4月23日(木) やはりガンの疑いが・・・

 検診を受けようと決めてからの行動は速かった。早速診療日を確かめて、決心した4月22日の翌日の午後、S病院に行った。

 ちなみに、私たち夫婦は則が東京都公立学校事務職員、私が都の公立小学校教員という身分で、S病院というのは職域病院の性格を持つ病院。つい最近まではクローズドの病院であった。私たちはそこで2月13−14日に短期の人間ドックを受診していた。その時の診断は要観察ということで、現在は異常を認めないがまた1年後に検査をするようにという診断結果であった。

 初めは、「定期診断ですか?」とのんびり構えていた若い外科の医師が、胸のしこりに触れたとたん、「これは、今日来てもらって良かった。すぐに超音波で見てみましょう。」と言って、自ら超音波室へ行って検査してくれた。その後、細胞検査というのをした。切除するのかなと思っていたら、大きめの注射で、血をとるような感じで簡単に終わった。「これはもう悪性のものと考えて良いでしょう。すぐに手術しましょう。家族の方がおられるなら一緒に話を聞いて下さい。」と言われ、則を診察室の中に入れて一緒に話を聞くことになった。内容は、「本来ならすぐにでも入院してもらって、検査と同時に手術というのがよいのだけれど、まあ、連休明けの7日を手術にしましょう。」ということだった。その際、「乳房を残す方法もあるのだけれど、それはまだ確立された方法ではないので全部摘出という手術になります。」と説明された。

 「夏休みまで延ばすのはダメですか?」「入院するとしたら、どのくらいかかりますか?」本来なら則が質問するようなことを意外と冷静に自分で医師に質問している自分に驚きながら、いざとなると人間というものは動じない物なのかなと思った。(医者の答えは直ちに手術、数ヶ月の加療だった。)

 細胞検査の結果はすぐには出ないので、なるべく速くやってもらうことにし、その結果が分かり次第連絡をしてもらうと約束して、今日は帰ることになった。

 帰り道、則が「とにかく本を買おう。」と言うので、近くの丸善に行って乳ガンの本を買った。乳ガンとはどんな病気なのかを知ることが先決と思ったからだ。則は懸命に読んでいたが、私は読む気力もなくどっと疲れが出た感じでぼーっとしていた。(右はその時に買った本)

 歓送迎会があるという則と分かれて一人電車に乗っているとき、ジワジワと実感がわいてきた。が、本当はまだ半分以上は信じられない心境だった。細胞診の結果、あれは間違いでした、と言うことになるのではないかなどと馬鹿げたことも考えていた。医師があれほど具体的に手術の日を言う位なのだから、そんなことなどあろうはずもないのに。

 家に帰ってから、すぐに近畿日本ツーリストに行って5月の諏訪御柱、下社の里曳きの予約をキャンセルしてきた。その前の週に上社の里曳きがあるのだが、それは何とか行きたいとキャンセルせず。でも、本当に大丈夫なのだろうか。もしかしたら、これが元気に動き回れる最後の旅行になったりして・・・なんて事も考えて絶対に行きたいと思う。

 夜、乳ガンのオーソリティ、先輩の藤原さんに電話をする。全摘出という話をしたら、別の病院を紹介された。今は、そんな全部とるなんてことしなくても治せるのだということ。また、その方が術後のリハビリも楽であることなども聞いて、私の心は半分以上そちらの方へ向いた。

 帰ってきた則にその話をすると、半信半疑ながら、やはりS病院の方を勧めた。それでも、インターネットを駆使して乳ガンに関する情報を集めているうちに、だんだん則の考えが変わってきた。つまり、全摘出でない温存法というのが、それほど特殊な手法ではないこと、世界的には却ってこちらの方が主流であること、生存率・再発率共に変わりがないことなどが分かってきたからだ。

 私が寝た後も、則はせっせと情報を集めてくれていた。感謝。


則裕の記録

 今日は離任式があるので、あまり日にちとしては歓迎すべき日ではなかったが、とりあえず緊急性は高いだろうと言う判断の基、順さんに同行。私が診察室に呼ばれた段階での状況は、たぶん悪性腫瘍という前提からの説明であった。ほぼその方向は覚悟していたので、その段階での動揺はなかったように思う。乳ガンについての知識を得るために、本を買う。4時過ぎにJRに乗り、飯田橋で順さんと別れ、歓送迎会のある椿山荘(東京では蛍で有名な大型料亭)へ。別れ際に順さんをこちらは見送っているのに、何故かボーとしていたのか気がつかない様子だった。やはりショックは大きいのだろうと感じた。

 歓送迎会も1次会で失礼して、帰宅した。会場の椿山荘では、校長にこれから迷惑をかけることになることを説明。また、同僚の嘱託のYさんにも帰り際に説明した。こうした説明を何も歓送迎会会場ですることはないのだから、私も少なからず動揺をしていたのだと思う。

 さて帰宅して、インターネットで検索を始めた。最初に私が疑問に思うようになった点は、『温存する手法が10年くらいで確立されていない』という、S病院の医師の発言だった。その医師の説明は、それを受けたときはそうだと信じた。だが、様々なデータからも、温存法がにべもなく否定される状況ではないことが分かってきた。本当にインターネットはありがたい。少なくとも私はこれを勧めるが、その他にこういう方法もあるというべきを、こちらが何も予備知識もなく反論したわけでもないのに、のっけら全摘出をすると決めてかかるこの医師の手法が疑問になってきた。

 某国の皇室の血筋は朝鮮系という説を聞いたことがあるが、韓国では多くの乳ガン手術は温存法だという。だとしたら、近しい日本人にそれが適用できないはずがない。

 これは検討に十分に値すると思ったし、あとは手術の時間的な問題、つまり、2ヶ月あまりでこれだけ肥大化した患部が更に同じスピードで成長することへの恐怖から、あまりにも手術日に差があるとすれば、即刻でも手術できるS病院も選択肢にしなければならないだろう、といった考えに変わった。そこで、順さんにK病院のK医師に電話をするように強く勧めた。彼女はこの私の急激な変節には相当驚いた様子であった。

 今ひとつ書いておかなければならないのは、人間ドックで2月13日にS病院に行っていることだ。医師はその時のレントゲン写真(乳房を縦横に押し広げてとったもの)を見せて、石灰かはあるが1ミリか2ミリにすぎなかったことをも強調した。そして、エコーの結果を比較して成長を強調した。つまり、ミスではないということを強調したかったからなのだろう。だが果たしてそうだったのかは、この後のK医師との面接で大きな疑問となった。更に言えば、このときのS病院の医師との会話はK医師の一般向けの著作物の警告がまさしく現実のものであることを明らかにした。

 なお購入した本は、乳ガンというのが(というかガン一般がそうなのだろうけれども)孤独では克服が難しいことを訴える内容のものであった。

 今日の医療費だが、職域病院なので無料。