7月25日(土) 私は死に損なった。義姉は昨日死んでしまった。白血球300。絶食。


(順さんの記述は8月1日のもの。)

 夕べ、私は死に損なったらしい。一晩中あの世の夢を見ていた。則やA医師の話を聞くとそうに違いないと確信に近いものを持った。父も死ぬ前にあの世とやらに行って来たと言うことだったし。ただ、この話は直ぐに則にするのは止そう。馬鹿にされるのが落ちだ。

 その晩、則は病院泊まりで看病してくれた。病院側も1時間毎の監視体制だったように思う。と言っても私の記憶ではただ寝ていただけだったように思うが、何か有ったときには頼りになるので安心だ。

 目が覚めた私はすっかり病人になっていた。全身の力が抜けて頭もボーっとしている。消化器内科、内科の医師の診察も受けた後、エコーとCTとレントゲンを撮りに行った。ふらふらするので車椅子使用。入院するときに続いての使用だ。検査がすべて終わってからA医師が来ていろいろ説明してくれたが、私はボーっとしていてよく分からなかった。が、とにかく物を食べてはいけないらしいのは分かった。

 熱がようやく下がり始めた、といっても38度5分から39度2分の間を行ったり来たりなので、これから8時間毎に解熱剤を使用することになった。が、解熱剤は嫌いだ。入れた後体温は確実に下がるが、それまでが非常に汗をかいて苦しいからだ。でも仕方ないか。


則裕の記録

 先に自宅で鎮痛解熱剤を飲んだときと同じように、シャープに解熱剤は効く。2時には36度5分にまで回復し、4時30分には35度3分まで下がった。下がると順さんも気分が良くなり、トイレに行ったときのふらつきも少しおさまった。5時55分には36度2分、6時35分には36度5分と、また少し上昇に転じてきてた。
 朝になった。土曜のせいか朝食がなかなか来ない。7時20分にお茶が来て、7時50分から朝食。食べ始めたところにA医師が来る。私の方から、腹部(右盲腸のあたり。ただし盲腸は切除済み。)を痛がっている。この状況は23日午前中からだが、高熱になってきてしまったので、意識がそちらへ移り訴えなかった。熱が下がってきて再び痛さが認識されるようになった。横になっていてじっとしていると楽だが、動くと痛い。痛さは便秘の時の痛さに似ているが、局部的・・・と説明した。先生はかなりまた慌てたようだ。昨日言ってくれれば・・・。食事は結局殆ど食べなかったので、A医師が帰った後少ししてから、買いおいたフルーツを食べるかといったら、食べるというので出すと、予想に反して全部食べた。冷たいものがよいらしい。

 9時にA医師が再び来る。レントゲン他の検査をするとのこと。単なる便秘なのか、それなら便秘薬を投与すればよいが、白血球の数からして(実はこの時300しかなかった)慎重にならざるを得ない。中には特殊な白血球数を下げてしまうような病気もあるので、少し長くなるかもしれないが、いくつか検査をしたいという話を続ける。抗生剤(?白血球増加促進剤かもしれない?)を3日間やるのだが、その今日の分を確認し、まだだというと指示しておくとのこと。内科の先生とも相談するという話。場合によっては食事の制限(止めるの意味か?)をするかもしれないとのこと。

 9時10分頃、消化器内科の医者が来て、腹部の触診をしていった。痛いところが予想されていたところと違うという印象を受けた。

 9時20分から10時にかけてエコーを撮りに行く。この時白血球数300と言われた。エコーで患部を判明したようだとのこと。なぜなら技師がだいたいこの辺と言い当てたから。エコーですごく下がったと言ったら、2000くらいかと聞かれたとのことで、その後資料をを見て300とわかる。

 10時過ぎに私が昨日出来なかったので、入院手続きをしに会計に言っている間に、今度は内科医のU先生が来る。白血球が少なくなると、盲腸付近に炎症を起こすことがある。治療の方針はこれまでと変更無く、抗生物質の投与と、白血球を増やす薬を与えることの2点であることを説明された。これらの治療が成功すれば、次第に腹部の痛みも収まるだろうとのこと。

 10時25分頃看護婦が来て、これから尿の量を測定するように指示される。35分頃。おならが初めて出る。点滴が終わり、点滴交換が行われる。10時50分から11時15分にかけてCT撮影に行く。全体を2回、腹部中心に6回の計8回操作をする。11時25分から35分にかけて今度はレントゲンを数枚撮る。

 13時過ぎに一旦帰るので、その前に順さんをトイレに連れていって病室へ戻ると直ぐに今度は消化器内科の医師が3人来る。本当にたくさんの医師が来る。そのことは順さんの状態がけっこう容易ならざることを表しているのだろうか。エコーの結果を見ても大腸の中の出っ張りのようなもの=「けいしつ」と表現していた=が炎症を起こしている状態だろうとのこと。医者同士の話では、ガーデニングが有りますねぇと言うような表現をしていたが、どういうことかよく分からなかった。ともかく、臨戦態勢と言った感じだ。

 その後私は洗濯と、必要なものをとりに家に一旦戻り、また病院へ戻ってきた。

 順さんによれば、15時頃A医師が来て、下剤と解熱剤(共に座薬)をいれると言ったそうだ。直ちにそれは行われ、下剤を入れて10分後に便意有り。便の内容はほぼ水に近いものだったそうだ。それが終わって、A医師が再び来て調子がそうよくないのを見届けると、「今日は僕はビールが飲めそうもない」といって帰っていったそうだ。ただ、白血球数の減少はだいたい10日から2週間程度でピークを迎えるはずで、A医師もその点やや首を傾げていたそうだ。それから解熱剤を入れた。

 部屋の管理も厳しくなった。マスク着用とか、うがいの励行、手洗いの励行などが言い渡された。

 14時の時点では、39度2分だった。それが私が来た時点、だいたい18時頃では37度6分まで下がっていた。その後もだらだらと体温は下がっていき、20時30分頃には37度を割る程度になる。看護婦が来て、A医師の指示では8時間間隔で座薬(解熱剤)を入れるようにとのことだそうだ。
 ここで私は自宅に戻る。札幌からの宅急便を受け取り、その中の洗濯物を洗濯して、必要なものを翌朝またとどけなければならないから。

 さて順さんからの報告を元にその後を書く。20時丁度にA医師がきて、腹部診察をした後、看護婦に座薬の指示をして帰る。体温が乱高下すると体力を消耗するので拙いと言うことで、座薬を入れる。