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☆2000年01月02日(日) 第八日目

09:00 朝食後、点在する土の城カスバを見ながらカスバ街道をワルザザートへ向け出発。
09:30 途中、灌漑システム カタラッツを見学。
10:15 ティンジーダードでトイレ休憩。
11:50 トドラ渓谷を見学。
13:00 ティネリールのホテル ブカフェールにて昼食。
14:30 ブルマンダデスの谷を見学。
15:10 カラア・ムグーナにてトイレ休憩。
16:00 アムリディールのカスバ、スコウラのカスバを見学。
17:10 ワルワザート、ホテル着


☆不思議な穴の行列は

 砂漠の興奮を胸に残したまま後ろ髪をひかれる思いでエルフードを9時に出発。殺伐とした土漠の中を走っていると突然小さな穴の行列に遭遇した。 穴の周りには掘り出した土がこんもりと漏られている。何かと不思議な思いで見ていたらすぐに説明があって「井戸」だという。ただ、そこから水を汲み上げて使う井戸とは違い、穴同士が地下で繋がっていると言うものだ。カタラッツという灌漑システムなのだそうだ。水があれば何とかなるわけだから、水を取り入れる工夫と言うものには感心させられる。ただこれが規模が大がかりで見渡す限り一面というのは、何か地下帝国のような足下に別世界が広がるようで、降りてみたい(だいたい地元の人はこれをどう掘りどう利用しているのか定かではない)気持ちに誘われた。
 ここで余談を一つ。実は砂漠の朝は寒いということで、初日の出を待つ間のためにホッカイロに代表される使い捨て懐炉を持っていったのだが、これが2日目の現在もなおぬるめながら暖かい。だいたい日の出の時も熱くならなかった。これは砂漠がいかに乾燥しているかを、間接的ながら、体感することになった。使い捨て懐炉は水との反応で熱を出す。この水は空気中の水分であり、したがってそれが少ない砂漠地帯では、日本で使用するように設計してある使い捨て懐炉では初期の目的を十分に果たすことができないのだ。その分逆にマイルドに、長時間の使用が可能となる。

☆あこがれの?カズバ街道
さて、今日はカスバ街道。カスバというと「カスバの女」という歌を思い浮かべて(古い・・・)すれた酒場女の哀愁を感じる。
 この街道もそんな雰囲気に包まれた寂れた荒れた道なのかと想像しながら車窓を眺めるが、全くそんな感じはない。今までと同じモロッコの風景が続く。つまり、荒涼とした大地を進んでいくと町並みが表れる。豊かなオアシス地帯が必ず点在しているのだ。当然かも知れないが、アトラス越えの時以上に町は多い。こうした町並みの近くにはやや高い丘があり、そこがカスバになっている。外敵から守るためには街道からそう遠くはないが、いくらか離れたやや高い場所にカスバはおおむね作られている。
 また、水量の豊富な川では沢山の女たちの洗濯する姿も見られた。この時はさしもの敬虔な女たちも膝までむき出しにして川に入っていた。しかししっかりと頭のスカーフは取っていないのだから面白い。
 1時間ちょい走ってトイレ休憩。もう少し走ってもいいのにと思ったが、そこからさらに1時間半ほど行かないと最初の目的地トドラ渓谷に着かないと言うので絞り出す。

☆トドラ渓谷
 ここがそうです、という添乗員さんの言葉に外を見るが、なんと言うことのない岩山がそびえ立っているだけ。これなら層雲峡のほうがいいなあ、と思っていたら、まだまだ先が続きますよと言うことだった。そうそう、ここはロッククライミングの名所だと言うし、バスで川を渡ると言うことだったから、こんなじゃないはずだ。道はだんだん狭くなり、バス同士の擦れ違いだったらどうなることかと心配になるくらいの道幅を進む。さらにそこへ子どもを中心としていろいろなものを持った手を出してきて、何とか車を止めようとする。それに気を取られて止まろうものなら、すぐそこで渋滞が起きる。そんなこんなで、運転手は慣れていてもさぞ大変だろうなぁと思う状態で、バスはずっと奥へ向かって走り、やっとそれらしいところに着いた。
 目の前の川を渡るのだと思うと不思議な興奮。確かにこれじゃ増水していたら渡れないなあ。川を渡ったところで下車。少し歩いて見学ということになる。確かにここはすごい。切り立った岩が天をつくように立っている。しかし、そのすごさは層雲峡や昇仙峡と比べてみて数倍すごいと言う感じはなかった。まあ、同じようなものだ。・・・順はバスの川渡り以外はあまり感激しなかったらしいが、則はかなりすごいと思った。我々が降りたあたりのバスの回転場近くにはホテルすらある。おそらくは避暑地として利用されているのであろう。
 そこへ背中にいっぱい荷物を積んだ女性がいた・・・のでシャッターを切ってマネーマネーとモデル代を請求されていた人がいた。その格好でこの辺をウロウロしているので、これが商売のようだ。この国は何でも商売の対象にしている。だからといって、そう貧しそうでもないのだから不思議だ。

☆また街道を行く
 さてバスはここでUターンして、ティネリールにもどり、そこで昼食をとった。初めてケバブという串焼きの肉を食べた。タジンに代表されるように、この国では肉というと煮込んでしまうのか、今までそんな風なものしか食べていなかったので、単に塩だけで味付けしたこの肉は新鮮で美味しかった。また、ここのウエイターはとてもひょうきんな人で運んでくるお皿を頭の上に乗せるパフォーマンスを見せて客を喜ばせていた。更に、我々が日本人だとわかると「おめでとうごさいます」と言う言葉を教えてもらって盛んに口にしていた。こうして確かなものにするのだろうなとその努力には敬服した。それにしてもこちらの人は耳がいいと言うが、発音迄きちんとすぐに覚えるので感心する。
 その後、さらに走ってブルマンダデスの谷へ到着。ここは行かないのかと思っていたので得した感じ。水量の多いゆったりした川の両岸に畑が広がり、緑も豊かで、やはりこうした風景はほっとした感じを与えてくれる。
 それも束の間、バスはまた荒涼とした道を走る。哀愁よりも生活の厳しさのみが伝わってくるような風景だ。もちろん荒涼とした世界だけでなく、所々にカスバが点在した中を走る。
 今日最後の見学地はアムリディールとスコウバのカスバ。前者は50DH紙幣に描かれているカスバだそうだ。二つは近くにあるので歩いて見学。その道々、初めてアーモンドの木を近くで見た。桜に似た白い花は2月に咲くのでまだ寂しい枝だけの状態だが、楽しみにしていたので満足。バスを降りると裸足の少年がいて、彼が道案内をしてくれた。本当はそんなのなしでもいいのだろうにどうしてかな、とも思ったがこれがこの辺の流儀なのかも知れない。最後にチップを渡していた。(写真はアムリディールのカスバで、下の絵は50DH札=邦貨500円程度=に描かれている画。その美しさが写真よりよくわかる。)
 さて、アムディールのカスバ。今でも人が住んでいると言うので近くにはよれなかったが、確かに絵になる。この町の前は河が流れていて、その地形を利用した要塞堅固なカスバだ。ここで記念撮影。ここでもどっと子どもが押し押せてくる。我々の姿を見つけると遠くからでも走り寄ってくるのだ。どういう思いで見ているのだろうか。ここには女の子もいた(集まってくるのは多くの場合少年だ)。
 そのうちの一人が添乗員のマイクを指差しこれは何だときいてマイクだと答えると、それに向かって大きな声を出していた。何をするものなのかだいたい判っている感じ。帰路今度は則の耳を指さし何だと行う感じ(多分かの所の言葉はフランス語)なので、添乗員に頼んでしゃべってもらい聞かせたら喜んでいた。彼女が耳に気を取られているすきにビデオを回していたが、やがて気がつくと、キャァと逃げていった。
 つぎにスコウラのカスバへ行くが、ここは現在修理中で、カスバの規模も小さいからだろうがスペイン人が買い取っており、60室程度のホテルにするそうだ。特別に中に入れてもらったが、こんなところがどうやってホテルになるのだろうというような、ちょっとひどい状態だった。改装を始めて4カ月と言うことだったが、でも、まあ何とかなるのだろうな。
 5時にワルザザードのホテルに到着。もっと厳しい旅になるかと思ったが、気温も低くはなかったし、見学地も点在していたのでそれほどでもなかった。
 ワルザザートは砂漠の入り口に違わず、ランドローバーが沢山駐車していた。予想以上に大きくて近代的な町だった。

★ホテル
 BELERE(ベレール), AVE.PRINCE MOULAY RACHID OUARAATE , Tel 4−882803
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