7月23日(金)         列車泊

鳴沙山、月牙泉、沙州市場、敦煌


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3.敦煌観光

3.1 ラクダに乗って・・・鳴沙山  0810〜0930
 涼しいうちに行こうということで、今日は少し早めにホテルを出て鳴沙山へ向かう。そこでラクダに乗るのだ。
 20分もかからないでラクダ乗り場に着いた。後で聞くと、ラクダだけでなくカートもあるということで、そちらの方が楽でおまけに早く着く。が、我々は一応ラクダに乗ってということが明記されているコースだったので、そちらにした。これまでにヒトコブラクダは2度ほど経験があるのだが、フタコブラクダは今回が初めてだ。こぶの間に乗ればいいのだから少しは楽かな、と思ったが、そういうことはない。やはり写真を撮る余裕もなくしがみついていたので、太ももと腕が疲れた。
 鳴沙山は、人が歩いても夜のうちに砂が風によって吹き戻されてきれいな元の形になるのだという。我々が着いた時は朝早いせいもあって、人も少なく足跡もあまりなかったので、きれいな砂山を見ることができた。
 一足一足砂に足を取られながら月牙泉に向かう。途中、サンドスキーやパラグライダーをやっている人を見た。また、長い階段があり、それを上っていくとかなり上まで行けるらしい。その階段は何カ所かあったがいずれも有料だ。確かにあれを造るのも大変だったろうから、仕方ないか。
 我々は、月牙泉へ着くとグルリとお寺を1周してまた、ラクダ乗り場まで戻ってきた。
 そこで珍しいお茶をご馳走になった。蓋碗茶といって、大きな氷砂糖を入れて飲むのだ。1杯目が終わる頃になるとお湯をつぎ足すので、何杯でも飲める。3杯目が一番美味しいですよ、というが、結局砂糖が溶けて甘くなったら美味しいと言うことなのだろう。(右の写真は、そのセット。中にナツメなど身体によいものが幾つかは行っている。)
 それからまたラクダに乗ってもどった。今度は少し余裕が出て何枚か写真を写した。順さんは行きは子ラクダ、帰りは親ラクダに乗ったが、親ラクダの方が座りが安定して乗りやすかったそうだ。

3.2 沙州市場 0940〜1010
 ホテルへ戻る前に市場へ寄った。野菜や香辛料など食材が豊富だった。中で面白いというか日本と違ったのは、鯉を生きたまま売っていて、「この鯉」と指定されたのをさばいて売っていることだ。これは活きがいい。
 その後ホテルへ戻って、約2時間ほど休憩。荷物の整理などをして時間をつぶす。

3.3 敦煌(莫高窟) 1350〜1430 (257,249,237,94,55,46,29)
 今日も莫高窟観光。結局この日も昨日と同じガイドさんで我々2人だけだったので専属同様だった。が、この日は一般扱いなので専属料は無し。ただ、昨日より中国の団体さんが多かったのか、見学中結構うるさかった。

<257> 北魏   九色鹿王本生図 
 仏像や四天王が安置されている。当時のまま。有名なのは西壁にある連続物語の鹿の話。因果応報の話。1600年前のもので、一般公開の中では最古のもの。南壁には沙弥守戒自殺因縁話がある。最上段には伎楽天のいる天宮、中段には千仏と説法図、下段には本生図や因縁の図が描かれている。

<249> 西魏   最も古い 
 保存状態がよく、当時のまま。天井の壁画は、天空を現し、仏教内容に加えて中国古来の話もある。頂には須弥山、その中央に阿修羅がいる。周りに風神、雷神が描かれている。阿修羅は足が長く、腰には2頭の龍が巻き付き、目と手が4つずつあり上側の手で太陽と月を支えている。西王母、東王父、摩尼宝珠、飛天などもいる。「開明」という中国伝統の神様もいる。これは、獣身で黒い翼があり、人面がいくつも連なっており、この絵には13の目が付いていた。狼、虎、ヒツジ、イノシシ、らくだ、鹿などの絵もある。蛇の胴に虎の足を持つのは古いお墓に描く中国の伝統である。ここには、中国の伝統と仏教文化とが混じって描かれている。説法図の周りに赤・黒・緑・青などの色で描かれた千仏がいる。

<237> 晩唐   反琵琶の図  
 弥勒経変図がある。西方浄土の話を描いている。ハープや琵琶の楽器が宙にある。反弾琵琶の壁画があり、両側に楽隊、ガルーダもいる。琵琶の弦は4本。天井の中央に3匹のウサギが円の中に収まっている図がある。耳は3本なのだが、変には見えない。

<94> 宋  
 壁画は盛夏時代に塗り替えたので、今、見えるのは、その時代のもの。仏像も修理されている。道教が盛んになった時代に道士によって修理されたので、道士っぽい。天井には蓮の花の中に龍がいる絵があるが、殆ど落ちてしまった。壁の菩薩は盛り上げる方法で描いてある。

<55> 宋  
 大きい窟で三世仏が残っている。仏壇中央に仏と比丘、南北側に仏と菩薩の塑像がある。南の仏座の下にそれを支える金剛力士がいる。この窟は下(一階)のために、湿気が多くてボロボロ落ちている。木の上に藁、その上に粘土を付けているため落ちてしまう。それでも保存状態はよい方だ。壁画は虎に我が身を与える本生図が描かれており、全部当時のまま。修復されていない。壁画の下の方にこの窟を造った寄進者が描かれている。

<46> 盛唐 
 一番小さい涅槃像。変色せず保存状態はいい。周りに弟子達がたくさんいるはずだが、今は残っていない。虎の本生図がある。

<29> 晩唐 
 天井は四角形で蓮の花で丸く描かれた中心に龍がいる。壁の上部には洞穴を巻いて飛び回る飛天たちがいる。ここだけ電気が通されている。これは入場者の数がどう保存に影響するかを調べるために湿度計があり、これからの保存方法を探るための窟になっている。

 2日目ともなると、もうネタ切れなのかな?と思うほどあっさりとした説明だった。「昨日の方がよかったでしょ。」と何度か口にしていた。そうなのかも知れないが、こちらにとってはその全てが初めて目にするものなので、それぞれに感慨深いものがあった。というのも、作品の善し悪しよりも、それを造った時代や人々に思いをはせることが多いからだ。
普通は、敦煌は1日で今日のような行程になる。それを我々は昨日1日分をよけいに追加してもらったわけだが、それでやっと満足の境地になった。もしこれが、始めの計画通りこの日の分だけだったら、欲求不満で帰ったに違いない。
 ちょっと高くついたが、満足のいく莫高窟観光であった。
 なお、持ち込みはウエストポーチ程度のものなら可。カメラ類は一切ダメ。入り口に預けることになる。ただし、外から九層楼の写真は撮れる。


3.4 夜行列車  19:41 N949次 15号車 25・26・27
 敦煌市内から車で走ること約2時間半。ただひたすら砂漠の中を走り続けてようやく着いたのが、「敦煌駅」。こんなに離れているのに無理矢理に付けたようだ。以前は、「柳園」駅といった。(右の写真は途中で見えた狼煙台。いつのものか聞き忘れた。左の写真は敦煌駅。))
 駅前の食堂で夕食を摂る。その後駅へ向かう。すでに駅舎の外にも人があふれていて、こんな所で待つのかと思ったら、有料待合室というところへ案内された。その代金はこちらもち、きちっと請求された(2元×2)。有料待合室というが、なんだかホームに優先的に入れるだけのもののようにも思う。大きな画面があって、韓国のテレビドラマをやっていた。室内の設備(椅子)はお世辞にも美しいというものではなかった。
 列車は寝台車なので席は指定されており、殆どが乗車という混み具合だった。我々は2人とも下、ガイドさんが上に寝ることになった。残りの一つがよその人。
 この寝台車、造りは日本のと同じようだが、日本のと違ってカーテンがないので丸見え。ただし、ドアに鍵がかかるようになっている。グループ旅行にはいいと思うが、女性の一人旅には不向き。4人中3人が見知らぬ男性だったら最悪だろうから。空調は調整ができるので快適。トイレは中国式と洋式がある。飲用のお湯や洗面所も備え付けてあり、環境は申し分ない。
 列車は定刻に発車した。寝るには早すぎるので、ガイドさんが差し入れてくれたビールとハミ(地方)の瓜を食べた。この瓜、ラグビーボールのような形をしていて、長さが30cmもあろうかという大きい物。折角の厚意なので頑張って全部食べた。勿論甘さも十分で美味しかったからできたことだが。
 ビール2本飲んでから、寝ることにした。夜中目を覚ますと星がものすごくきれいだった。降るような星、とはまさにこのこと。そのくらい星の数がすごかった。

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