4月30日(木) O病院へ。


 2時間だけ授業をして休暇。則と待ち合わせて一緒に病院へ行く。

 待ち合わせをしてからJRを乗り継いで約1時間。思ったより早くついた。O駅前は開発されたばかりの新しい造りのきれいな町だった。遠目に病院が見える。近くのこぎれいなレストランで食事を済ませてから病院へ行く。

 思ったよりも小さな建物だった。こんなに小さくて大丈夫?というくらいに小さくて、一瞬不安がよぎったが、どうやら私も大病院信奉に毒されているらしい。いいところは大小には関係ないと、本にも書いてあったのに。

 受付を済ませてから、まず、超音波。丁寧に上半身をくまなく調べた。画面を見ながら、「あれがそうか。」などと余裕を持ってみていた。もう今更無いと言うことはないだろうと思っていたからか。そう思ってみていると、結構おもしろい。そのとき、今まで無かったもう一つの固まりに気がついた。医師は何にも言わないが、はっきりと見えた。また増えたのか?そう思ったが聞くことも出来ず、検査は終わった。

 次にレントゲン。いわゆるマンモグラフィーを撮りに行った。これはひどかった。普通に撮るのはとれたのだが、患部を拡大して撮るのがなかなかうまくできなくて、乳房を引っ張ったり、ひどく押さえつけたりして都合9回も撮った。最後の方など、押さえ方が悪いのかしら、と言いながらギューッと無理矢理に圧迫するので痛くて痛くて・・・

 全部の結果を持って、初めてA先生の診察になった。ここにありますね、と油性のペンで丁寧に場所を示してくれた。塊の大きさはK先生の見立てと同じく3.5センチ。乳首からは4.5センチの場所にある。このくらいなら、はじめに抗ガン剤という必要はなく、すぐに手術できるということだ。ただ、超音波に見られる付録のようなもう一つの塊が気になるので、もう一度よく検査をしてから方針を決めましょう、と言うことで、明後日にMRIを受けることになった。それまで結論は持ち越しということになった。寿命が延びたということか、無駄な抵抗ということか。

 そのころになると、外科の廊下は女性であふれていた。これがすべてA先生の患者?どんな風にしてこれだけの人を見るの?とにかくすごい人、人、人。それがみんな明るいのだ。私みたいにくらく沈んだ感じの人はいない。しかも顔なじみの人が多いようであちこちで会話が弾んでいる。そうなんだ。きっと乳ガンというのはこの程度のことなのだ、そう思った。

 が、疲れた。帰りはぐったりしていた。家に帰っても乳房は痛くて、右腕があまり動かせない。体も気力も限界という感じで早々に寝る。

 忘れるところだった・・・今日の費用。病院へは3150円払う。交通費は往路が職場→新宿が150円、新宿→Oが890円×2人とO→自宅最寄り駅が890円×2人。


則裕の記録

 朝、待ち合わせの時間をチェックして出る。駅前探険倶楽部(http://ekimae.toshiba.co.jp/)で時間をチェックした。しかしながら、実際は順さんは予定時刻の6分以上も前に来た。これは急行へ乗り継ぎ更に特急へ乗り換えるという離れ業をやってのけた為。そのおかげで、最終的には10分以上も前についた。

 駅前からO病院までは、K医師にもらった紙片では10分になっているが、実際はそう遠くはなく、年輩者がゆっくり歩いてもそのくらいといった感じだ。行く迄の道すがらの店で食事。スペイン料理の店だった。(後で気がつくことになるが、病院の中のコーヒーショップの名前も、それからレントゲン室の前のいくつかの写真も全てスペインやポルトガルのものだった。この街はスペインしているのか?って感じかな。)順さんの食欲は普通で、まぁまぁ元気と言うところだと思う。これからも書くと思うが、順さんは体調や気力と食欲はきれいに一次関数になる人なので、食欲はその日の状態のバロメーターになる。

 病院は、順さんは小さいと言っていたが、この街にとっては適正な大きさの病院といった感じで、丁度門の前にCTの車が止まっていた。何故かというと、CTの機械の入れ替えで、臨時にそこにあるらしい。順さんが話してくれたが、エコー(超音波)の機械も今までのもの(毎年の人間ドックなどで10回以上は経験している)よりも新しい物だったそうだ。内装をやった直後なのか、中も比較的新しい感じを持った。

 エコーの時間も、マンモグラフィーの時間もやたらと長かった。その事情は順さんが書いているとおりなのだが、エコーの待合い時間中には居眠りをしてしまったほどだ。マンモグラフィーではやはりあまり影はハッキリとはわからなかったのだと思う。石灰化があまり進んでいない状態なのだろう。個体差があるだろうが、エコーでないと引っかからないケースがあるということになる。この辺りが、K医師の言うところの『見逃し』の原因か?

 A医師の診断が終わってから、順さんに診断の結果を聞いた。診断を聞く前に、ああ診断が途中なのだなぁと思った。というのは、私が呼ばれなかったから。順さんだけで判断はしないだろうなぁと言う、漫然とした考えがあったから。ただまた新しい影が発見されたのは、非情に不安な要素だ。ガンよりも恐れなければならないものはないようにも思うが、MRIをかけると言うことは、乳房の輪切りの診断をするということで、石灰化のあまり進んでいないしかしやや大きめの病巣の中身も解き明かされることを期待したいところだ。

 さて順さんが書いているように、確かにこの病院の外科は乳癌患者が多くを占めていたように思う。他の病院の外科より(私自身も半月板損傷で外科に通ったことがある)も女性がやたらに多い。それからA医師の執刀している手術の写真の掲載されている新聞なども、大腸ガンの早期検診のポスターなどと並んで張られていて、ああここはA医師のいる病院なんだと認識できる。

 帰路のこと。確かに順さんはもとより私も慣れない生活なので、くたびれていたことは確かだ。帰りの乗り換えで、私たちは居眠りしていて危うく乗り過ごすところだった。食事の為の買い物にも熱が入らない。

 帰ってから、A医師が順さんの乳房にマジックインキで書いた主要の位置を示す図を見せてもらった。何だか工作の時間の削り取る前の木に書いた目標位置みたいで、痛々しく見えた。リアルにあなたはこれだけ(或いはこの回り更に1センチ)切除するのよ!って言っているみたいだ。覚悟をしなさい!ということなのだろう。

 順さんは疲れてはいたが、夕食の食欲は結構あったと思う。ただ、乳房の痛みは、今日の検査で更に増大したようで、明日チョークを持つのに差し支えがなければと思った。それと、実は妹が発病してから診断がもう数年たってもおぼつかない病気に冒されているのだが、彼女は検査付けの毎日を一時期おくっていた。その頃の彼女の疲労感が、訴えられても正直なところよく分からなかったが、今その実感を持つことが出来た。順さんには悪いが、妹はおそらく順さんの何倍かの検査を受けているわけで、さぞ大変だったのだろうと、今実感した。

 最後に、入院中と同じ状態で、ノートパソコンから一太郎ファイルと画像ファイルをFDに落とす作業をして、HPをリアルタイムに進行させる準備を整えた。

 そうそう、病院での出来事で一つ思い出したことがある。それは看護婦が走っていって、その方向を見るとなんと彼女はデジカメを持っていた。多分キャノンのものだと思う。ちらっとそれは見えただけで、彼女は診察室に消えた。(後日診察室に順さんに連れ立って入った祭にその予想は確かなことが確認された。)