このページを作った動機
動機その1
最大の動機は、インターネットへの恩返しということ。
奇妙な表現だと思われるだろうけれども、そもそもの動機はこれだった。というのは、我々夫婦はインタ−ネットの存在がなければ、おそらく現在はないものと思っている。私たちは様々な乳ガンの関する情報を、インターネット上の多くのウェブサイトにある膨大な情報を得て、例えば医師選択にあたって大いに役立ったのだ。
インターネットという意志のないものに対して恩義を感じることはおかしいが、それはその背景にある、直接にはウエブの制作者・著作者、間接的にはかかるシステムを構築した多くの先人たちに感謝をし、ほんの少しでも役に立てば、その恩義の1パーセントでも還元できれば、と考えた。しかしながらこの動機は書けばきわめて論理的な検討の結果のようになってしまうが、こうしたウエブページへのへの掲載自体はどちらからということもなく、自然発生的に夫婦間で当然のごとく生み出された結果であった。
動機その2
これは付随してのことだが、私順子の受けた術式にさらなる脚光を当てたかったから。順子は小学校の教師であり、利き腕の右が自由に動くことは職業にとっても、非常に重要な要素であったから。はじめハルステッド(乳房全摘出)術式で行うことが勧められた。こともあろうに、東京の公立学校の教職員が中心になって作っている職域病院の医師によって。
しかしながら、順子の頼もしい友人の薦めや、インターネットの情報は、乳房温存という術式がこの世に存在し、日本やロシア以外では、たとえば隣国の韓国でも、その術式が広く行われていることを教えてくれた。
今このサイトに多くのメールが寄せられているが、細かな術式の選択があるという説明もなしに、手術が終わって目覚めてみると胸が無くなっていたという悲劇がまだ多く存在することを、それらのいくつかは伝えている。この状態の打破についても、万分の一でもよいから役立ちたいと考えた。
今ひとつ注意すべきは、「温存療法」といっても「四分の一切除」とか「六分の一切除」とか、「くりぬき法」以外のものも含んで温存療法といわれていることだ。全摘出(ハルステッド)以外が温存療法と呼ばれているとといってもよい。この事も注意しないとならないと思う。乳房は女の命の一部であり、術式の選択によってもたらされるむごたらしい外見が、きれいな形で残りリハビリも楽でかつ生存率も同じだとすれば、くり抜き法以外の選択を選ぶ女性は少ないのではないか。
(98年11月15日追加)言葉で言うよりも実際の手術後の状態を見た方がはっきりする。そのようなサイトを探していたのだが、ついに見つかった。この写真を見れば、誰もが可能であればだが、温存を望むだろう。)(02年12月2日追記)最近では乳ガン治療の最前線では切除そのものを回避するような方向に動いているように思える。
動機その3
最後にこれから手術を受ける人々に、ほんの少しの情報と事実を直視する勇気をもってもらおうと考えたから。同病者の症状の話は周りの誰かががんばれというよりも、ずっと効果がある。術後はどうなのかとか、抗癌剤の影響はどうなのか・・・など、やはり経験者の話は説得力があった。リナック(放射線照射)療法の待合室で、手術した乳房を見せあっていた患者は、そこで心の安定も手にしていたと思う。順子も見せあうまでは出来なかったが、そうした話を聞くことは、闘病生活に勇気を与えてくれた。そうした人々が周りにいた順子は幸せだが、そうでない人はいつも不安と同居していなければならない。そこでこのページの話を、そうした立場の人達に参考にしてもらおうと考えた。
繰り返して言おう。私がリナック(放射線照射)療法の時に順番を待つ間に話した人々や、検診の時に話しかけてきた人々の情報が、どんなに元気づけられ心の安らぎをもたらしたか計り知れない。その元気づけと安らぎとを、ほんの少しでもよいから今貴女に、と考えた。
(99年6月1日追加)それから今思うに、「事実を直視する勇気」と書いたが、自分自身が事実を直視する勇気をもってことにあたるその糧としたいとむしろ考えたからだろう。動機がどうのこうのといっているが実はこれが一番の動機だったかも知れない。術後1年が経過した今、振り返ってそう思うこのごろ。