5月10日(日) とうとう御柱を全部見きった日。

 今日は最後の御柱見学の日。朝早く春宮へ行った。建御柱を見るためだ。あちこち歩いていいと思われる場所を確保した。その甲斐あって今日は見応えがあった。準備段階から完成まですべて見られたので、結構長い時間だったが退屈しなかった。いやあ、簡単におもしろいとかつまらないとか言ってはいけないなあと思った。そのくらい建てるまでは大変なものだった。

 最後に縁起物をばらまくのだが、その中にお守りと引き替える券があると知って、則は必死に伸び上がって手を振り回し、結果、2つもとってくれた。お守りは御柱の切り落としだった。大事に持って帰った。私の方が淡々としていて、則の方がムキになって頑張ってくれた。その甲斐あってバスケットも受け取ったので、これは病室で使わせてもらうことにした。

 その後は街へ繰り出して、長持ちを沢山見た。次から次へいろいろ工夫された集団が続いてきた。歌あり踊りあり、仮装有りと楽しいものだった。

 その途中で、ちょっと横道へそれて、御柱を急回転させる交差点へ行った。いやあ、これは見事だった。50mもあろうかと思われる柱をほぼ直角に曲げるのだ。しかも日本の道路だからそう広くはない。そこをよく計算して、人数で行くと100人はくだらないだろうと思われる数を指揮して見事に1回できれいに曲がりきった。すごいもんだ。運動会のように練習を重ねた結果ではないのだ。7年に1度のぶっつけ本番でこれだけのことが出来るなんて、すごいという言葉の他に何も浮かばない。

 その後、夕方まで長持ちを見た。寒くなってきたせいもあって徐々に興味が無くなってきて、そうなるとそれまで忘れていた自分の体のことが思い出された。でも、本当に本当なのだろうか。こんなに元気に楽しんでいる自分が、本当に病気なのだろうか。昨日の警官に怒りを感じたように、感情的にもはっきりしている自分が本当に・・・

 でも現実は現実として受け入れなくては。とにかく御柱が全て見られた。それで大満足。もし、これが見られなかったら、きっと悶々として後悔の念に縛られていたかもしれない。心残りはなくなった。


則裕の記録

 朝7時過ぎの電車で泊まった茅野から下諏訪へ向かう。

 茅野の駅ではたいしたことはなかったが、昨日と同様上諏訪からはたくさんの人が乗車した。東京のラッシュさながらの状態で、下諏訪駅に到着。さしあたり弁当を買って、春宮へ向かう。春宮二之御柱の建御柱が9時から始まるからだ。

 春宮について、早速適当な場所を確保。早速買ってきた弁当で朝飯を摂る。しかし順さんに食欲がない。好きなそぼろ御飯は結構食べていたので、そう心配しなかったが、一応打診。朝は食べられないとの答え。一応信じる。食べ終わると、規制線が張られ、そこから一歩後退。実は確保した場所は春宮二之御柱が裏から見れられる場所。仕方がない。

 御柱は直立に近くになるに連れて、見にくくなった。ちょっと場所の選定に失敗したかな。その後氏子にお菓子だとか、お守りの交換券になる箸だのが蒔かれた。私はけっこう隣のおばあさんとの争奪戦なった。戦利品はいくつか有ったが、絶対とりたかったのが、箸。これはお守りの交換になると事前に聞いていたからだ。最初蒔いたときは、全くこっちへ来なかった。年輩者が蒔いていたから、届かなかったのだ。残りの箸を偶然若い人が蒔く機会があった。私はたぶんこっちへよこせと怒鳴っていたと思う。何とか確保できた。お守りのとの交換となれば、黙って入られない。その後運良く、もう一膳確保。

 お守りは、春宮二之御柱の冠落としの木切れか、或いは前の御柱の木切れか、その何れかだと思う。確保したものの中に、なんと小ザルがあった。順さんはお守りと共に、それも病室に持って行くと言っていた。

 その後、長持行列などを流し見しながら秋宮に行った。そこで軽い昼食。つまり朝ご飯お残りなどを食べた。その後、再び大曲(道の90度以上のカーブを曲がる腕の見せ所)を身に、再び春宮大門近くへ移動。休憩中で、小1時間ここで私たちも休憩。その後大曲の見事な裁きを見学(これは春宮四之御柱)。

 最後は長持行列の何組かを見た。後半順さんはやや機嫌が悪かった。無線の返事がぶっきらぼうになったいて。後で聞いたら、寒かったことといくつもの長持行列を見たので、飽きていたとのこと。結局30分前に切り上げて、帰路の特急の中で食べるものを仕入れて、車中の人となった。