5月11日(月) 準備の日。

 今8:30。そろそろ朝の会が始まる時間だ。日直はきちんと仕事が出来ただろうか。思いがけず今日と明日は自宅でのんびりということになったが、やはり学校のことが気にかかる。が、気にしていても仕方ないので、入院の準備をすることにした。

 病院からの指示の物ー入院予約票、健康保険証、印鑑、保証金2万円、寝間着、下着、洗面具、湯飲み、はし、スリッパ、バスタオル、浴用タオル、ティッシュペーパー、筆記用具。

 自分で必要な物ーノートパソコン、文庫本、MD、ノート、ラジオ、デジカメ、PHS、財布、洗剤

このくらいかな。あと急に必要になった物は病院の売店で揃えればいいだろう。

 今6:30。午前中に昨日のフィルムを出してから入院の準備。ほぼできあがったところで、買い物にでも行こうかと外に出たら大粒の雨が降っていた。仕方ないので、乳ガンの本や資料をまた読んだ。それで分かったことをいくつか。

 (1)放射線は1回2グレイで週5回。計25回50グレイまで照射。追加照射は行わない。(K医師の方針)

 (2)抗ガン剤のサイクル数は、1〜4の範囲で患者が決める。高齢になるほど少なくなる。(同上)

 (3)抗ガン剤は、術後とその1週間後の1クール、その4週間後(29日目)とその1週間後で2クール。(患者の手記。)

 (4)抗ガン剤の副作用として吐き気、微熱、懈怠感、脱毛など。生理は45歳以上は戻らない。また、更年期障害の症状が現れ、疲れやすく、眠れず、精神的に不安定になる。(同上)

 (5)抗ガン剤1クールで殆どの髪が抜けてカツラを使用。(同上)

 (6)術後約半年で元気が出て、8ヶ月後には運動を開始、10ヶ月後には元に戻った。(同上)

疲れた。こんなことばかり調べて書いていると精神的に落ち込んでしまうようだ。手術はもう仕方ないとして、そのあとの抗ガン剤のことや副作用のことが今、一番気にかかる。9月復帰に間に合うのだろうか。それがあるからだ。不完全な状態で、だましだましの授業はしたくない。


則裕の記録

 今日も何とはなしに、仕事をだらだらとした一日だった。ピントがどうもあっていない。給料とはこうしてもらうものなのか?

 6時過ぎに職場を出て、帰宅。夕食をとる。

 順さんが断髪式だと騒ぐ。気が重い。順さんが書いているように、抗ガン剤の影響を嫌ってのことと、最大の理由は手術にじゃまなことと、その後の手入れも面倒だからだ。なるべくその話題を避けるために、荷物を話題にする。

 それにしても、順さんの荷物は電気製品のオンパレードだ。ラジオだけが見つからなかった。いつも私がいい加減やっているからだが、ラジオジャパンを聞くために買ったやつなので、順さんは必死になって捜して見つけた。テーブルタップにはパソコン電源・MD用の電池充電器・ラジオのAC電源、デジカメの電源と最低でも4つの電源がいる。入院時には、その時に必要な物のみで、後は海外に行くときに使っている旅行カバンに詰めて、職場が終わってから私が持ってゆくことにする。

 そうこうしているうちに風呂に入る時間になる。順さんは髪の毛を切ると言ってきかない。やむを得ず、断髪式に取りかかる。要領が分からないので、エイヤッとばかりにやったら、バッサリとやりすぎた。さぞショックだったろう。美容院に行って、だから切れば良かったのにと思ったが、後の祭りだ。不揃いなことおびただしだが、とりあえず、風呂で洗髪してもらう。後ろの毛が跳ね上がっていて、どうもうまくいかないからだ。その間も、私はゴメンをくり返す。

 最後に微調整をしたが、やはり跳ね上がっている部分は跳ね上がっていて、技の問題だと思うが、美容師には向いていないことは痛烈に印象に残る結果となった。 順さんの気持ちを潔しとするベキなのだろうが、「髪は女の命」とまで言わないまでも、手術までに登り詰めなければならない一歩を、順さんはこうしてまた一つクリアしたことになる。入院まで後2日、手術まで後4日だ。