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2000年12月28日(木) 旅立ち

・・・暫定版で写真掲載の際に大きく変更される可能性があります

 【同行3人】今回の旅は同行3人。順さんの友人のM女史との3人だ。彼女は昨春退職し現在は悠々自適の身。そして写真を趣味にしている。だから今回我々は三脚が要らなかった。今回我々二人のツーショットは例外なく彼女の手による。そのことを最初に付け加えておきたい。

 【最初は日本人の多い町シアトルへ】さて今回の旅は目的地までに異常な迂回ルートをとる。なぜそうなったかは知る由もないが、メキシコまでの道のりは、一旦太平洋側の日本からは比較的近いシアトルまで飛び、そこから更にメキシコに近いダラスまで飛んで、更にそこからメキシコシティーに入る。格安旅行の成せるところなのだろうか。
 ともかくも我々はAA26便の機上の人となったのは午後7時を少し回っていた。2時間後には食事も終わって太平洋(ベーリング海?)の上。少し寝なければいけないと思うのだけれども、なかなか寝つかれない。それでも飲んだワインの力もあって少しうとうとしているとやがて日付変更線の近くまできた。
 この飛行機、2−5−2の少し座席幅の広い構成で、各シートにはTVも付いている。最初この操作にとまどったが、なれればどうしてどうして快適だ。リモコンもあるが、タッチパネル式にもなっているなかなかの優れもの。こうした機器はエコノミーしか乗ったことのない我々には目新しいものだ。太平洋線を乗る場合にはAAにしたいと思った。ちなみにこれは帰路の機内で気がついたのだが、頭の収まる部分も角度を変えられるばかりでなく、頭を支える部分が左右に曲がるので、頭のホールド感も快適だ。
 到着1時間あまり前に軽い食事がでる。順さんはけっこう食べるが、則はあまり食が進まない。飛行機は定刻通りにシアトル空港に到着した。シアトル空港に着いてみると、日本語の標記があるばかりか、日本人(日本語をほぼネイティブのように話す人たち?)が実に多い。アメリカの入国カードはやや厄介なところがあるのだけれども、入国審査でのトラブルにもそうした人たちが立ち会って解決していく。国内線のAAの発着するターミナルにはバスで移動したが、その誘導も日本語でしてもらえた。移動したターミナルでも、働いている人同士が日本語で会話している。 

 【ダラスへの移動】さて乗り継ぎの便はAA836で、C11から出た。現地時間定刻11時41分と刻んだ時間であったが、少し遅れて搭乗となり、機体は13時9分にビルを離れたものの出発便が多くて待たされて離陸したのは13時27分であった。さすがに待っている間眠たくて、二人ともうつらうつらしてしまった。
 この飛行機は2−3配列の飛行機で、我々はエコノミーの最前列、2人席だった(7AB)。日本時間ではそろそろ朝の時間で、ファーストクラスと接した座席なので、食事の匂いが伝わってきて腹を刺激した。およそ一昼夜経っているのでそろそろ髭が伸びてきて困ったなぁと思っている頃、エコノミーの食事も無事に来た。食べ終わったら後はひたすら寝るだけだ。ダラス時間で18時になろうとするころ、外は夕闇が迫ってきた。さらにうとうとしてふと外を見ると光の洪水だった。ダラスの町の上空を通過しているらしい。結局定刻を20分送れただけで18時45分にダラス空港到着。
 ダラス空港も大きい。trAAinという、AAをもじった2両連結のバスがターミナル間を巡回している。降り立ったところはB2で搭乗はA29なので、これで移動。A29についてもまだ搭乗時間迄3時間もある。ウインドウショッピングも直ぐに疲れて、適当な椅子を見つけて座り込む。順さんは直ぐに寝始める。

 【メキシコシティーへ日付が変わって到着】今日最後の飛行機になるAA1111便メキシコシティー行きはほぼ定刻通りのフライトで、東京よりも人口が多い大都会に午前1時に着いた。パスポートコントロールと税関を抜けて迎えのバスにのれたのは2時過ぎ。ホテルにはおよそ30分で着いた。それからがまた一騒ぎ。部屋に入れないのだ。よくあるカード式のキーなのだが、磁気記録とのマッチングが悪く、マスターだと開くのだが、結局すったもんだして明日には直すとか言っていたが、結局新しいものを作成してもらって事なきを得る(でもこのカギもあまり調子よくいくわけではなかった)。部屋は豪華だ。しかしお湯がでない。3時30分まで粘ったが結局あきらめて寝ることにした。しかしいざ寝ようとすると、からだが興奮していて貴重なわずか数時間の貴重な睡眠時間をとることが叶わない。

 【ホテル】クリスタル・ゾナ906号室

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