7月27日(水)  スバシ故城     ウルムチ 新疆大飯店(Xinjiang Grand Hotel) 1608号室 泊

◇スバシ故城



戻る


7.クチャ観光(2) 

7.1 スバシ故城 0915〜1000
 クチャ河を挟んで東と西に分かれる。通称故城と言うが、実際はスバシ仏寺跡である。観光できるのは西のみということで、東の部分は遠目に双眼鏡で見るだけ。東の方が少しだけ規模が小さいと言うことだ。また冬期には、クチャ河が凍結するのでわたることが可能という。我々は仕方がないので、双眼鏡で見物した。上の写真は、対岸の東側の寺を見たところ(画像処理して土塊を目立たせている)。仏塔などがわかるだろう。それからその規模も壮大であることがわかる。日本の東大寺と西大寺、西本願寺と東本願寺といった感じのものなのか?何故二つなのかは定かではなかった。
 はっきりとした形の物は残っていないが、砂の下にはたくさんの遺跡がまだ埋まっていることが容易に推測される。地上に出ている部分から、歴史を見るのも楽しいものだ。そういう遺跡である。
 仏塔にはここでは登ることが出来る。眺望がすこぶるよい。またそこに登ると、この寺域の壮大さが改めて確認できる。
 観光客はほとんどいない。テレビの撮影チームが来ていた。玄奘三蔵もこの地で修行をしたと言うことだ。

7.2 民家で昼食 1200〜1415
 前回の民家の昼食が思いの外よかったせいか、今回の民家の昼食も楽しみにして行ったのだが・・・。
 ウイグルの人の家ということで、本当に普通の家。中庭はブドウ棚になっていて、強い日差しを遮るようになっている。そこに面した所に食事の用意がされていた。大きなパン、果物などがたくさん並んでいた。ハエもたくさんいてブンブン飛び回ってそれらにたかっていた。その家の小さい娘がハエを追い払う役目で一生懸命に払ってくれたが、ハエもしたたかですぐに舞い戻ってくる。この家では家畜も飼っているので、このハエがそれらにたかっていない共言えず、何とも不衛生だ、とは思ったが、どうぞと進めてくれるおじいさんの言葉をむげにもできず、遠慮がちに少しだけほおばった。
 しかし、肝心の主食がなかなか出てこない。今日は飛行機で移動なので時間が気になる。どうやらシシカバブを作ってくれているらしいのだが、我々が着いてからおもむろに串を洗ったり火を起こしたりしていたから、何ともゆったりしたものだ。
 則さんが様子を見に行ったりしているうちにようやく出来上がった。大きな串が一人3本。量が多くてとても食べきれなかった。おそばも出たが、味はいまいちだったので、これも残してしまった。結局ここでは、休息をしたようなものであまり食べなかった。
 やっと帰るときが来て車に乗ろうとしたら、料金が折り合わなかったらしくて、民家の人とこちらの係の人とで喧嘩になった。しばらくそういう状態が続いて、結局こちらが折れたようで決着が付いた。
 ここは清潔好きな日本人には向かない民家だった。それから飛行場へ急いだ。

7.3 空路、ウルムチへ 
  クチャ(1445)HU7416便 (1545) C・D (3−3)
 空港へ着くとすぐに手続きをして飛行機に乗り込んだ。結構ぎりぎりの時間だった。
 飛行機は15時発の予定だったが、全員揃ったらしく何と15分も早く離陸。今回の中国の旅では飛行機にしろ列車にしろいつも時刻が正確だった。いや、むしろ定刻より早めのことが多かった。遅れるのが当たり前のようだった以前では考えられないことだ。オリンピックを目前にして改善されたのか。
 天山山脈を越えるなどするので、外からは雪が残った山なども見えた。
 と、ここまではよかったのだが、迎えの車が来ない。結局空港で50分ほど待たされる羽目になってしまった。そうこれが以前の中国だったのだ。

7.4 夜店 1820〜1850
 ウルムチ(烏魯木斉)は新疆最大の都会だけあって、大きな街で、そこが新疆とは、ウイグル語がなければ直ちにはわからないくらいの街だ。ホテルもよかった。ホテルへ着いてから今日の夕食は町へ出かけた。ウルムチ在住の係員という人が挨拶に見えたが、すぐに帰ってしまった。ガイドさんと3人で食事をしながらいろいろな話をした。こんなにゆっくりと話すのは初めてだ。彼の家庭のこと等、かなり踏み込んだ話までした。最後に、日本食というものを全く知らない彼のために、帰国してからレトルト食品でも送ってやるということになった。(写真は、「もち」〜少しもっちりしたかんじが残るものでパンのようなもの〜の中に、真ん中の野菜や肉を入れて食べる料理。北京ダックのようでもあり、ハンバーガーのようでもあり。)
 その後歩いて夜店へ行った。これが面白かった。活気があるのは言うまでもないが、美味しそうな屋台がたくさん並んでいた。清潔そうで、ここなら安心して何でも食べられそうだ。屋台にはそれぞれ許可証や番号が張られていた。夕食はここでもよかった。
 帰りはタクシーでホテルまで戻った。


戻る