5月8日(金) 最後の日。

 朝、みんなになんて言おうかと思いながら、自転車のペダルを踏んでいた。則に今日はいつもよりよーく気をつけていけよ、と言われたのを頭に置きながらも、やはり挨拶の言葉が頭から離れなかった。

 職員朝会で校長の話の後、自分から一応の事情説明をした。何とか出来たが、問題は子供に対して何て言えばいいのか頭の痛いことだった。午前中は運動会の練習もないので、全部自分の授業時間。キリのいいところまで進めておこうと思いながらもなんかのんびりした授業になってしまった。

 5時間目、理科を途中で切り上げて、「大事な話があるんだ。実は病気になって入院することになった。」と話し始めた。子供たちは一様に驚いた様子を見せて、「移動教室にも行けないの?」「運動会も見られないの?」と口々に騒ぎ始めた。保護者宛の手紙を読みながら、「ガンなの?」「死んじゃうの?」と口にする子もいたので、「多分そんなことはないと思うよ。元気に戻ってきたいと思ってる。」と答えたが、「多分てことは絶対ってことじゃないんでしょ。」5年生ともなるとなかなか鋭いトコをついてくる。「100パーセントとはいえないけど、とにかく頑張ってくるから。」そんな会話をしてからさよならをした。別れ際に「死んじゃダメだよ。」って言われて、子供たちにも大いに心配をかけてしまったことを今更のように悲しく思った。

 今日はたまたまPTAの会議があって、校長が私のことを話したらしい。そのときに、嘱託と時間講師とあいてる先生とでクラスを見ると説明したものだから、うちのクラスの親たちがそんなことでは困るというようなことでかなり強く校長を追求したらしい。そのせいかどうか、教頭はずっと講師探しに奔走していた(あれほど前から私はお願いしていたのに!)。やっと6時過ぎに見つかったらしいが、やはり9時間しか見てもらえない時間講師。理科と社会と体育を見てもらうことになりそうだ。5年生の授業時間は、土曜日があるときは29時間、土曜日がないときには25時間(このほかに毎週のクラブも見ている)。そのうち図工と音楽の計4時間を専科がしているので、残りは25時間と21時間になる。講師が9時間で嘱託が9時間、教頭が1時間だから、19時間しかカバーできない。残りを補教(あいてる先生で見る)と言うことになる。それでも、嘱託の先生がこんな状態で子供を見捨てられないから出来るだけ沢山見ると言ってくださったので、何とか補教は少なくなりそうだ。ただし、土曜日も同じように見てくださるつもりでいたら、「出勤日でないときに出勤されては困る。」と 強く言われたようだ。結局何か事故があったときに責任問題になると言うことなのだろう。同じようなことで、移動教室に行ってもよいと言ってくださっているが、絶対にダメなそうな。

 子供がちっとも大切にされていないなあと思う。3ヶ月近くも休むのに、どうしてフルタイムの教員が採用されないのだろう。校長の責任云々ではない、教育委員会の方針なのだろうか。お金のかかることはいっさいしない。そういえば、水泳の授業の時に、2人(2クラスなので)で68人の子供を見るのは危険も伴うので補助員を頼みたいと言ったら、夏休みのプール開催日を少なくすれば(つまりその分の費用を回すので)よいという回答があったそうだ。

 こんなご時世で、我慢我慢なのかな。それにしても弱者へのしわ寄せは何て簡単なこと。

 帰宅は7時半頃になる。運動会の放送準備をほぼやり終えて、最後の教室整理をしていたからだ。しばしの別れになると思うと去りがたい気持ちもあって、だらだらしていたが、雨になったので帰ってきた。


則裕の記録

 仕事というのはどうしてこう容赦もなくうち寄せてくるのだろうか?我が校では、現在今年異動配属された区の事務の方と、都の嘱託員と、週1〜2回来るアルバイトといった体制だが、決定は全て私が行っている。区の方は慣れていないし、都の方はリタイヤ組ということで決定的な判断はどうしても回避される。私は3人に仕事を指示することだけに追われる。昨日のように午後帰るとその翌朝に、そして今日も1時間あまり都庁に出張したがその後でも・・・そうした場合矢継ぎ早に指示の催促となる。まぁその年になったからといえばそうだが、採用時より一つランクが上に上がっただけの単なるヒラ職員がやるような仕事のジャンルではない。まぁ、出来ないわけではないのでやってはいるが、ちなみに同年代の教員とは100万近く給料が違う。面白くなくはないが、この年になってはトバルことも出来ず、仕事が趣味と自嘲しないとやっていられない感じだ。

 さて今日は前に書いたように、15日午後の実践事例アイディア集の編集会議に出られないので、その打ち合わせもあって、5時過ぎに虎の門へ行く。会議が終わったら土砂降りの雨。仕方なく1時間ほどビールを飲む。小止みになったので帰宅。

 順さんの早速今日の分は私は書いたと催促され、今書いている。

 順さんにしてはやや厳しい文調だ。子どもたちへの愛情の表現かなぁと思う。面白いのは、子どもたちに「頑張ってくるから」と答えているくだり。「ガンバレって言ったって何を頑張るのよ!」って言っていたのに。

 それにしても、嘱託の厚意にも甘えられない悲しい現実。誰だって楽な道を歩むはずなのに、子どものことを考えて言っているのに。そりゃぁ管理職にも扶養家族はいる。彼らの生活を無視は出来ない。何かあったら私が責任を・・・とは言えない事情も分からないではない。直ちに非難は出来ないが、しかしそれは態度の問題だとも思う。こうした隙間を見せてしまう管理職が、どうして職員に求心的な学校経営を求めることが出来ようか?ウソでも良いから、こうした態度をとるべきではないだろう。

 こうした事案をみるたびに思うのは、都の管理職教育の欠落部分だ。命令しても子どもは動かない。納得して子どもは行動する。この原則は、教育だけに当てはまるものではない。給料をもらっているのだから、大人は形式的に命令には従うだろうが、同じことをするにもやり方は幾通りもあるはずで、やり方によっては得られる成果が大きく違うはずだ。

 総括して言えば、今回のような順さんの事案は珍しいことではないにも関わらず、日常的な体制が全く整っていないことの恐怖だ。学校はかくも危機管理がさびしい状況なのだろうか。他者の問題ではなく、自らも管理部門を担うその一員として、強く反省をしなければならないと思った。

 順さんのためにも、納税者である保護者が納得のいく解決策を模索していただきたいと、彼女の学校の管理職に願うばかりである。現状の対応では、休む者が悪者になるだけのような気がしてならないが、それは身びいきなのだろうか?

 私にとって個人的に興味があったのは、子どもたちの反応。順さんにとっては予想の範囲の出来事だったらしい。結構淡々としていた。(単純ではないことは十分認識しているが。)私としては、2学期から本川先生は今まで以上に頑張るから、それまで先生に休暇を与えて!と密かに子どもたちと保護者に手を合わせるばかりだ。