めるのは、彼女が病気をして白いものがハッキリとし始めた頃から、私の仕事になっていた。しかしそこは素人の悲しさで、やはり専門家には勝てない。正月を迎えることだし、たまにはきちんと染めるのも悪くはないだろう。
28  午後、メキシコへ向かうために成田へ行く。混んでいるかとの予想は外れ、ガラガラの状態だった。受付もさっと出来て、今年は海外へ行く人は多いと聞いていたのに、みんなもう行ってしまったのかなあ。これから長い旅が始まる。が、日付変更線を通るので、着くのも今日だ。(詳細ページはこちら←未完成です) 
29  早速遺跡巡りが始まる。クエルナバカでは、近くのポポカテペトル山が噴火してちょっと気にしていたが、雪が積もったきれいな姿を見せてくれて一安心。ソチカルコというマヤの遺跡では、レリーフがきれいに残されていて感動した。(詳細ページはこちら←未完成です) 
30  朝一番の飛行機でカンクンへ移動。シェルハーというリゾート地で一休みをした後、トゥルム遺跡へ行く。断崖に建つ遺跡ということで空と海に挟まれて歴史的価値よりも風光明媚なところとして人気があるらしい。今日の泊まりはかのカンクン、シェラトンホテル。(詳細ページはこちら←未完成です)
31  一番の楽しみチチェンイッツア。マヤ最大といわれる遺跡だが、確かにカスティーリョは大きかった。ギャーギャー騒ぎながら、ようやくのことでてっぺんまで登った。この後、足が痛くなって参った。が、周りが全て見渡せるので、景観が素晴らしく、登っただけのことはある。(詳細ページはこちら←未完成です)