7月26日 |
天気 晴れ シギリヤ→空港 約150km?
○シギリアロック(8時30分から10時)
とうとう最後の朝を迎えた。起床は5時。いつもと同じだ。さあ今日はいよいよシギリヤロックへ登る。昨日の午前中のように涼しいといいのだけれど、と願いながらも覚悟を決めて、6時30分朝食を取りに行く。昨日と同じ場所、メニューもほぼ同じだった。
そして、8時に出発。ここは麓にあるホテルなので、8時10分にはシギリアロックの登り口に着いた。遺跡は頂上にのみあるのかと思ったら、ここにも跡が残っていた。後で上から見るとちょうど道のようになっていてその両側にいろいろな建物があったらしい。そこで全員で記念撮影をしていよいよ出発となった。8時30分だ。(左の写真でが麓からみたシギリヤロック。中腹に黄色く見えるところが後に出てくるミラーウオールと呼ばれるところ。このミラーウオールの右の方にシギリヤレディーを見るための螺旋階段がある。ライオンの口は一旦それを下りて、ミラーウオールを左の方に行き、そこの広場のライオンの足の部分から頂上を目指す。)
このころになると遠巻きにしていた地元の人(一応ガイドだという。それぞれが写真付きの許可証のような物を持っていた。)が近寄ってきて手を差し伸べてくれた。勿論ただというわけではなく、あらかじめ一人300ルピーと聞いていたので、断る人ははっきりと断って自力で登っていった。
順さんはというといつの間にか2人のガイドがつき、両腕を抱えられるようにして登っていた。その格好が連行される被疑者のようだと自力組の則は大笑いして何度もシャッターを切る。が、順さんはそれがよくて、どっぷりと二人に身を任せていた。おかげで階段は全部で1800とも2000とも言われていたが、みんなに遅れることなく登ることができ、8時45分にはもうシギリアレディに着いた。ここに行くには、すれ違うのもやっとという狭い螺旋階段を上っていく。高さにすれば10mくらい?
さて、このシギリヤレディは見応えがある。前もって見ていた写真と同じ物が目の前にあるというのは感激だ。しかもそのほとんどの場合、写真では修整した色で鮮やかなのに本物は違っているのだが、ここのは写真とほぼ同じ印象を受けた。以前は500とも言われたフレスコ画だが、今では18しか残っていないのだそうだ。それも全て完璧な形で残っているわけではなく、残念な気がするが、これが歴史の長さという物だろう。そこも狭いのでいつまでも眺めているわけにはいかず、10分ほど見て次の人に場所を譲ることとなった。
下りた所はミラーウオールというオレンジの壁。太陽の光で壁画が反射してきれいにうつったとか。今も少しその名残はあるが、何しろいたずら書きが多くて・・・困ったものだ。で、今は近づけないように柵がしてある。
それからまた少し登って9時05分、ライオンの入り口に到着。ここで一息。でも、これからがまたすごい急坂なのだ。上を見上げると大きなため息しか出ない。それでもシギリヤボーイが写真を撮ってくれたり、慰めて(励まして?)くれたりして、やっと登る気になった。狭い階段が続いているが、シギリヤボーイたちは手慣れたものでうまく補助してくれる。順さんの息が上がったと見ると、「休憩、休憩」と言って休んでくれる。この人たち、結構日本語が上手で本来の仕事であろうガイドもやってくれる。ただ、しきりにフォトフォト、と言って写真を撮ることを勧める。日本人はそれが喜びだと思っているからだろう。我々も全くそれに該当しているもんなあ。
そんな手助けもあって、何と9時20分には、もう頂上の宮殿跡へ到着した。下から見上げたときにはどのくらいかかるのか予想もできなかったが、たったの50分くらいで登ってきたことになる。普通なら2時間で行って帰ってこれるという添乗員さんの言葉通りだった。360度、見渡す限りのジャングル。遠くに岩山がいくつか霞んで見える。
上は思ったより狭かったが、そこに2段の石が積んであった。これを上って初めて完全になるのだそうだ。ということでそこは撮影ポイント。順番を待って記念撮影をした。
この狭い所に宮殿があったのだ。石積みの跡が残っていておおかたの枠組みは想像はできる。その中に、お風呂やダンスホール、劇場まであったというから驚きだ。特に、風呂は大きくて、どうやってここまで水を運んだのだろう。それは未だ解き明かされていないとのことだ。ただ、今でもあちこち修理をしていたが、そのための材料を階段に並んだ多くの人がバケツリレーをしているのを見てこれかなとも思う。
一通り見学をして回って9時40分に下山開始。下りながらもボーイたちはよく説明してくれた。感謝感謝の気持ちでいっぱいだったが、ガイド料はお約束通り1人300ルピーですませた。あちらは不満そうだったので、順さんは追加しようとしたが則はきっぱりと断った。どうもこういう所、順さんは甘くてしょうがない。これだから財布を預けられないのだ。
○昼休み
この頃になると日が上がって、昨日とは違ってもう暑くなり始めた。が、今日もホテルへ戻って少し休めるので嬉しい。10時に出たバスは10時10分にはもうホテルへ戻り、すぐにシャワーを浴びることができた。荷物の整理をし、帰る用意もできたので少し横になって体を休めた。こういう中休みは体にとってはとてもいいことだ。日常の仕事でも、昼休みに寝るというのは次への活力の元になるのでよいと報告されていたのを思い出す。
○帰途へ
12時30分、最後の昼食。もうレストランの薄暗さにも慣れて美味しくいただいた。そして、14時、午後の部へ出発。といっても帰り道なので、何を見るということではない。空港までの長い道のりになる。(写真はレストラン脇のプールから見えるシギリヤロックにガッツポーズの順さん。)
15時30分、最後の試食タイムサービス。道ばたの店でオレンジヤシを買い求めて飲ませてくれたのだ。うちはお金を払おうとしたのだがそのときにはもうみんなバスに戻ってしまって、添乗員さんと顔を合わせて苦笑いをしてしまった。もう何度かこういうサービスを受けているので当たり前のように思ってしまったらしい。結局うちも払わず、あれはどうなったのだろう。
15時50分にクルナーガラのホテルでトイレ休憩。16時5分、Kurunegaraという分かれ道になっている大きな街を通過。コロンボまで95kmの表示有り。まだまだ遠いなあ。17時38分 コロンボまで38kmの表示のあるネゴンボという街へ到着。ここは小さいローマと言われるほどキリスト教徒が多いとのこと。街には活気があり、珍しく信号機が随所に見られた。ここでスーパーへ入る。品物には値段が付いていて、レジ方式で日本や欧米のと同じ形態。安心して買い物ができる。ここでお土産用にとカレーペーストを10個購入。裏に作り方が書いてあるので、帰ってから翻訳して一緒に渡すのだ。
18時に、空港近くのネゴンボエアポートガーデンホテルで休憩。ここで夕食をとるのだが、時間があるので本を買ったり散歩をしたりして時間をつぶす。入り江の散歩ができるということだったが、それほどきれいな所でもなかったのでレストランの席に着かせてもらって時間を待った。やっと、19時10分になって夕食。コックさんがいてバーベキューをしてくれたので、そこから好きな物をもらって食べる。なかなか美味しかった。それにしても、この国は食材が豊富だ。路上の店でも野菜があふれていたし、肉類も牛、鳥、羊、豚とそろっている。魚類はいうに及ばず。カレーだけではない国だった。
○空港〜出国〜帰国
20時30分、空港へ向けて出発。すぐそばなので、20時35分には空港着。もうこの辺りになると銃を持った兵隊さんがたくさんいた。まだまだ不安定な部分が残っているということだろう。建物にはいるときにも厳しいボディチェックをうける。エックス線検査を受けて中に入ると、係員がいて荷物は全部開けて検査、ということだったが、手荷物以外のスーツケース類はスルーパス。団体旅行のせいかな。その後の団体も同じで、手でさっさと行けというような合図をされていた。手荷物は一応開けさせられたが、形式的な物だった。かなり手間取ったが、21時25分 チェックイン完了。座席がバラバラとのことで大変だったようだ。我々も別の席だったが、添乗員さんの配慮で席を変えてもらって隣に座ることができた。それでも、それができた我々は運がよくて、他の団体はそれもできなくて更に大変だったようだ。ただ、窓際の席は一つもなかった。これは後で分かったことだが、この飛行機はモルディブから来るので、それらの客で既に埋まってしまっていたらしい。しかもその客のほとんどが若いカップル。うーんうらやましい。
全て手続きが終わったので、22時、帰国時お定まりのDFSでの買い物。勿論アラック(オールドアラック)。3本購入。いつものことながら、重いのが分かっていながらこれはやめられそうもない。まだ時間があったので椅子に座って待っていると、放送で手続き開始するので客は移動するようにとの連絡があった。行っててみるともうボーディングパスを切り取って待合室へ入れいている。その後にどっとモルディブからの客も入ってきて、機内に案内されるのも早かったために、なんと定刻の10分前には動き出していた。何回も飛行機に乗っているが、こんなこと初めてだ。そして、23時50分、定刻にはもう離陸していた。これなら早く着きそうだと思っていたが、実際には向かい風が強くて、来るときよりも長い時間かかってしまった。
0時50分頃から機内サービス開始、1時30分 食事終わり。
(ここから日本時間)
一寝入りしたあと、9時50分 軽食サービス開始。11時55分に着陸。
当日配達に間に合うようにと祈ったが、バゲージが出てくるのがかなり遅くなったこともあり、荷物の宅配は翌日午前中の予定分となった。残念だったが仕方がない。
12時48分 スカイライナーに乗車して14時35分 家に帰着。
旅の始まりはいつも楽しいが、旅の終わりはいつも寂しい。又都会の喧噪にこうして我々は戻っていった。