Egypt 旅行記(2004年12月25日)

ルクソール滞在

 今日も盛りだくさんメニューの観光だ。昨日買った本を読んで楽しみにしていたのだが、あまりにも数が多すぎて何処へ行くのやら。出発前に見学する墓がわかっていると調べ方も違っていたのだが。

<王家の谷> 8:35〜10:40
 入り口でバスを降りるとすぐに、可愛らしい電車のような乗り物に乗り換える。それほどの距離ではないのだが、皆これに乗っていく(ことになっているのか?)。
 聳えて立つ岩山の間を通り、王家の谷の入り口に付く。そこからは徒歩になる。人の数も多い。王の墓は、全て岩窟墓で、岩をくりぬくような形で造られている。その入り口は1間もない小さなものだ。
 我々は3カ所の墓を見ることができる券で、3世、4世、6世を見、他にツタンカーメンの墓を見ることになった。これらの墓は全て撮影禁止。

○ツタンカーメンの王墓
 ここはカメラビデオの持ち込みすら禁止で入り口で預ける。70pといい値段だ。
 中に入ると玄室があって、壁にうっすらと絵が残されている。思ったよりも小さく狭い部屋で、窮屈なだけで特に見るべき物はなかった。宝物は全て博物館に行ってしまっているのだから仕方ないだろうが、ガッカリだった。

○ラムセス3世の墓
 125mもあり、規模が大きい。古代王朝の栄光の時期の終焉を語るにふさわしい規模だ。在位は、紀元前1194年から同1163年の約30年間。
 入り口には、ハトホルの雌牛型の像が出迎える。そして入り口から一歩足を踏み入れるとすぐに壁画(レリーフ)の世界に放り込まれる。それも右も左も天井もだ。その壁画は色彩も良く残されていて見応えがある。冒険家ブルースによって、「竪琴弾きの墓」と名付けられる元になったハープ奏者の絵もある。

 

○ラムセス6世の墓
 兄の5世の墓を拡張して造った。右の写真は入り口の上に描かれている日輪。ここも入るとすぐにレリーフが迎えてくれる。
 この墓、統治の期間の短かった兄5世の墓を6世がそのまま使ったと言うことだがその詳細な事情はまだ想像の域を出ないようだ。何れにせよ宗教的には同一だったから同じ場所を選んだだろうといわれている。どのように二人がそこにあったのかは興味深い所だが、解説書にもそうしたことは書かれていなかった。
 ここで一番見るべきものは、一番奥の玄室の天井に描かれている「物語画」だろう。そこには背中合わせに二人の女神?(ヌトの二重の像?)がある。
 写真で見る下の方の女神が大地を支え、上の女神が天空を支えるという感じと受け取った。そして、下の方の夜の女神の口から食べられ腹の中にある太陽が子宮より再び生まれ昇ってくるという概念を描いたものらしい。これによって、王の命もまた再生されるという概念(思想)を表現しているtらしい。このモチーフは他でも見ることが出来た。
 興味深いのは、太陽が幾つもあるという考え方だ。太陽は唯一のものという考えが普通と思うのだが、太陽(ラー神)が再生するように、いずれまた王の一人の自身は他の王と同様に再生されるものと言うことだろうか。

○ラムセス4世の墓
 この墓もレリーフが見事だった。
 しかしながらそれよりもすごかったのは、おびただし数の文字が書かれ、それらが掘られかつ菜食されていたことだ。残念ながらその写真はない。

<ハトシェプスト女王葬祭殿> 10:42〜12:04
 かつてテロによる被害が出た所、ということで、単なる観光とは別に気を惹かれる所だ。前日から周りの岩山に潜んでいて当日襲撃に及んだそうだ。今はその辺りにラクダに乗った警官(?)がいて見張っている。もっともこの光景は、ここだけに見られたのではなく、観光地の何処へ行っても銃を構えた彼らを見ることができる。
 バスを降りるとここでも可愛い車に乗る。目の前に見えていて、歩いても10分足らずだと思うのだが、雇用対策かね、というのが我々の見方。
 今までは高さに圧倒される物ばかりだったが、ここのは横に広く大きい。3階建てのように見えるが、建物自体は2階建てだという。第一のスロープを上り第二のテラスへ出る。スロープの上り口左右にスフィンクスが並び、奥の柱廊右側にアヌビス神の礼拝所、左側にハトホル神の礼拝所がある。
 ハトホル女神礼拝所には、ハトホルの顔をした柱が立ち並んでいる。レリーフも残り、その中のいくつかはきれいに色も残されていた。柱廊の方へ周り説明を聞いていると、現地の男があっちにもいいのがあると言っていくつかのレリーフを指さした。それを写真に撮ると「1ダラー」と言ってきたが無視した。無視できない女性が代わりにボールペンをあげていた。
 それから右に回り、ハトシェプト女王の顔の像(たぶん)を見る。壊された物が多い中で、これが一番きれいですよ、と言われてみんなで写した。

<マディネット・ハブ〔ラムセス3世葬祭殿〕)> 12:10〜13:13
 メムノンの巨像の横を通り抜けてまずここへ来た。ここもまた大きな建物だ。
 ラムセス3世が「ラムセウム」をまねして作った葬祭殿。ラムセス3世はラムセス2世よりずっと後に即位した王だが、「偉大なファラオ」だったラムセス2世に憧れ、2世と同じように積極的に海外遠征を行い、多くの建造物を作らせた王だ。ここには多くの敵と闘ったレリーフが残されていて、その相手により絵柄が異なることをまず教えられ、それを探しながらの見学となった。
 凱旋門を入るとこれまた大きな塔門に出る。この塔門の天井に彩色が残っていて、かつての葬祭殿はいかに色鮮やかだったかがイメージできる。それだけではない、中庭を取り巻くようにある列柱と壁の装飾も、奥の列柱を取り囲んでいる部屋々の内部の装飾も色彩鮮やかで見事なものだ。

<メムノン巨像> 13:18〜13:23
 野っ原にポツンとある巨像。かつては隆盛を極めたであろうが、周りには囲い一つあるわけでもなく寂しそう。カメラに収めるだけですぐバスに乗る。

<昼食> 14:00〜14:40
 ナイル川沿いのレストランにて。ビール最初ないと言っていたが、あとtからじつはと出してきた。建前と商売は別なのがこの国。でももう食事は半ばだったので、ネーブルで水分を補給。ここだけではなく、この時期ネーブルはどこでも出され、またみずみずしく美味しかった。

<カルナック神殿> 14:45〜16:20
 入場するとスフィンクス参道を通って行く。ここのスフィンクスは頭が羊になっている。でも、違和感はない。そこを通って第一塔門をくぐると第一中庭に出る。ここにもスフィンクスがずらりと並んでいる。第二塔門の前にはラムセス2世の像が立っている。「パネジェムの像」と呼ばれるが、ガイド氏によればこれはラムセスだとのこと。
 カルナック神殿と言えば「列柱室」というくらい、134本の柱が林立する列柱室が有名。太さも則2人でもグルリと巻けないほど太い。その1本1本にレリーフが施され、所々色彩も残されている。すごいの一言に尽きる。開花式パピルス柱と閉花式パピルス柱の2種類がある。
 第三塔門を過ぎるとトトメス3世のオベリスクがある。その奥にハトシェプスト女王のオベリスクが見える。これはエジプトに現存するものの中では最大だそうだ。これはいろいろと曰く付きで、元々2本対になって建っていたのだが、1本は折れてしまい、現在そばの「聖なる池」のほとりに横たえられている。そのため、普段は見ることができないてっぺんを見ることができる。残された1本は後にトトメス3世によって覆いで囲われてしまった。おかげで保存状態がいいままで現在に至っている。この2人の争いも面白い。
 次にトトメス3世祝祭殿を見る。ここもきれいに色の残っているレリーフがある。
 それから周りを一回りして写真を撮ったりした。中でも大スカラベの周りを3周すると幸せになるといわれてすぐに実行。来年はいい年になるように・・・。

<ホテル>☆☆☆☆MERCURE LUXOR HOTEL
 昨日と同じ

★本日の歩数 則(17,867) 順(16,930)