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2001年 8月31日(金) とうとうおしまい |
とうとう休みも今日まで。もう体調がどうのこうのと言ってはいられないので、起き出して仕事をする。何とか終了。明日からはまた忙しい生活に戻る。でも、その方がいいのかも知れない。グダグダしているから風邪なんぞをひく。
・・・まだ風邪は続いている。今日は歯医者へ行って、仮の入れ歯を入れた。入れ歯安定剤もついでに薬屋で買ってきた。使い勝手はまだあまりよくはない。明日から9月だ。
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2001年 8月30日(木) 何とかしたいのだが・・・ |
何とか仕事をしなければと言う気はあるのだが、体と頭が休養状態で、いかんともしがたい。明日もあるから、とにかく今日は直すことに専念しようと、また1日寝ている。早くスッキリしたい。
・・・とうとう風邪が本格化してきたので、夜近所の医者に行く。マァ単なる風邪でしょうと言うことで、薬を処方してもらい薬局で薬をもらい帰宅。老老介護ならぬ、病病介護になってしまった。
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2001年 8月29日(水) のこりは2日 |
後2日というのに体調が戻らず、殆ど1日寝ていた。クーラーが悪いというので、窓を開け放して扇風機の中で過ごす。それでもそんなに苦しいほど暑くはならず、時折秋っぽい風を感じるようになった。仕事の準備と思ったが、体調が未だ回復せず、結局は何もしなかった。
・・・どうも順さんの体調を引き継いだようで、体調が思わしくない。何もしないで寝てしまった。
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2001年 8月28日(火)   大雨で |
どうも天候が不安定だ。今日も夕方から大雨。とにかく警報が出るくらいの大荒れの雨が、降り続く。おかげで阿波踊りは中止。1年間練習を積み重ねてきていたのに、可哀想に。体調はまだ回復せず。
・・・ここのところというか、我々が日本へもどってきてから東京はすっきりした日がないように思う。7月にあれだけ暑い日が続いたのに、このまま秋になるのだろうか。
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2001年 8月27日(月)   阿波踊り |
東京名物阿波踊りとやらを見に行く。どうにかお天気は持ちそうかな、と思ったが、最近夕方から明け方まで続いている雨が、やはりぽつんぽつんと落ちてきたので、そうそうに帰る。体調は戻らず。
・・・マァまた月曜日で、今日も自転車で行く。というのは今日から二日間は地元の待ちで阿波踊り騒ぎがあり、帰宅時に混雑するのを避けたいため。といいながら、順さんのお供で、子供の写真を取りに行く羽目になった。丁度メイン会場だったので、石原大臣なども来ていてにぎやかだった。順さんの風邪は今ひとつ。
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2001年 8月26日(日)   今日もダウン |
昨日の薬が効いてきたのか、いくらかはよくなっているようだが、まだダメ。起きる気にもならす、1日中寝ていた。それも殆ど眠っているのだから驚き。我ながらよくもまあこんなによく寝ると思うくらい寝た。夕方やっとパソコンに向かう気力が出た。
・・・順さんに付き合っていたら、こちらまでのどが痛くなってきた。閉め切った部屋にいたのがよくないのだろうか。ともかくこの土日は調整日に練ってしまったことは確かだ。
たまっていた日記の整理をする。まだ、写真が完全に出来上がってこないから文字だらけのバージョンだがともかく旅行記の方も完成させる。
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2001年 8月25日(土) ダウン |
写真ができたので、まずは木曽駒に登ったときの分を整理した。後で考えればこの頃から具合が悪かったのだが、早く仕上げなければという意識が続行させる原因となって悪化してしまったようだ。6時には布団にはいって、結局は夕食もとらなかった。則の買ってきてくれたプリンがおいしかった。
・・・順さんはとうとう夕方ダウンしてしまった。鼻水が止まらないというので、医者の薬を無視して、駅前の薬局で買ってきた売薬を飲ませた。それが少し効いたようで、熱も少し和らぎ、鼻水も収まる傾向になってきた。
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2001年 8月24日(金) 疲れたー |
1日ボーっとしていた。せっかく則が旅行記を本体に移してくれたのに、見る気にもならず、寝ていた。それでも、午前中急いで写真を出しに行くと、明日にはできるというので待ち遠しい。昨日関空で頼んだスーツケースも10時半には届いた。全く便利なシステムができているものだ。それから、あまりにも体がだるいので仕方なく午後、医者に行く。
・・・久しぶりに職場へ行くが、そう変わったことはない。歯医者に行く予定が遅かったので、少しいつもより遅くまでいたら、結果的に最終下校者になってしまった。歯医者の後夕立模様になったのでいったん帰宅。収まってから夕食。どうも順さんは風邪を引いたようで、心配な様子。やはり疲れが出たのであろうか、珍しく人から促されないのに医者に言ったようだ。
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2001年 8月23日(木) ショトン祭スペシャル(8) |
帰国の日です。広州→関空→羽田と戻ってきました。久しぶりに見る日本は、台風一過の暑い日でした。詳細は「たびたびの旅」の該当ページをご覧下さい。
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2001年 8月22日(水)   ショトン祭スペシャル(7) |
いよいよチベットにお別れです。あっという間に過ぎた日々でしたが、印象深いことばかりでした。途中成都で四川料理を味わいながら、食の都広州での晩餐は最高でした。詳細は「たびたびの旅」の該当ページをご覧下さい。
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2001年 8月21日(火) ショトン祭スペシャル(6) |
世界一高いところにある湖と言われるヤムドク湖へ行きました。途中の峠では、標高4750メートルという高さを経験しました。幸い高山病に至らず、神秘の湖、ヤムドク湖のトルコ位置のような青さと形容される美しさを堪能することが出来ました。詳細は「たびたびの旅」の該当ページをご覧下さい。
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2001年 8月20日(月) ショトン祭スペシャル(5) |
この日はショトン祭のもう一つの楽しみであるチベットオペラを午後見ました。内容は定かではありませんでしたが、笑えるところは私たちにも分りました。午前中は世界遺産の「ポタラ宮」を見学しました。詳細は「たびたびの旅」の該当ページをご覧下さい。
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2001年 8月19日(日) ショトン祭スペシャル(4) |
いよいよこの日はショトン祭の初日、デブン寺などで大タンカ(仏画)の開帳の日です。朝3時過ぎには起きて、6時過ぎには山へ向かって歩き始めました。この日はセラ寺の大タンカも開帳されており、それも見ました。jyかんじの内部も見学しました。最後はエレベーターに閉じこめられるという事件も!長い一日でした。詳細は「たびたびの旅」の該当ページをご覧下さい。
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2001年 8月18日(土)   ショトン祭スペシャル(3) |
この日はいよいよラサ入りです。ツェタンから途中サムイエ寺という、立体曼陀羅で有名なお寺をフェリーでわたって見学したのち、いよいよラサ入りをしました。高山病の恐怖と戦いながら。詳細は「たびたびの旅」の該当ページをご覧下さい。
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2001年 8月17日(金)   ショトン祭スペシャル(2) |
この日はいよいよチベット入りです。成都からラサ空港(高度およそ3400メートル)まで行き、そこからツェタンという少し低い町まで行きました。詳細は「たびたびの旅」の該当ページをご覧下さい。
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2001年 8月16日(木) ショトン祭スペシャル(1) |
この日は羽田→関空→広州→成都と飛びました。詳細は「たびたびの旅」の該当ページをご覧下さい。
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2001年 8月15日(水) 出勤日 |
久しぶりの出勤日。教室のメダカの赤ちゃんが7ミリくらいに成長していた。3日に見たときには、まだ糸トンボみたいに細くて頼りなかったのに、今日はしっかりした体になっていた。子どもの成長は、人に限らず早いものだ。
・・・今日は、あまりだらだらしているのはいけないと思い、少し倉庫の整理などをした。かなり汗だくになった。さて、明日から出かけるというのに、左足の親指が痛い。どうなることやら。
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2001年 8月14日(火) 準備万端 |
準備万端・・・当然あさってからの旅行のこと。もうすっかり頭はそちらへ行っている。ただ、クーラーの中に入りっぱなしなので、外気温との差の大きさに体の方が着いていかないみたいでだるい。体調を整えておかねばならないのに。
・・・今日はややだらだらとした生活をしてしまった。この時期の最大の仕事も昨日こなしたから、もう頭はどうも旅行モードのようだ。夕方、明日から1週間は飲めないので、ワインを2本飲む。
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2001年 8月13日(月) 残暑見舞い |
則はまだ足が痛い痛いとのたうち回っているが、不思議と私は何ともない。今日あたりどうかと思っていたのに。若いのか強いのかどっちだろう。結構山向きの体だったりして。
だいぶ涼しくなってきたが、子ども向けの残暑見舞いを書いた。3月までの予定表もできた。なんか思いっきり本来の仕事をしてしまった。
・・・朝早く行って仕事をする。自転車で行ったが、道路もこの時期すいていてすいすいといけた。ところで、どうもまだ足が痛い。仕方がない。
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2001年 8月12日(日)   雨の日曜日 |
則は足が痛いといって騒いでいたが、私は何ともない。明日出るのかな?元気薬も飲まなかった。それでも、夕方近くになるとやや疲れが出てきた。この疲れを旅行本番までには解消しておかなければ。
・・・今日は晴れるという天気予報は言っていたはず・・・だったのだが、午前中は雨で出鼻をくじかれた感じ。その上、昨日の登山で足が痛い。旅行の準備を始めた。今回は荷物を分散させると言うことで、かなり余裕のあるパッキングになった。
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2001年 8月11日(土)   木曽駒ヶ岳へ |
朝早起きして5時のバスに乗る。さすがに一番乗りだった。それでも上には既に人が並んでいて、ロープウェイは3台目となった、雨が心配されたが、上に着くと雲の切れ間に宝剣岳や駒ヶ岳の頂上がよく見えたので、きつい岩場も頑張って登ることができた。登った甲斐があって、頂上では木曽御岳も見えた。
下りは少し余裕ができて周りを見ながら下りてきたが、なんてきれい、と何度も叫ぶほど一面高山植物が咲いていて素晴らしかった。高地体験のつもりでいったところだが、そんな事ではなくこれが本命だったように最高の時に行けたようだ。いやあ、感嘆!!
・・・順さんは高山植物の花が好きだ。そして今日は結構がんばって山を登った。さすがに八丁坂のところはあえぎあえぎで直ぐに差が出来てしまったが、それ以外の所はかなり地図にあるコースタイムに近い時間で歩いた。もちろん私も、必死だったことは言うまでもない。
木曽駒ヶ岳に登ったのは、3000メートルに近い高度を体験したかったからで、登山が目的ではない。さすがに木曽駒ヶ岳について時間がたっぷりあったこともあって、頂上で寝てしまった。しかし360度の眺望は気持ちよかった。下山のタイミングも絶妙で、花を撮りながら下りてきて、あまりに順さんがゆっくりなので先にロープウェイの順番のカードをもらいに行っていると激しい雨となった。
もちろん下山にはそれなりの待ち時間が必要だったが。帰りのバスもチケットが交換出来て、途中渋滞があったもののほぼ定刻通り新宿へ。自宅の近くに戻ってみるとちょうど雨上がり。降られず自宅へ。
なおこの日の、画像を含んだ詳細は「たびたびの旅」の該当ページをご覧下さい。
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2001年 8月10日(金)   準備と出発と |
朝から旅行の準備。1週間分の用意なのだが、気温がよくわからないので暑さ対策と寒さ対策の両方を考えているので、頭が痛い。荷物ばかり大きくなって、はてどうしようと思案中。
が、そんなことばかりもしていられない。そうこうしている内に今日の出発の時刻になってしまった。こちらも雨の予報があって、雨対策で荷物が膨らむ。
・・・私たちは今夕駒ヶ根行きの中央高速バスの人となって、長野県を目指した。もうすでに半分は頭が旅行に傾いている自分が怖い。
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2001年 8月 9日(木) 登山準備 |
はっと気が付いたらもう明日山へ向けて出発なのだ。慌てて準備にかかる。なるべく荷物を少なくしてと思ったが、なんやかやで、結局それぞれがリュックを担ぐことになった。
それにしても退屈だ。仕事の時は忙しすぎて、今のような生活を熱望していたのだが、そうなればなったで退屈をもてあましている。則にも話したのだが、今の自分には全く生産性という物がない。自分のことだけに関わっていて、全く社会に貢献しているということがない。専業主婦とはこうした物なのだろうか。枯渇感がある。
・・・今日は勇んで仕事に行った。ある事情があって、今日書類が来る仕事があると思っていたから。それはボリューム的にはそうあるものではないが、慎重にしなければならない種類のもの。ところがどういう訳か、月曜日にそれが延びてしまいやや拍子抜け。
ところで、もちろん夏休み期間中は昼は給食がない。こうなると何処かへ食べに行かなければならないが、暑いと勢い通勤途中で弁当を買って食べることになる。こうなると机の書類の山の中で食べるわけで、電話があれば当然受けるし、ブザーが鳴っていると言えば飛び出していくわけで、仕事中か食事中か分らない状態になる。全く給食中と同じになるので、せめて涼しい時だけは外へ出るよう心がけている。そんなわけで、ここ何日か外で食事をしたのだが、外食はやはりお金がかかる。給食のあるありがたみが分かる。
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2001年 8月 8日(水) 日本の高地へ |
本格的高地へ備えて、この土曜日は日本の高地へ行くことにした。といっても、下から登るのではなく、ロープウェイで行けるところまで行ってという手抜き登山で、駒ヶ岳を目指す。
・・・ともかく高度を稼ぎたいだけだから、観光は二の次。どうやら行き帰りのバスと仮眠するホテルのめどがついた。少しずつ準備をしていかなければ。ところで昼を食べ過ぎたためか、すこぶる疲れた。夕食はあまり口に入らなかった。涼しいのだから夏バテではないだろう。
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2001年 8月 7日(火) もう立秋 |
もう立秋だと聞いても、おかしくないほど涼しい毎日が続く。今までのあの暑さは一体何処へ行ってしまったのだろう。クーラーなしで過ごしている。が、体はだるい。夏ばてからまだ回復していないのかなあ。
・・・ここのところの涼しさには本当に楽をしている。マァこのまま夏が終わるべくもないのだけれでおも。今日が午後出張があったので、涼しかったが電車で出勤。出張先から歯医者へ直行。入れ歯を作っているがどうもうまくいっていない様子。順さんも怠そうだ今日は。
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2001年 8月 6日(月) 掃除 |
今日も涼しくて、動きやすかったので、午前中目一杯掃除をした。そうなると当然、我が家の通例としてゴミ袋が沢山出る。明日ゴミの日だが、我が家の分だけで普段の半数はいってしまいそう。早めに出しておこう。
・・・今日は涼しかったので、昨日の日曜日に引き続き新宿まで、つまり職場まで自転車で行く。この涼しさは明日で持ちそうだ。快適な一日だった。
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2001年 8月 5日(日) 買い物 |
久しぶりにゆっくり眠れた。そのあと、部屋の大掃除をするつもりだったのだが、旅行用品の買い物のために新宿へ行く。自転車で行けるのだから便利なものだ。もっとも体力は使うが、ただだからいい。久しぶりによく動いた。
・・・今日は午前中順さんは多くの時間寝て過ごしていた。私は出張の疲れもとれて、まぁまぁの体調だったのだけれども、順さんは私がいない間に少し食べ過ぎたらしい。
さて10時になったので、自転車で新宿まで出かけた。行ったところは、高島屋と東急ハンズとビクトリア(スポーツ用品店)とユニクロと、それにヨドカメ(大型電気店)。ヨドカメでもたくさんのフロアーを回ったので、結局帰ってきたのは3時過ぎだった。今日は最高気温も27.7度と比較的過ごしやすかった。
それから洗濯などしていたら、いつの間にか7時近くになってしまって、あわてて食事に出る。
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2001年 8月 4日(土) 説明会へ |
旅行の説明会へ行ってきた。何と言うこと、始めに通されたのは違ったグループの方。説明を聞いていておかしいなと思ったのだがこんなことで大丈夫なの?我々がじゃなくて、旅行会社の方。基本的な確認がおろそかになっている。まあ、結局は自分たちがしっかりしなくちゃいけないってことだと、思い直して、準備万端怠りなくしよう。何しろ行くところが行くところだから。それにしても、若い人が多いなあ。大丈夫かなあ。
・・・私の名字は「ほんかわ」と読む。でもかなりの方が「もとかわ」と最初読む。たぶんその法が自然なのだろう。いちいち訂正するのは面倒になっている。だから、名前の確認の時にも「ほん」でも「もと」でも、そうした発音であれば返事をしてしまう。ただ今日は、こちらが名乗ったのを相手の法が一方的に勘違いしたものだった。あらゆることに洗練されているとは言い難い状態だったことは確かだが、今回の場合の洗濯はたぶん間違ってはいないだろう確信はある。危険への配慮だ。これは比較した旅行者より数段勝っていたと思う。
ともかく、私たちの今度のたびは、確実に順さんとのたびのパターンを以前のそれに戻すたびでもある。順さんが病気になってから、10日前後、或いはそれ以上の旅行は、比較的設備の整った所、或いは医療機関が速やかに確保されるだろう所、或いはそれなりの衛生状態を保てる地域に限っていた。それが今度の旅で、そうした我々の自主規制を破ることになる。
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2001年 8月 3日(金) また暑くなりました |
今日はまた暑さが戻ってきて、1日プールの身には結構つらい日差しであった。
則の帰りが早まったので、帰宅して一休みしてすぐにので迎えとなった。お土産の赤福をたらふく食べる。
・・・研究大会参加3日目。予定は午前中で終わる。午後脱兎のごとく帰路につく。幸いにも近鉄特急には空きがあり、予定していたのよりは早めの電車に乗れる。新幹線に乗り継ぐが、新幹線は喫煙車しかなく、それでも早く帰りたいし、のぞみを奮発するのもいやだしで、結局我慢して喫煙車の人に。喫煙がいけないとは言わないが、飛行機が禁煙になっているのに、何故鉄道だけこうも喫煙に甘いのか?
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2001年 8月 2日(木) プールです |
今日は涼しい1日だった。それでも水温は29度もあるので、水泳には差し支えなく普通にできた。久しぶりに子どもたちに会うのは楽しいものだ。活き活きした元気をもらえる。が、怒鳴りすぎたか喉が痛い。一杯飲んで早めに寝よう。
・・・伊勢市に来て二日目です。今日も一日かんづめです。研究の発表を聞いていて、どうも研究をされている方には申し訳ないのだけれども、もう少し何とかならないの、形だけでももう少し深刻なポーズをとれないのと思う。夕方少し飲んでから移動。明日もあるので羽目は外せない。外せなくなってしまった自分というのも恐ろしい感じがするが。
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2001年 8月 1日(水) 一人です |
則が早立ちなので、久しぶりに4時ちょい前に起きる。不思議な物で、普通はこのくらいの時間に目を覚ましてごそごそやり出すのに、起きなくちゃと思って起きると眠くてつらい。それでも無事に則を送り出したと思ったら、大失敗に気が付いた。どうもいけないなあ。やっぱり、準備は前もってきちんとして置かねば・・・この前の旅行の経験が生かされていない。反省。
・・・8月最初の仕事は研究大会への出張。といっても昨今のご時世を反映して公費出張というわけにはいかず、職免扱い。研究会の方から一部旅費はでるが、いわば勉強の場所は補償するけれど費用は自分でということ。朝一番ののぞみの人となる。実は昨晩というか、今日というか目がさえて寝付けなかったので、ますます体調不十分の状態での旅立ちとなった。
東京6時ののぞみで名古屋に行き、1台早い特急に乗れたので早めに会場に着くことができた。シャトルバスを予約していなかったので、乗れるか心配だったが、無事乗れた。開会式にも悠々セーフで、一日たっぷり研修。6時前には宿にはいる。暑い。
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