5月1日(金) 今日も疲れた。


 休むにあたっては、やはり学級のことが一番気にかかる。特にどんな方が代わりに見ていただけるのかが・・・。しかし校長にその話をしたときにも、「大丈夫、何とでもしますから、そのために校長がいるんですから、安心して任せてください。先生はそんなこと気にせず自分のことだけを考えてください。」と言われたので、すっかりその気でる。

 しかし今日チラッと、代替の講師がとれないとを耳にした。そんな馬鹿な。多分嘱託の人にすべてを任せるつもりなのだろう。うちの嘱託の人は力量は十分だから変な人が来るよりはかえってその方が私も安心はしていられるが、嘱託の持ち時間数というのはきちんと決まっているはずだから、高学年の担任の代わりとなれば、2倍にも3倍にも負担がかかることになる。それはすべてその嘱託の人の好意ということになってしまうのだ。管理職にしてみれば、それで済めばそんな楽なことはない。が、それでは私が済まない。

 しかし教育の現場とはこういうものなのだ。心の教育だとか、きれい事はたくさん並べるが、お金のかかることはいっさいしないのが今の教育委員会のやり方だ。講師を雇うよりも嘱託に押しつけた方が、お金がかからずに済むからだ。教員がゆっくり養生できる環境が無い。それでみんな無理をして、体をこわして、又は精神をやんで、自ら壊れていく。健康な教員がいいには決まっているに違いないが、健康しか知らない人間は時として非常に残酷なものだ。一時期の養生で元気に復帰できる環境さえあれば、これまでにもたくさんのベテランが救われたのに。

 子供の側に立てば、講師などでなく産休の先生のようにフルタイムの代替がとれるのが一番いいに決まっている。どうしてそういうことが出来ないのだろう。結局、お金、お金。無駄金ではないのに。本当に子供を育てるのなら、必要なお金だと思うのに。

 でも、体験者の本を読むと、術後、仕事を辞めたり変えたりする人が結構いた。社会では病気をするともう受け入れてもらえ無いという構造になっているのだろうか。

 そういう状況が分かってきたので、急いで移動教室の相談をした。同学年のHさん1人では決めかねるというので、日程、費用、書類、クラスの班のことなどを決めた。子供には申し訳ないが、出来ることを確実にやろうということで、行事も精選した。つまり、子供たちの自由時間を増やした。これも子供にとっては結構楽しいのではないかと思うが、本当なら、集団生活なのだから、集団で出来ることを多く体験させてあげたかった。

 そんななんやかやで、6時頃まで学校で仕事。疲れた。今日も寝るだけだ。そうだ。今日は明日のためにお風呂に入って全身を洗わなくては。明日は食事が出来ないんだった。髪の毛も少し切っておこう。そんなことを考えていたらよけいに疲れた。則が帰ってくるまで寝ることにしよう。

 子供にも、「先生、最近疲れてんじゃない?」と言われた。子供は鋭いなあ。


則裕の記録

 今日は朝から大忙しで、仕事も8時にまで及んだ。本当は昨日すべきだったことを、今日に回したので、忙しくなったわけ。結局私たちの商売は、休んだとて誰かがやるわけではない。そのことは順さんも同じ様なものなのだ。

 ただ、教育は生ものだから、難しい面も多い。子どもは待ってくれない。

 難しいと言えば、上記件も内実が分かっていないので、勝手なことは言えないが、かなり複雑な経過をたどったのだろうと思う。(軽々に言えないので、表現としてはこのくらいで抑えておきたい。)

 さて順さんは今日少しばかり髪の毛を切った。10センチくらい。手術前には、完全にショートカットにしないと、洗髪が出来無いからそれはそれで必然があるが、彼女としても、少しずつ長い髪との決別を図っているようにも見えた。