5月15日(金) 入院第3日目。手術の日

 写真の説明(順番に):手術着着用・ストレッチャーに乗る・手術室入室!・手術後の患部・テレビを見るまでに快復

 昨日睡眠薬というのをもらって飲んだのに、3時過ぎから5時過ぎまで目覚めてしまった。やはり興奮しているのだろうか。朝の体温も、昨日は35度しかなかったのに今朝は36度を超えている。気分はそう感じなくても体の方は正直に反応しているのかもしれん。10時頃にまた薬を飲むと言うが、それまですることはない。ゆっくり休んでいることにしよう。看護婦が来てバスタオルを持っていく。そのときこれを書いていたのだが、何の反応も示さなかった。

 8時半過ぎに麻酔医がくる。やはり午後の1番には違いないようだ。今日の手順を説明してくれた。何か質問はありますか?ここの人は必ずそう聞くが、何も分かりませんのでよろしくと答えた。刻一刻と時間は迫ってくるのだが、まだ人ごとのような気がしている。本当に自分がという実感がまだない。ラジオを聴きながら本を1冊読み終えた。

 9時40分に薬を飲む。安定剤と胃の吐き気を抑える薬だそうだ。少しの水で飲んでくださいといわれた。昨日の夜から何も口にしていないが空腹感はあるが、のどの渇きはそう感じていないので、少しで十分だった。手術着は古代人の弥生人のような頭からすっぽりというタイプのものだ。ただ違うのは、肩から脇が全てボタンで自由に取り外しが出来ること。要するに前身頃と後ろ身頃が脇のボタンでかろうじでつながっているというものだ。写真を撮ろうと思ったが則が来てからでいいだろうと、則を待つこにする。

 何か頭がボーっとしてきた。これもうち間違えてばかりで自由にうち切れない。薬のせいなのだろうか。これ以上は無理なので横になることにする。しばらくして看護婦が来て、あらまあよく効きますねえと感心していた。

 12時近くなったので手術着に着替えて則に写真を撮ってもらう。何でも写真だ。1時前に看護婦が来てストレッチャーに乗せられた。そこで肩に筋肉注射をした。これは今までの注射の中で一番痛かった。が、そう大騒ぎするほどのことはなかった。これも直ぐに効いて殆どウツラ状態になった。部屋を出るときまでは覚えているが、手術室までのことは全く記憶にない。手術室で、自分でストレッチャーから手術台に乗り換えたのは覚えている。が、そこでまた記憶がなくなる。本当によく薬の効く人なんだなと思う。

 則の記録によると2:45に病室へ戻っている。そこで意識が戻った。則の声と顔が一番はじめに飛び込んできた。が、自分ではまだ手術前だと思っていたそうだ。ホントに寝ている間に、何も知らない間に全て終わってしまうものなんだな。部屋では、暑いのと気持ち悪いので、則にクーラーをつけろだの足を揉めだのいろいろと言った記憶がある。

 ここで、吐き気止めと抗ガン剤3本を点滴で入れた。他に錠剤で1日2錠の薬(カイトリル1mg)と10錠も飲むプレドニソロン261 5mgをもらう。これは両方とも吐き気止めだそうだ。かなり吐き気というものがあって、みんな苦しんでいるのだろう。それでなければこんなに次々に吐き気止めが来るはず無いもの。抗ガン剤との戦いはまだ序の口と言うところか。

 でも食事は、久しぶりのせいもあって殆ど全部食べた。今のところ吐き気はない。

 7時頃A医師が来る。まとめてとったので65gくらいあったとのこと。それをしばらくホルマリンにつけてから病理検査をするそうだ。私の場合大きいので1週間くらいかかるとのこと。それまで入院なのかな。

 則は9時過ぎまでいてくれた。明日は一番出来てくれると言う。申し訳ない。


則裕の記録

 とにかく急がなければならないので、朝早く職場に行き、今日やって欲しいことをそれぞれの人にメモをして、アルバイトのSさんが来るまで職場にいて、それから飛び出した。その前に9時過ぎに順さんには電話して、9時30分までには何とか出たいと伝えておいた。早く行かねばと言う思いで、途中何人かの人とぶつかりながら、新宿駅のホームに駆け上がる。電車の中で乗り換え時間を調べると、なんと0分。1分近くかかる乗り換えなので無理と思ったが、これまた駆け上がり、ホームに急ぐ。既に電車は来ており、発車のベルが鳴っている。駆け下りドアが閉まるところをかいくぐる。おかげで、10時35分にはO病院に着く。 順さんはもうろうとした感じだった。しゃべっているのを何回か聞き直さないと聞き取れない。私が耳が遠いせいなのだが。

 今日これまでの状況を、それでも少しずつ聞き出す。それによれば、10時15分に血圧・体温を測ったが、それぞれ130−70・36.5ということだった。看護婦によれば、ずいぶんと薬がよく聞いているということだった。


(この間の記録は時々刻々手術の日を見てください)



 今20時少し前。順さんは病室で巨人ヤクルト戦をテレビ観戦中。まだ少しボーとしているところがあるが、夕食も殆ど食べたし、とても手術後5時間しかたっていない人間とは思えない。私は基本的に元気なのだ・・・と本人は宣わっているが、実際そうなのかもしれない。既に抗ガン剤も第1回目の投与を終了したのだが、今のところ吐き気は感じていないらしい。

 胸には大きな包帯があるが、それを除けば、昨日と大差ない生活だ。

 8時少し前に執刀したA医師が来た。彼は忙しい人で、1時間ほど前まで手術をして、その後外来を見て、そして説明に来た。風のように来て風のよう去っていった。以下A医師の説明。とった病巣は65グラム。病理の先生に回したが、ホルマリン漬けにして完全に浸かったら、5ミリ感覚でスライスして、プレパラートを作るそうだ。浸潤するまで、とった病巣が大きいので、およそ1週間はかかるとのこと。それで、どういう種類のガンだったかがはっきりする。小さい方も、ついでにとったので、だいぶ大きくなった。両手の人差し指と親指で円を作って、これくらいだと示した。

 手術の順番(午後の一番)の問題もあるのだろうが、この回復状況というのは、本人の体力によるものなのか、医学の進歩によるものなのか、たぶんその両方なのであろうが、驚きに値する。それにマニュアル化が進んでいるのであろうか、看護婦にしても、殆ど日常的所作の如くに事を運んでいく。あたかもちょっとしたけがの治療の如く。

 21時15分過ぎに点滴を外しに看護婦が来た。点滴を止めると、これまでは針を抜かなければ血圧で血が逆流して固まり、結果として無意味なものになっていたが、アンチ凝固剤とも言うべきものを注入することによって、それを回避できるのだそうだ。午前2時に抗生剤を再び入れるが、それまでは点滴の針の部分だけを刺しておくと言うことだ。点滴を何度も刺さなくて良いとなれば、肩に刺したり、手に刺したりと言うことも無くなることだろう。

 23時少し過ぎに帰宅した。

(2002年12月8日追記) 乳癌手術直後に抗ガン剤を投与する意義についてのやさしく解説しているページを見つけました。参考にどうぞ。