2001年8月16日(木)
東京(朝)→大阪→乗り継ぎ→成都(夕刻着)
<旅立ち>
羽田には空港行きの直通快速特急に乗れたので、だいぶ早く5時40分についた。今回の旅は道中が長い。7時13分に出国手続きをした。7時40分飛行機が動き始め、7時52分羽田空港離陸。8時8分ころ富士山が右側に見える。8時50分着陸。9時30分ころ出国審査をする。9時50分に登場手続きをし、10時30分飛行機が動き始める。関空まで行って広州まで乗る。
広州は香港の近くの都市だ。関空を10時36分に離陸。日本エアシステムの飛行機は2・4・2の配列で、これは羽田関空間の飛行機の配列と同じだった。飛行機は淡路島の花博会場だったと思われるところを通り、2つの本四架橋を見て、海上へ出た。そのころ食事が始まった。食事後うとうとしていて、北京時間11時50分(以下最終日まで北京時間)近くになってふと外を見ると陸の上を飛んでいる。中国大陸だ。上海を越えたのだろう。
ところでこの飛行機は飛行航路図が出ないタイプで、現在映画をやっている。「ストレイト・ストーリー」という頑固もののおじいさんの話だ。それが12時15分には終わる。12時25分に13時10分ころ着陸とのアナウンスあり。実際には13時5分着陸。13時25分にイミグレーション。
団体ビザなので名簿順に並ぶ。国内線の発着の建物へ移動したのが14時ちょうど。ここで2万円を両替。14時10分にチェックインして中に入る。15時20分から搭乗開始。どうした事情だか分らないが長く待たされて16時13分ようやく離陸。17時に軽食が出る。18時1分着陸。
ところで成都への着陸前には英語のアナウンスで、成都の紹介があった。このような放送は初めてだ。もっとも我々の英語力では、成都が非情に古い町である程度のことしか判別がつかなかったが。
<成都にて>
成都空港に着陸して最初に驚いたことは、一斉にと言ってもよいくらいあちらこちらで携帯電話がなり始めたことだ。出発前に中国の携帯電話の台数ベースの普及率がアメリカを抜いて世界一になったと言うようなニュースを耳にしたが、まさにそのとおりで、ついでにマナーの悪さは日本に肩を並べているように思った。とにかくターミナルまでの移動の中でも携帯電話のコールの音や会話の音が途切れることはなかった。もっともまだ成都では携帯電話のメロディーまでは変化があまりなく単なる電子音だが、北京では着信音を国歌にしているのが冒涜なのか忠節なのかと言う議論もおきていると言うこともニュースで聞いた。おそるべしかな中国。
空港の出口付近はごちゃごちゃはしていたが、物売りやらポーターの荷物の奪い合いというようなものはなく、中国人の団体などが大きな声を出して喧騒さはあるものの、ごくごく落ち着いた雰囲気だ。
豊かさが象徴されるのは、現在は空港はラッシュなのだと言う現地のガイドさんの話。夏休みを終えて、北京などから帰ってくる学生のために、飛行機の便数も増えているということだ。中国は一人っ子政策を実施しているから、宝物のような扱いなのだろうか。そういえば、成都空港の出口には○○中学校と言う看板が出ていた。おそらくは私立の学校なのだろう。経済の開放の度合いはかなり進んでいることがわかった。
19時にホテルへのバス発車。空港からホテルまでは30分弱で着いた。途中一部は高速道路を利用した。高速道路はまだ建設途中で町の手前で降りたが、日本と同じように料金を徴収していた。共産国家なのだから無料でもよさそうなもにもとも思った。町に降り、人民南路という大きな道を進んだ。中国様式の大きな道にあよくあるように、道の両側には自転車道が整備されている。
ともかく、ホテルに19時30分くらいに到着した。そこでのチェックインはけっこう時間がかかった。おそらくはパスポート番号の照合とかで費やされたのだろう。我々はホテルのソファーに陣取っていたが、他の人たちは立って待っていた。みんな元気だ。それに若い。
ホテルのカギを受け取って部屋に入った。部屋は大きくて、もったいないくらいのホテルだ。さすがに四川省の省都だけのことはある。20時10分に再びロビーに集合して、ホテルを出た角にある店でミネラルウォーター550ミリリットルを5本買う。「うー」といって通じた。とにかく高山病には水すを沢山飲むことというからだ。部屋に戻ってさっそく水を飲む。1日最低3リットルなどというノルマを課せられているが、お菓子をつまみながらでも500ミリリットルがやっとだ。11時に早くも明日のためのバゲージダウン。我々はそれを9時30分にはして、眠りにつくことにした。明日は4時おきだからだ。これがつらい。