2001年8月18日(土)
ツェタン→サムイエ寺→ラサ
<昨晩から朝食・出発まで>
中国に来て3日目、チベットに来て2日目。昨夜は本当によく起きた。そのたびにトイレに行き水をのみ勝つ深呼吸をした。二人のどちらかがトイレに起きれば相手を必然的に起こすことになるので(それほど眠りが浅かった)、別途に入ってからほとんど1時間起きとなった。
さて今日はラサ屁移動する日。昨日は最初の寺に行ったときに3500メートルを越えたが、ホテルは3400メートルくらいのところにあり、ラサよりはやや低い。その分高地順応の時間をとっているということでもある。則の体調は孫悟空状態、つまり頭の回り特にこめかみ部分に鈍痛がある。これはラサ空港へついてからづっと。そんなに早く高山病の症状は表れないということだから、風邪なのかもしれない。一方順さんのほうは昨日までは特別な訴えはなかったが、今朝の4時になって少し頭が痛いかなという答え。順さんにここはがんばってもらわなければならないから、何とか回復してもらいたいものだと則は思った。
朝食もホテルのレストランでやはりバイキングスタイルの食事。朝なのでお粥などもあった。さぁいいよラサへ向けて出発だ。
<サムイエ寺へ>
バスはおよそ30分くらいで、渡し場に到着した。ここにもトイレはあるがやはり使用しないで青空トイレのほうがベターなところ。渡船であるが、船の両減りに補強でわたしてあるさんのようなものに腰をよっかかった状態で足を船底につけて乗ることになる。我々のグループはもたもたしていたためにチベタンにどんどん先を越され、けっこう窮屈な結果思いをすることになった。それでも我々は一番に乗り込んだせいで、舳先の方を確保しいく手を見ながら進むことができた。さて船は小さなエンジンをつけている。これが推進力となって進むが、川幅が広い上にやや斜めに上流へ向かうためにけっこうな時間がかかる。我々の視線はほとんど川面に近いからそう距離はないと思っていたわけだが、1時間あまりを費やして対岸へ移動する。だいたい半分くらい来ると目的の寺の中心部の屋根が金色に見えてくる。もちろん双眼鏡で見てやっと確認できるくらい。
対岸を双眼鏡で見るとピンクの車が見える。それがマイクロバスで、2台ある。そのほかトラックで、マイクロバスのほうは日本で聞いたところ最近配車されたということだったが、実際にはけっこうくたびれた車だった。対岸に着くとやはりチベタンはすばやい。マイクロはすぐに彼らに占領しかけたが、どういうわけか譲ってもらえて、我々の多くはその中に収まった。もちろん我々は最初に乗った。余った人たちはトラックだ。マイクロバスでもけっこうな悪路をバスは器用に走る。それでもゆれるから、これを子一時間我慢するのは大変だ。途中で、船上からも見えた5つのストーパ野ようなものの脇を通過した。バスのほうはそれでもトラックよりはよかったようで、トラックに乗った人の話では上に捕まるものもなく(捕まるもののあるトラックもある)そうとう疲れたそうだ。
バスは寺の塀の中に入る。入ったところから一番奥のホテル(旅社)の前に止まる。そこで後れて発車したトラックを待ち、トイレ休憩でホテルのそれを使い見学に入る。ここのトイレはまぁまぁだった。寺の中心部の建物を見学する。建ても乗は4層になっており、その階ごとに解説を聞いていく。1階にはお釈迦様が安置されている。説明を聞きながら2階へ登る。息が粗くなるのがわかる。2階には中心部分には柱がなく、斜めに壁面部分から渡された柱によって巨大な空間が支えられている。これは珍しい建て方だそうだ。2階にはダライラマの座所やこのサムイェ寺の立体曼陀羅の平面図の壁画がある。そうこのサムイェ寺は立体曼陀羅、つまりは曼陀羅の世界を建造物を使って表している寺。これは当時のインド仏教の世界観そのものであり、世界が四つの大陸からなるとし、それが中心の建物から四方に配置されている。その形すら写し取って建物はできており、その状況はさらに上の3階にあがってみると、眺めることができる。3階の上にも部屋があるが、そこは割愛した。
<バター茶を初めて味わう>
さて我々はまたもと来た手順で対岸までたどりつく必要があるが、ちょうど我々が中心部分の建物から降りてくるとピンクのバスが出るところだった。もちろん時刻表などというものがあるわけではないので、しかたなく次のバスまでバス停前のホテルのレストランで休憩した。バター茶をここで飲む。バター茶はチベット特有の飲み物で、茶とヤクのバターをを円筒形の筒に入れ、それを上から棒で突くようにしてかき回して作る。日本人の旅行記のほとんどは不味いと書いてある代物。恐る恐る飲むが、そう飲めないというものではない。お茶とスープの中間くらいの感じと思えばよいだろう。物珍しさも手伝ってか、後で聞くと3倍も飲んだ青年もいた。
バター茶を飲んでいる間にピンクバスが到着したので、また乗り込む。余った人たちはなんとバスの上にのる。これは多分トラックよりもスリリングな経験となるであろうが、もちろん我々はそんな勇気は持ち合わせていない。船にまた乗り込むが、今度は下流へやや向かう形になるので、往路よりだいぶ早く対岸へたどりついた。そこから少しは知って、適当な林の中でランチタイムとなる。鳥の骨付きの腿肉がどんと入っているのには、皆一様に驚いた様子だった。我々は夕食のこともあり、また腹6分目くらいにしているのが高山病対策にはよい(胃がうけつけないということ)ということだったので、ほとんど食べ残してしまった。そこから延々とバスに揺られてラサへ向かうことになる。
<いよいよラサへ>
かなり走ってようやく空港との分岐点へ出る。昨日はここからツェタンの今来た道を向かったわけ。ここから約100キロメートル、全体では約170キロメートルの道のりがラサへの道。バスはヤルンツァンボ河をさかのぼる形で進む。1時間近く走ったところで大きな橋が見えてくる。ようやく橋がかけられる程度に川幅が狭まったということだろう。ここを渡る。軍事上の要所ということで写真撮影が禁止されているらしいが、我々は遠景ながらその説明の前に既に橋を撮影してしまっていた。橋を渡ると今度は下流へ向かって少し進む。そのうちに平行する川が変わったのかまたもとのように川の上流へと向かうようになる。
飽きるくらいに進むと、疎水のような感じの川の対岸に壁画が描かれているところへ出る。ここでトイレ&写真休憩。ここまでくるとラサは近い!と解説書で読んでいたように、間もなく急に道幅が広がりラサに入ったことがわかった。我々のホテルは旧市街の中心部にあるが、新市街はなかなか近代的な建物などが並ぶところだ。中国政府の近代化あるいは漢化政策のなせるところか。我々のホテルは旧市街の中心部のジョカン寺に至近のところにある。なかなか近代的なホテルへようやく到着した。ここは今回利用した旅行社の本拠地のようなところなので、チェックインもスムーズにいった。中華のフルコースの夕食の後、体慣らしにジョカン寺の前の広場まで行った。広場前からで店が並び活況を呈していたが、そろそろおしまいの時間帯になっているようだった。ほんの少しそれらを見て、ジョカン寺の門の前の五体投地の人々を少し見学してホテルへ戻る。
明日の朝はこの旅のハイライトのショトン祭を見学するので早起きしなければならないので、昨日に引き続き高山病対策の意味もありシャワーすらも省略して寝る。