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2001年1月5日(金) テオティワカン

・・・暫定版で写真掲載の際に大きく変更される可能性があります

 【最終日のはじめはメキシコシティー市内観光】 さていよいよ観光の最終日、8時5分にホテル発。最初に独立の塔。ここは下車して観光した。そして車窓からアステカ最後の統治者クアウテモックの像を見た。この像の台座にはスペインが彼に科した拷問の状況が描かれている。それからコロンブスの像や国立芸術学院や青いタイルの家(支倉常長が滞在した家)などを車窓見学した。青いタイルのようなかなり古い建物が残っているのには興味を持った。
 8時26分にソカロ着。いやぁさすがメキシコシティーのソカロだけに巨大だ。スクエアという表現のほうがよいかもしれない。その一辺に建つのが大聖堂とサゴラリオ礼拝堂。後者はそうとう傾いており、だいぶ前から一般公開はされていない。大聖堂の中は荘厳だ。ちょうど礼拝が行われており、静かに見学をした後外へ出た。この大聖堂自体も傾いている。スペイン人がアステカのピラミッド群を破壊しその上にそれらの石を使いこうした建物を建てたからだ。メキシコシティーにおけるアステカの都市は巨大な湖の岸近くの大きな島の中に建設されており地盤そのものも軟弱な部分があり、その複合がこうした傾斜を生んでいる。更に近年の地下鉄建設がそれに拍車をかけた。

 【テンプルマジョールの跡とアステカ建国神話】その地下鉄工事のさなかに偶然発見されたのがテンプルマジョールの破壊跡だ。有名な太陽の暦もここで発見されたもの。サゴラリオ礼拝堂の右隣にあり、そのそばには全体の復元ジオラマ(アステカ都の模型)もある。テンプルマジョールの跡(アステカ族の神殿、最も生贄の多かったところ)は現在も雑然とした感じ。ここでは二つの宮殿(昼と夜だったように思う)それぞれに365日毎日生贄がささげられていたという。解説では、すでに生贄をささげる必要性がないことを為政者達は認識していたが、人口調節の役割もあったのではないかということだが、恐ろしいことだ。また、この頃になると生け贄を嫌って逃げ出す者も現れたという。抉り取られ心臓をささげられる人は勇者である必要があったいうことで、特に顔の部分は美味で肉体はまずその部分が為政者達によって食べられたということだ。そのほかの肉体は市場で売られたともいう。我々の感覚では理解し難いものだが、こうした姿を目の前にしたスペイン人が、驚愕したのは想像に難くない。生麦事件で切腹の場面を、気持ち悪くなってイギリス人たちは退席したという話があるが、破壊の限りを尽くしたスペイン人にも少しは分があるような気もしないではない。
 ここで予定では国立宮殿の見学になるのだが、国会議員の新年会のため見学不可。いくらソカロでかつまだ休みが続いている人もいる新年だとはいえ、おびただしい警官の姿があったのはうなづける。仕方なくアステカ建国神話、つまり蛇をくわえた鷲がサボテンの木にとまったところに新しい都を建設せよとするお告げの地である、現在のメキシコシティーの、その故事を伝えるモニュメントを見学し、9時15分にソカロ見学を終える。

 【駆け足で見た国立人類学博物館】午前中のハイライトでもあり、我々も結構期待していた人類学博物館(http://sunsite.dcaa.unam.mx/antropol/)に9時35分到着。広大な公園の中に建てられた建物はとても近代的なものだ。テオティワカンの部屋(飾りや石像など宗教に関するものが多い。ケッツアルコアトルの神殿の壁のレプリカなど)。アステカの部屋(アステカカレンダー)。オアハカの部屋(モンテ・アルパン104号墓、ミトラの古文書)等等を駆け足で見学。アステカカレンダーは巨大であった。博物館の売店でまた少し買い物をして、11時に出発。

 【グアダルーペの奇跡】11時30分にグアダルーペ寺院に着く。カトリック公認の3大奇跡のひとつで、おそらくは改宗のための手段だったろう、黒いマリア像が表れたマントの置かれてある寺院だ。自分たちの肌の色と同じ対象ができたということで、急速にキリスト教への改宗が進んだといういわく付きのそれは、祭壇の上部に飾られ、その下を動く歩道で通過するというもの。実はこの寺院は3代目で、現在のそれより少し高台にあるのが初代で、脇に建てられているのが2代目だ。押し寄せる信者の規模に応じて拡大したもので、2万人は収容できるというものだ。それにしてもカトリック、すさまじい勢いだ。我々はここで3大奇跡の地に足を踏み入れたことになる。
 グアダルーペ寺院を11時50分に出て、昼食をはさんで最後にして最大の見学地テオティワカンへ向かう。途中、勝手に造った違法な山まで続く家の群れ、あるいは新興住宅地、そしてスペイン人も使ったという水道橋の跡などを車窓より眺めつつ、バスはは走った。
 12時40分に昼食。「GAAN TEOCAL」にて。ビュッフェ、コーヒー。ここでうちわサボテンの葉のあえ物を食べる。たいした感想はない。1時30分発。

 【テオティワカン・・・旅のラストを飾る月の神殿&太陽の神殿登坂】1時35分、テオティワカン着。とうとう来た。最初に北の端に陣取り、全体を見る。月のピラミッド(一番重要なピラミッド)、太陽のピラミッド(最初に造られたピラミッド)がはるかかなたに見える。巨大だ。これらを結んで延びる道は相当数の人骨が発見されたことから、死者の道と名付けられている。この死者の道は一方の端は月のピラミッドだが、かつてはそこから現在のメキシコシティーのほうまでつながっていたということだ。死者の道を渡り、ケッツァルコアトルの宮殿を見る。一面にかつては彫刻がされていた宮殿で、現在も一つの壁面に(おそらくは集められてであろう)そのいくつかが保存されている。
 さて我々はそこから一旦バスで月のピラミッドへ向かう。神官の住居群の見学も気がそぞろで、2時30分まず月のピラミッドに登はんを開始する。だいたい8分で順さんともども登る。すでにチチェンイッツァを経験している我々にとっては、その3倍ほどある階段も、途中に何回か踊り場があるせいで、そう恐怖を感じることもなかった。しかし集合時間は3時30分だから先を急がなければならない。月のピラミッドを降りて、太陽のピラミッドへ向かう。高さこそ及ばないもののすそ野の広さではクフ王のピラミッドをしのぐ。ここで我々は全体のスケールの巨大さから月のピラミッドから太陽のピラミッドまでの距離を見誤っていた。結構遠いのだ。太陽の神殿は右側から登り左側に降りるという一方通行。高地である点もあるだろう、同行の元気な人々の登はんスピードもここにきてかなり落ちている。まだみんなが頂上で休んでいる間に我々も到着する。景色としてはここのほうが素晴らしい。建っている場所の高さの分があるので、高さは、やや低い月のピラミッドと同じくらいだが、周りにさえぎるものがない太陽の神殿のほうが眺望は優れている。しばしの休憩のあと降りる。かなりがんばって時間通りジャスト3時30分に集合場所であるバスの駐車場に到着。トイレ休憩ののち、3時45分に出てバスで空港へ向かう。

 【帰国のための移動・・・】思ったよりも早く、4時45分に空港着。直ぐにレストラン「WINGS」にて夕食。コンソメスープ、ビーフカツ(日本で食べる紙カツのようなもの)、プリン、コーヒー。
 7時40分にMX19便搭乗。実はここで信じられないはめに我々は遭う。搭乗の合図があって、ややしてから搭乗したのだが機内には誰もいない。2度もアテンダントに間違っていないか半券を出して聞いてしまった。降りようかどうしようかと思っているところにあとの人々がようやく遅れてやってくる。聞けば、話に夢中になっていたとかで、地上係員の呼び出しでようやく時間間際に乗り込んだとのこと。ともかくも信じられないこと続きの今回の添乗員だ。8時に離陸。9時6分着陸。少しもたついて9時45分にバス、10時30分ホテル着。帰路のバゲージを作った上で就寝。

 【ホテル】 フェイスタ・イン 610号室

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