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2001年1月4日(木) モンテアルパン・ミトラ・ヤグール

・・・暫定版で写真掲載の際に大きく変更される可能性があります

 【モンテ・アルパン】8時5分にホテルを出て、8時35分にはモンテ・アルパン着。まだ朝早いので、個人の観光客とフランスの団体以外にはいない。もっともガイドさんの説明では、日本人とフランス人以外はモンテアルバンまで足を伸ばす人は少ないそうだ。敷地内にはカサワテ(白い木の花)やジャカランタ(紫色の木の花)が咲いていた。
 遺跡の広さは結構広大で、その中で住居跡や、球技場、宮殿などを最初に見学する。
 球技場はボクシングスタイルのそれ。したがってボールを穴に入れる石の輪はない。宮殿は幅が60メートルくらいあるもの。ここの建物の特徴は建物の前に台のようなものがあることだ。これは明日のティオティワカンでも同様だが、そこを登って一旦下ることによって目的の建物に到達する。これによってメインの建物を遠くに見せる効果があるように感じた。次に天文台。天文台は上から見ると矢印のような形をした建物で、その上部に天体観測のための建物があったとのこと。チチェンイッツァのような発達した天文学ではなかったらしいが、天体の運行を観測していたようだ。その矢印の形は、天文台を通り過ぎ、南のピラミッドに登ると良く判る(また登ったのだ)。
 この遺跡は金とかひすいの副葬品でとくに有名でそれはこのあと博物館で対面した。さてその副葬品とともにこの遺跡を有名にしている踊る人の石像群の宮殿を次に見る。踊る人というのは俗称で、実際は捕虜の辱めの図らしい。当時の人たちは人前で裸にさせられるのが最大の恥辱だったようで(今だってそれは大差ないようにも思うが)、さらに男性のシンボルを切られてしまっているようなものもあるようだ。捕虜をこういう形で記録しておくことで、自分たちの強さを誇示する意味もあったのだろう。笑っているように見えるそれらの表情は、哀れでしかない。捕虜はこの後生け贄にされたということだ。
 最後に次に北のピラミッドを通って、人類博物館にその模型や副葬品が飾られている104号墓を遠望しながら博物館へ。時間は10時。おびただしい副葬品の類が展示されていた。様々な道具や香を焚くものなどもあった。そこで順さんの許しを得た則がCDーROMを買って、10時40分に出発。

 【トゥーレの大樹】11時25分にトゥーレの大樹に着く。ここには樹齢数千年という大樹がある。昨今の排気ガスなどが災いして、木の力が弱ってきており、いつまで持つかといった状態だそうだ。ここには子どものガイドがいる。彼らは近くの小学校の生徒で、休み時間などを利用してこの木のガイドをして小遣い稼ぎをいると言う。ガイドといっても、そこは子どもだから、内容はかわいい。大樹の樹皮などの部分を様々な形になぞらえてリスだとかウサギだとか、説明するのだ。先輩から後輩へと受け継がれているものらしい。11時50分にそこを出る。
 12時15分 レストラン「PATIO」にて昼食。前菜(バッタ、チーズのトルティージャ包み)、とり肉の蒸し焼き、トルティージャのカラメルかけ、コーヒー(カモミール・黒砂糖・コーヒーの粉を煮込んだやや甘めのコーヒー)。1時35分発。

 【ミトラの遺跡】2時5分にミトラ着。ここはモンテ・アルパンの外郭都市としての性格を持つと言う。。最後の観光のときに訪れるメキシコシティーのソカロにたつ大聖堂もうそうだが、最初に目に入ってくるサンパプロ教会はそこにあった遺跡を壊し、その石を持って造った教会だ。悲しいことだ。教会の脇に残存する神官の住居跡とされるところからは多くの人骨が埋葬されているのがみつかり、それゆえに死者の都と言われる。ここの特徴は壁に飾られた幾何学模様。いくつもの種類があり、人間はこの模様のように規則正しく生きなければならないと言うことを諭しているものと言う。
 ここには南北二つの神殿があり、最初に北の神殿を見る。北の神殿は四方に建物があり、メインとなる建物にはあざやかな朱に近い赤が残っており、ミトラ遺跡の代表として常に語られるもの。建物を登ると円柱の間がある。太い6本の柱があり、そこにあった屋根などを支えていたようだ。奥のほうにも他の3つの建物とは違い部屋があり、木の天井も残っている。次に南の神殿と呼ばれるほうに行く。ここにもやはり四方に建物があるが、メインの建物と他の造りに大きな違いはない。ここには地下に十字架形の墓がある。十字架のイエスが足に釘を打たれた長い部分が丁度墓に到る道だと思えばよい。三室ある構造だ。それぞれに埋葬されていたそばには副葬品もあったそうだが、その多くは盗掘されていると言う。南の神殿の中庭には(公開されているものという意味だが)二つのこうした穴があり、腰をかがませながらではあるが見学ができる。メインの建物の下に延びた一方の墓の真ん中には円柱がある。それは命の柱と言うような感じのもので、それに腕を巻き付けて届いてしまうと命がなくなるということだ。現地のガイドさんは実際ドイツ人がそうして、次の日に死んだと真顔で言っていた。3時25分に出発。

 【ヤクール遺跡】3時50分にヤクール遺跡に到着。道路から遺跡の取り付け道路に曲がるところにある岩山に紀元前****年頃の絵画が見つかっているが、遠目であることと保存状態がよくないためあまり定かではなく、白い線画のようなものが何となく分かる程度であった。
 さてヤクール遺跡は1960年代と比較的最近になって発見された遺跡だ。また規模も今回見た遺跡の中では一番小さい(未だ発掘が途中なのだろう)ものだった。最初に宮殿後のようなところを見る。中央の庭には墓の穴が二つほど開いていた。また何か動物の石像のようなものがあったが時間が無くて詳しい説明はきけなかった。次にこの年代のものとしては比較的大きな球技場を見る。ここはボクシングタイプの球技場なので、例の輪っかは無く、球技場の壁面も垂直ではなく45度くらいの傾斜のついたタイプ。ここのメインは6つの庭のある神殿。壁面の比較的下のほうが残っているのにすぎないが、修理し過ぎというか荒っぽい修理で趣が損なわれている。ここはメキシコ人がメインで修理を行った場所だということで、諸外国の発掘チームとの対抗上したためにちんけなものになったんだという、説明だった。それぞれの庭にはそれぞれに墓があるようだ。遺跡に登っていたら、しつこく付いてきた遺跡の管理人に怒られた。この管理人、ビデオを使わないかどうかを監視しているようだった。ここは軍事的意味合いを持つ遺跡だとのことで、主に会議のようなものに使われ建物が多いと言うことだった。4時20分発

 【メキシコシティーへ】さて我々はここからメキシコシティーへ戻らなければならない。それで時間が押していたのだ。空港まではまた高速などを使い1時間後の5時20分に到着。ここで早めの夕食をとり搭乗時間を待った。夕食は、空港内レストランにて。クラブハウスサンド、フルーツ、ドリンク、コーヒー。ドリンクは沢山の中から自由に選べる物だったので、聞いたことの無いようなハマイカ・グアナバナ・サトウキビの3種を頼んだのだが、出てきたのは何故か、パイナップル・オレンジ・ハマイカだった。
 それからメキシカーナMX224便は7時50分に離陸し、8時36分にメキシコシティー空港に着いた。着陸してから降機まで時間がかかり、ホテルへのバスが発車したのは9時30分であった。ようやく10時にホテル着。疲れもピークに達してきているので、早く寝たいと思って一番に部屋へ。

 【ホテルでトラブル・・・でも添乗員は何もしてくれない!】さて、ここのホテルは第1泊目と2泊目に利用したホテル。ホテルのカギが電子式になっていて、磁器を読み取るタイプ。前回泊まったときにこのカギの調子がすこぶる悪かった。今回も案の定開かない。この前会得した方法でもだめだ。そうこうしているうちにバゲージが到着して、ボーイにお願いしてもだめで、今度はマスターでも空かない。そうこうしているうちに添乗員がやってきたが、この人だめな人で、何ともする訳でもない。仕方ないので則は現地添乗員に部屋を変えてもらうためにロビーに行く。そのうち添乗員はその場に座り込んでしまったので、順もあきらめの境地で、ここはもういいと言った。何のために居るのか分からない添乗員だ。

 【ホテル】クリスタル・ゾナ 308号室→1009号室

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