7月21日


天気 曇り時々晴れ間、スコールのち曇り    コロンボ→148km→ゴール

○朝
 朝は以外と遅くあけた。天気は昨晩の雨が尾を引いているのか曇っている。5時と偽り4時40分くらいに順さんを起こす。まぁ四捨五入すれば5時だ。それから昨日分の日記を書いて、6時頃朝ご飯を食べにバイキング(正確に言えばビュッフェスタイル)レストランに行く。まだ我々のグループでは先に1組だけ来ているだけだったので、またそのほかの客も殆どいなかったので、比較的にゆったりと食事が出来た。内容は、順さんが普段の朝食で、則はカレーライスの朝食。その後に、ホテルの外がようやくあけてきたので、朝食場所からも見えたホテルのプールの回りを散歩した。カラスが多いと聞いていたが、日本のそれよりはやや小ぶりの彼らが確かに多かった。花もブーゲンビリアやハイビスカスといったものが沢山咲いていて、やはり常夏の国に来たことを実感した。そのあと荷造りに自室に戻り、終わったので今度はホテルの外へ出てみた。ホテルを出ると直ぐにリンタクの兄ちゃんがよってきた。リンタクと書いたが、タイのツゥクツゥクのようなものだ。これはそこいら中で走っているが、タイのようにきらびやかなものはないが、その分座席などもしっかりしていて、タクシー代わりとしてはたぶんこちらの方が乗り心地はよいだろう。プルメリアの木があり、レイの花の木がこういうものだと言うことがわかった。

 8時5分にロビ−に集合して、我々はABCの3班に分けられた。これはバスの座席を公平にするために、この旅行会社でとっている方法だ。うちはC班で本日は一番後ろのグループ。といっても今回のバスは、日本製であるにもかかわらずバスの車体の下に荷物入れがないので、最後尾の座席はそれに取られてしまって、いつもの快適な後方座席というわけにはいかなかった。おまけに、則は車輪の上、順さんは会社で用意したみんなのための傘に座席の半分を取られている。後で聞いたことだが、このバス、日本製といっても古い(車は日産ディーゼル製なのでまぁ平成元年くらいのものだろうか?)ものなのだそうだ。そういえば日本の文字をそのまま残した中古車も数多く走っている国だから、これもきっとその仲間なのだろう。

○コロンボ市内観光
 ともかく、8時15分にバスはホテルを出発。今日は日曜日ということで、ラッシュアワーにあわずにバスはスムーズに進み、途中イスラム寺院を外観から見学して(この国ではモスクにはイスラム教徒でないと中に入れないらしい)、8時30分バザールにつく。

 文字通りの東南アジア系のバザールだ。人々でごった返し、時に夕べ降った雨で足下を足られそうにもなる。輸入物のリンゴや柑橘類(後で食べたがオーストラリア産)なども並べられており、経済的にはかなり余裕があることもわかる。こうしたバザール見学では、面白いのはなんと言っても食料品売り場だ。ニガウリの子供のようなものやニンニク、これまた小さなにんじんなど野菜も豊富にある。肉屋の所では、豚であろうか肉をぶら下げて切り売りしている。人々もすこぶる人なつっこく、写真を撮れと声をかけてきたりする。小一時間ほどここを見学してから、代表的なヒンズーと仏教の寺院見学に出発する。

 最初にヒンズー教の寺院に行く。外観は神々などで飾られてかなり絢爛豪華だ。この地方では寺院には裸足ではいる習慣があるらしく、寺院の中に入るには下足人に靴を預ける。これが有料だが、ツーア代金の中と言うことで、そのままはいるが、靴で歩いてもおかしくないくらいに足下は結構怪しい。かなり靴下は汚れると覚悟し入った方がよい。中には中央祭壇があり、外の壁面に様々なヒンズーの神々が奉られ、ぐるっと回ることの出来る構造だ。中央祭壇の途中までは信者なら行くことが出来るそうだが、その先のシバ神の奉られている場所には坊さんしか行けないそうだ。熱心な信者が数人寺院には訪れており、祈りを捧げていた。回っていくと、およそ4分の1くらい回ったところで、坊さんが鼻の上に香油をくっつけてくれる。現地ガイドの人がそれをしてもらったので、則もまねしてしてもらった。黄色い色が付いた。ここの見学は9時35分から45分までの10分ほど。

 それから10分ほど走って今度は仏教寺院に行った。勿論ここも入り口で靴を脱ぐ。ここで下足番をしているのは足の悪い少年だった。ここは寺域も結構広く、本堂?にもちろん巨大な釈迦むにが座り、天井までびっしり様々な絵や彫刻が施されていた。涅槃像だけがその意味するところがわかるだけだった。本堂?を出ると、教場のような所で沢山の子供たちが勉強をしていた。日曜学校なのだそうだ。日本の仏教もこうした努力をしてはいるが、圧倒的に数の少ないキリスト教に押され気味なのは、やはり葬式仏教と化した坊さんたちの問題だろうか。菩提所の木があり、そこには願い事を書いた絵馬のようなものだろうか、絵はなかったけれども白い切れが巻かれていた。むしろチベットのタルチョに近い。宝物館の1番目を見学したが、奥には修行中の釈迦の骨皮になったガンダーラ仏があった。それからもう一つの宝物館を見学。ここでは、仏塔を頭の上に載せてくれて、幸せを祈ってくれた。則だけ例によってやって、順さんに申し訳ないと思ったが、順さんはやらなかった。外に出ると沢山の、日本の千体仏のような仏様の挫創のあるところに出た。皆ここで写真を撮ったが、仏様にお尻を向けないように随行してきてくれていた坊さんの注意をいただいた。10時20分に出発。

 途中トイレに行きたいという人がいたので、急遽、おみやげ屋にはいる。時間がないので急いでくれという添乗員の言葉を無視する形でスリランカの形をしたおみやげを購入。260ルピーなり。

 バスは次に国立博物館に向かった。広大な庭園の中の白亜の建物だった。ここでは写真撮影代が160スリランカルピーかかる。ビデオは禁止ということだ。こうした場所がたくさんあると困るが、そうでもなかったので則は払うことにした。しかし中は暗かったので、そしてフラッシュは禁止と言うことで、およそ200円というのはあまり効果のあるものではなかった。最初に入ったのはシバ神などの置かれている部屋。シバ神だけは撮ったが、その回りの奥方の像は皆が頭をガラスにつけてみるので、ガラスも曇り、おまけにガラスの反射もあって撮影を断念せざるを得なかった。この博物館は文字通り様々なものがあり、王族の使ったいすや王冠、飾り物、・・・しかしながらこうしたものの多くが16世紀前後のものであり、丁度列強の支配下におかれた時のものが多く、年代的な古さを感じさせるものは一部の仏像の他はなかった。撮影中に、いろいろと話しかけて説明をしてくれるおじさんがいたが、あまりよく分からなかったのが残念。

○昼食
 バスは道を間違えたり少々時間を使って昼食のレストランへ。メニューはロブスター。もうそれだけで順さんはうきうき。添乗員氏があらかじめ話していたように、全体的にはやや塩辛い感じの味付け。最初にスープが出たが、やはり塩辛かったが、それは南国の紀行がそうさせるのだろうと思う。ここではキングというブランドのビールを飲む。このビールは味にやや癖があるが、アルーコル度数も低く、それ以外は飲みやすいビール。ただまいったのは、2本目が、たぶんその日の予定は終わったのではないかと思わせるくらいに、やや生ぬるいもの。やっとでてきたメインのプレートにはテルミドールのようなやや小ぶりのロブスター料理など、いくつも載っかったもので、欧米人向けの量のものだったが、順さんはエビカニが好きなのでかなり食べた。そういえば、朝ご飯は少し少なめにしていた理由はここにあったらしい。

○ゴールへの道
 それからゴールへの道のりは結構あったので、最初の30分くらいはビールの酔いも手伝ってお昼寝タイムとなった。バスが小一時間は知ったところで突然止まった。マンゴスティン売りの方に運転助手が近づいていく。どうも値段交渉が旨くいかないようで、バスを往復したり別の店へ行ったりで、結局いくつか買ってきた。尤も店といったって、街道沿いのただのパラソルがあるだけの所だが、こうした店がいくつかある。買ってきたマンゴスティンは早速皆に振る舞われたが、冷やしていない割には甘酸っぱく美味しかった。

 再び少し走ってバスが止まった。今度は椰子の酒を造っている場所だった。ただしその時は作っていないようだったが、それでもそこの主であろう人が、椰子の上にかけられたロープを渡る様などを見せてくれた。花の所から出る樹液を自然に置いておくだけでどうも発酵を始めるらしい。これがラク(そういばトルコに同名の透明のやはり蒸留酒があった。これは水を加えると白濁するというものだ。)というもので、それを集めてさらに発酵をさせて蒸留したものがどうやらアラックらしい。
 そこを走り出すと、どうも室内の温度が高い。冷房が効いていないようだ。みんなが騒ぎ、やがて窓を開けた方が涼しいということになった。しばらく走り、ガソリンスタンドで止まり、クーラーの水を入れ替えるなどの対策をして、また走り出したが、この車が機能的に限界に既に近づいているためのように思われた。走行時間も予定よりもかかるし、この先が思いやられる。その後も大して涼しくならない車内のまま、バスは走り続けた。

○アンバラゴダ(悪魔払いの仮面の街)
 次に立ち寄ったのは、アンバラゴダのマスクミュージアムというところで、早い話がお面の工場だ。魔よけや幸せを呼ぶという仮面の簡単な展示があり、そして簡単な作っているところを見せる場所があり、そして販売をしていると言うところだ。一部の仮面はバリ島で見たものと酷似をしており、その昔交易があったのではと想像をさせられた。ここを16:15〜16:40まで30分ほど見学をして出発すると、何という町かはわからないが、またまたバスが止まった。今度は前にこの地域のペラヘラ祭の行列が通過するための停車だった。文字通り行列だ。バスから身を乗り出して見ていたが、これでまた時間を費やし、バスは迂回路を通りそこを脱した。

○ゴール【世界遺産】
 今回の旅のキャッチフレーズはペラヘラ祭だが、今ひとつスリランカにある7つの世界遺産のうち自然遺産1つを除く6つの文化遺産スベテを回るコースだということがある。普段はこれを売りにして、このコースは設けられている。そのために他の4つは割合とまとまって、スリランカの文化三角地帯を形成しているのでまとまりがよいが、ゴールを見るために日程がきつくなっている。バスは夕暮れとおいかけっこでゴールを目指した。

 17時40分〜18時までゴール要塞を見学。韓国の水原のように街を取り囲む様に壁ができている。その城壁の中に入って、少し散歩をした。白い灯台を遠目に見て城壁の一部へ登ると、そこは観光スポットのようでたくさんの人で埋まっていた。城壁の外側は海。完璧な防御壁となっている。地元の人も来て涼んでいたが、その中の若者グループにまた話しかけられた。こちらの人は人なつっこい上に皆流暢に英語を話すのだ。これからもこういうことがしばしばあった。壁の内側に並木があったが、それがバルサの木だという。お面を作る材料になる木だ。この地方にはこれがたくさんあるので、先のアンバラゴダのようなお面の街があるのだそうだ。それから少しバスに乗って一番のメーン、時計塔へと向かう。オランダ時代に造られたというこの塔は今もほぼ原形を残して高くそびえている。勿論周りの城壁は崩れているが、全体を見下ろすことができるので概要が分かるいい所だ。

 前はインド洋。風が強く波は高いが広々としてきれいに見えた。

○ホテル到着と夕食
 18時15分 ホテルに着いた。目の前がすぐ海という立地条件のところで、どの部屋も海に面しているそうだ。つくとすぐにお手ふきとウエルカムドリンクで歓迎してくれた。部屋は、結構広くてゆったりしている。しかもベランダ付き。中を見るとシャワールームにはしきりがあるのだが、バスタブと部屋のしきりはないという面白い作りになっている。が、そんなことはお構いなしに早速洗濯にかかる。これが失敗だった。つまり換気扇という物がないので、部屋の中がお風呂の湿気がもろに入ってくる。一向に乾く気配がないのだ。そこで外へ出したが、これも海の前ということで湿気100%状態で、全く乾かなかった。これは仕方ないので、ビニル袋に入れて次のホテルまで持っていくことになる。

 19時45分から夕食。海を見ながらゆったりした気分。バイキング形式なので、順さんは大喜びだ。これなら好きなものだけ食べればいいのだから。則はカレー中心に盛りつけていた。突然事件。地元のおばあさんが則に体当たりしてきたのだ。どうやら滑って転んだらしいが、まともにその被害を受けてしまった。どうにか踏ん張ってお皿を落とさずにすんだが、盛りつけた物がこぼれて洋服を汚してしまった。食事のあとまた、洗濯だ。
 ようやく22時に寝ることができた。

【ホテル】ライトハウス 212号室
 海に面した2階建ての横に長いホテル
 バスタブ シャワールーム バスローブ プール用バスタオル 風呂用バスタオル
 タオル バスフォーム ボディローション ソーイングセット シャワーキャップ