8月26日(月) 晴  ハノイ→ダナン→ホイアン 〔ホイアン泊〕

健康チェック:順最高血圧115(則132)・最低血圧83(87)・脈拍62(64)・体温36.0(36.1)

<朝>
 今日は8時の飛行機にのると言うことで、ホテルは6時には出ないとならない。したがってモーニングコールは4時30分。が、心配性の我々は、4時に目覚ましをセットして、起床。毎朝恒例のことをして荷造りを終えたのは4時35分。5時の朝食までは少し余裕を持つことが出来た。
 5時になったので、自分で荷物を降ろしがてら朝食会場へと行く。今朝はみんな早い。 6時にはホテルを出発6時40分に空降着。朝早いせいもあって結構なスピードで飛ばしてきた。すぐに手続きに入ったが、ここは、国内線のせいもあるのだろうか荷物のX先検査はなかった。


<ベトナム航空311便>
 飛行機に乗り込むとすぐにおしぼりのサービス。1時間あまりのうちに軽食が出ると言うからやることは早めにやっておくのだろう。やや遅れて8時7分離陸。すると、もう8時25分には軽食が出た。小さなミネラルウォーターとこれまた小さなハムロールのセット。まさに軽食だ。でも、もう9時7分には着陸してしまったのだから、出るだけましというところか。

<ホイアン市内はシクロで巡る>
 ここからは、昨日までと違ったバスと運転手。そのバスは9時30分には出発して、最初の見学地ホイアンへと向かう。ホイアンへ着くとまずトイレ休憩。そして10時30分から11時25分まで、ホイアン見学となる。

 ベトナムは暑い。いやベトナムも暑いと書いた方が良いくらいに、東京もヒートアイランド現象というのであろうか、とにかく暑いわけだが、だからといってベトナムが過ごしやすいわけではない。ホイアン空港からホイアンを目指す途中で、ホイアン観光はシクロに乗ったらどうかという提案があった。シクロというのは、自転車の前に人間を乗せた車。順さんは乗りたいと思っていたから大賛成だ。一人3$というのが高いような気もしたが、時間と暑さを考えたら1時間の観光が断然ラクになる。というわけで、全員がシクロに乗った。
 昼食場所でトイレを使わせてもらった後、シクロに乗車。もっとも行った場所は2カ所で、最初は日本橋というところ。山田長政の話を出すまでもなく、かつてこの越南の国にも日本人は来ていて、日本人街が形成されていたということだ。17世紀を迎える以前に日本人街は姿を消したらしいが、日本人街と中国人街の間に川(運河か?)が流れていて、そこに日本人が金を出し合って橋を架けたらしい。そこでこの橋を通称、日本橋として紹介している。橋は紅葉の名所の東福寺通天橋のように、屋根が着いた橋だ。申の年から作り始め戌の年に完成したと言うことで、中国人街側に猿が、日本人街側に犬が置かれてる。しばしそこで解説を聞いたり、写真を撮ったりした。
 次に海のシルクロード博物館に行った。元々は中国人が住んでいた所だ。ところが、ここへ着くと順さんが足が痛いと言って大騒ぎしている。やけどしたようにひりひりするというので、急遽日焼け止めを塗ったり水で足を濡らしたりした。それにしても、いくら暑いとは言ってもたかが5分程度しか乗っていないのにどうしたことかと思っていたら、どうやらアンメルツをぬったところが汗で濡れてひりひりし出したらしい。と原因がわかってもとにかく痛くて動きたくないようなので、そこで写真を撮ったり近場をうろうろしたりして自由時間を使い果たしてしまった。
 ところでこのシクロだが、まあ慣れているとはいえ運転はうまいものだ。ぎりぎりですれ違うのでこちらは冷や冷やのし通しだが、なんと言うことなくすれ違っていく。危ないということはなかった。しかもスピードがそんなに速いわけではないので、ゆっくりした視線で見られるので、慣れると結構楽しめた。この街は観光客が多いらしく土産物屋がたくさんあったが、それらも楽しんで眺めることが出来た。

<昼食:「Pho Hoi Garden」 汁なし麺>
 さてシクロでレストランに戻り、11時30分から12時30分まで昼食。ここでの食べ物としては、汁なし麺ということだったが、そのほかにも沢山の食べ物が出た。だから暑いことと相まって当然のように沢山のビールを飲むことになる。汁なし麺はニンニクが使われていたが、さっぱりとしたもので、食べやすかった。もっとも魚醤もタイのものほどきつくはないので、これといって食べづらいものはなく、殆どのものが我々の口にあった。これはこの旅共通のものだ。

<ミーソン遺跡>
 食事の後、バスはひたすらミーソンを目指す。ここは悪路と聞いていたが、結構道路整備も進んでいて1カ所を除いては普通の都会の道路と何ら変わりなく快適なので、我々はしばしのお休みタイム。13時35分、予定よりもだいぶ早くミーソンに着く。そこでバスを降り、チケット売り場を通り、竹のつり橋を渡った。これがほんとに竹でできており、一応下に鉄のワイヤーが1本支えとしてはおるようなのだけれども、かなりのスリルがある。しかも喜んで揺らす人がいるので怖い。といっても祖谷のかずら橋を経験している身としては、まあ少し余裕もあったが。その横をしっかりとしたコンクリートの柱を打つ工事をしていたからいずれは車で通れるような橋になるのだろう。そこを渡って向こう側に行くとジープがあり、それに乗って進む。あいにく今道路工事をしている最中で、ここはまさしく悪路。振り落とされないように必死。大型ダンプが通るので悪路がさらに厳しいものになっていた。途中道路工事箇所で一旦下ろされると、少しの徒歩区間があり、その先から更にジープに乗った。今度はそう悪路ではなく、殆ど工事が終了している区間をしばらく走り、そこからは徒歩。
 14時15分から15時15分までがミーソン遺跡観光となる。2時間あれが十分と聞いていたので、足りないなあと思いながらも、この暑さの中ではそのくらいでもいい。
 さて、足を1歩踏み入れると、そこは今までと真全く違った世界だった。崩れた煉瓦、苔むした岩などが立ち並ぶ。近寄ってよく見ると、壁の所に女神像等も彫ってあり、また、彫刻を施した石塔などもあって、その時代の様子を少し垣間見ることができた。ここには古い順にA〜Hまで区分されており、歩いてみて回れるようになっている。ただ、殆ど整備されていない状態なので、どこの部分が新しくてどこが古いと判断された基準になっているのかとか、時代の違いとかが、素人の目には全く分からなかった。もう少し解説があるとよかった。現地ガイドも付かれているのか入り口でどうぞ行ってらっしゃいと言うだけで、他のグループのようについて回ることもしなかった。
 たくさんあるグループの中では、入り口から一番近い所にあるB、Cグループが保存状態もよく一番その時代の雰囲気に浸れる所だ。後は殆どが崩れかけた煉瓦の瓦礫と思えばいい。レリーフの施された石柱なども倒されたままになっていた。ただ、そこから思いをはせてその時代を想像するのが遺跡の楽しみだから、悪くはない。
 たっぷり1時間を堪能して待ち合わせ場所へ戻ってみるともう全員がそろっていた。
 またジープを乗り継いでバスの所へ戻り、15時55分にそこを発った。
 17時25分 ホテル着

<ヴィクトリア ホイアン リゾート ホテル 111号室>
 ここは目の前が海という、まさにリゾート地。プールもあり、おまけに象までいて観光客を楽しませていた。建物はこれまでのようにビル型ではなくコテージ型。我々はその2階部分。入り口でヤモリが出迎えていた。
 シャワーのみだが、その他のものは一応そろっている。スリッパ、ガウンまであった。

<夕食:ベトナム料理>
 18時45分〜20時20分まで夕食。今回はホテルではなくバスで近くのレストランへ出かけた。

<戻る>