第三日目 7月22日(日) はれ・くもり
空路、デンパサールへ。(0745発=GA−240=0955着・・・時差1時間)
午後:デンパサール郊外観光・・・○木彫りの村マス○金細工の村チュルク○バリ随一の景勝地キンタマーニ○聖なる泉の湧く寺があるということで有名な街タンパクシリン○「象の洞窟」という意味をもつ11世紀頃の古代遺跡ゴア・ガシャ○素朴な水田風景が点在しバリ芸能・芸術の中心地でもあるウブドなど
夕刻:「ラーマーヤナ物語」を激しい身振りの男達と華やかな衣装の女性が繰り広げるケチャックダンス鑑賞。
H:インドネシア料理:インドネシア料理 バリ島泊
実はこの日記は、バリのホテルで夜の11時少し前から書き始めているが、何処をどうまわってきたのか、あまり頭の中で整理できていない。バリ島の中をほぼ1日中バスで走り回ったことだけは確かだが、それが、どの方向へ行ったのか、また同じところをグルグル回っていたのかも定かでない。そのことを最初に告白しておかなければならない。
【朝は早い】
さて、今日の朝は早かった。4時30分に目覚まし時計をかけていたので、それで起きた。もっとも、その数分後にはコーランが聞こえてきたから、どのみちその時間には起きたことだろう。ともかく今回は、よく世間で馬鹿にされている格安ツアーの一つといってよいだろう。5時30分には朝食を食べにレストランへ行き、6時30分には出発した。今日は、ジョグジャカルタからバリへ移動してから観光となる。
7時45分のGA240便に乗る。飛行機は幾分はやめの離陸となり(乗客が全員揃ったら早めの出発もあり得ることはガイドから説明されていた)、定刻の9時45分(ジョグジャカルタ時間では8時45分)より10分も早めに着陸した。ここからが今日のハードスケジュールの始まりである。
【チュルク 金銀細工の町】
まずはチュルクへ。金銀細工の町というふれこみだが、何のことはない、そうした店が道の両側におびただしく並んでいるところだ。そのうちの1件にはいる。店の前には現地の物売りが沢山いて、布だとか木彫りだとかを「千円、千円」と言って売っている。こうした風景は至る所で見られる。始め1枚だったのが、2枚となり、やがて3枚、4枚・・・あげくは持っている物全部という。全部がいくつかわからないが、以前にも何処かで見た風景だ。勿論自分たちも海外旅行を始めたころに「千円、千円」と囲まれたこともあるが、そうしたことを20年以上も前から聞いている感じがする。最初にそうしたことを聞いたのは台湾へ行った人からだったが、我々が台湾へ行った頃にはそれほど多く体験することはなかった。台湾が豊かになったからなのだろう。一方中国はすごかった。しかし、1$360円から100円を切る時代、そして今は125円くらいであるが、それでもやはり「千円、千円」なのである。円が、自分の国より相対的に強いことに変わりがないからだろう。特にインドネシアは日本経済に依存しているところが多いのではないか。千円以下の単位、100円とか500円とかでも売っている。こんなことは初めてだ。今までは千円以下は受け取らないことが殆どだった。
ともかくこうした売り子に取り囲まれることが多いが、強引さはあまり無い。せいぜい人の手に触るくらいだ。同行の人で顔をしかめる人もいるが、まあ、取り囲まれた輪から抜け出せないほどしつこいわけではない。ともかくも学齢前の子どもからある程度の大人まで(年寄りもたまにいる)の千円責めは、至る所で続くことになる。
さて、銀製品の店だが、ジョグジャカルタの店もそうだったが、やはり細い細い糸状にした銀の線を巧みに使って作った銀製品が中心となる。見事な出来映えである。
【マズ】
次に木彫りの村といわれるマスへ行く。白檀、黒檀、茶色になる木(名前を忘れた)の木彫り、それに普通の木に彫ってペンキを付けたものも多数あった。モチーフも仏像のような物からこどものおもちゃと見受けられる物まで、値段も100万円程度の物から100円程度の物まである。
ところで写真は供物として、家の前、門、部屋の中、といろいろなところに備えられているものだ。これが毎朝の女の大事な仕事になるのだそうだが、その数は、10単位になるらしい。これは、この後も絶えることなく目に飛びこんで来て、「信仰の厚い島」というガイドの言葉の通りと納得させられた。
【ゴア・ガシャ】
次はゴア・ガシャ。象の洞窟という寺院に行く。ヒンズー教の寺院に洞窟が付属しているのだ。ここでは短パンの人は紫色の腰巻きを巻かれることになる。則は、これに備えてサムイを着ていったので、OK。坂を下っていくと最初に沐浴をする場所が目に飛び込んできた。青の手前には闘鶏場となる壁のない建物がある。この闘鶏場は生け贄を悪霊に捧げて、奥の神聖な場所に立ち入らないようにするための、要するに生け贄の場所なのだそうだ。
洞窟の入り口にはヒンズーの神であろうか、大きな顔の彫刻がある。洞窟といっても、その中が長かったり大きかったりするわけでもなく、数メートル進んだ先が左右に分かれており、左側には知恵の神が、右側には三基のリンガがあり、リンガの一番右がシバ神ということだった。壁面にはいくつかのくぼみがあり、そこは昔、仏教・ヒンズー教の僧達が座禅して修行した場所とのことであった。
【キンタマーニ】
この寺からバスは高原へ向かう。およそ1000mの高さまで約1時間、バスはあえぎながら上っ
ていく。到着したところはキンタマーニという風光明媚なところだ。バトゥール火山とアバン山、そしてそれに挟まれるようにしてバトゥール湖が広がる。勿論高度を上げた分吹く風も涼味がある。バトゥール山には山腹に大きな噴火口が見てとれる。ここで昼食をとる。インドネシア(バリ)の料理のバイキング。ここにも焼き鳥のような物があって、日本と同じような焼き鳥の焼き方をしていた。また、汁粉のような甘いデザートのような物もあった。
昼食のあとは山を下りながらいくつかの名所等へ立ち寄る。実にメニューが多くてこうしたスタイルの旅行からしばし遠ざかっている我々にとってはいささか閉口してしまっている。兎も角この部分は神風ツアーだ。
【タンパクシリン】
昼食のあと一番はタンパクシリンという村にあるティルターテンプル、すなわち聖なる泉の寺と呼ばれるヒンズー寺院へ行く。泉自体は年1回の祭の際に、僧達だけが沐浴するということで、他の人は、そこから引かれた水が出ている沐浴場を使っていた。ただ、今は見学者が多すぎるということで、今では塀で囲まれた別の場所があった。ここは、観光客も後を絶たず訪れていたが、地元の人たちも絶えることのない寺だった。
泉の前にはいくつかの小さな祠のような建物があり、その中心で、一番大きいというか背の高い建物がやはりシバ神の物でカメの台座があり、それが動かないように2匹の蛇が押さえているという構図の物だった。その脇にはきれいに装飾された宝物館(箱?)もあった。
さて、肝心の泉だが、忍野八海と同じようにボコボコ湧きだしている澄んだ水で、きれいだった。
【ライステラス】
次にライステラスという場所へ行く。何処までも耕された、いわゆる千枚田のような、日本のあちこちで見られる風景とも言えるが、ここで写真タイム。こんな所にも物売りはいる。天秤棒に草をいっぱい摘んだ籠をつるした農夫も現れ、写真の被写体になってはチップを要求していた。たくましい限りである。
【ウブド】
そこからウブドへ。芸術の村というふれこみだが、町全体が土産物屋という風情の所で、おびただしい店が軒を連ねていた。これまで見てきたような物を売る店もあるが、絵画などオリジナリティーのある物を売る店も多数あった。ただ、道が狭い上に路上駐車が多く、バスやオートバイも結構なスピードで走り回っているので、ウインドーショッピングも身の安全を確保しながらとなる。
我々は、買うあてもないのでそうそうに引き上げてバスの所へ戻ると、すぐそばに寺院というか祠があったので見に行った。たまたま老婦人が供え物を捧げ、水で清めて祈りを捧げていたので見ていると、自分の供え物の邪魔になる他人の供物を横によけて自分のを中心に置いて祈っていたのには驚いた。ヒンズー教は割合と平和主義だと聞いていたのだけれど、他人の干渉はしないという平和主義なのかと思った。順さんに言わせれば、祈りを終えた時点で供物は単なる物になってしまうのだろうということらしい。これは毎朝欠かさずに家の前に備えている供物が他人にに蹴散らされても平気な顔をしていることから想像したのだが。
次に絵画の店に寄るということだったが、バリでは年がら年中何処かで行われているという祭に遭遇してしまい、大渋滞でバスが動かなくなってしまった。祭の行列は随分と先の方で行われていたのでよくはわからなかったが、傘のような物(神にかかげるもの?)がいくつか揺れているのが見えた。バスは時間を気にしながら予定していた絵の店をパスしてケチャックダンスの会場を目指すこととなった。
【ケチャックダンス】
時間ギリギリに到着。
会場は自由席だったので、一番に正面近くのいい席に座る。ケチャ、ケチャ・・・と連呼する男達の周りで、ラーマヤナの物語、すなわち白い猿の活躍する物語が演
じられる。この地域の国々ではよくある題材の話であった。順さんはよくその話の内容を理解した上で見ていたが、則はそうでもなかったので、時々順さんの力を借りなければならなかった。
男達は群舞という感じで、100から200人くらいの数になるそうだが、今回は65人くらいだった。それでも、なかなかの迫力だった。
【ホテルへ】
そしてやっと最後の夕食会場へ。時間はもう8時になっていた。ここもバリ料理のコースであった。日本を訪れた観光客も、毎日刺身に天ぷらでは嫌になるだろうなあと思いながら食べた。ここでもマスクダンスのサービスがあったが、同一人が何度も踊っていた。観客が我々とあと数グループだけで少し可哀想な気がした。
そして、やっとホテルに入ったのが9時過ぎ。ホテルは広くて暗かったのでよくわからず、自分たちの部屋に着くまでに迷子状態となってしまい、丁度通りかかったボーイに案内してもらわなければならなかった。
部屋も広くてダブルが2つ置かれており、ゆったりとくつろげたが、風呂場が少し老朽化しているようであった。クーラーがきつかったが、バスローブが備え付けてあったので、寝間着代わりにして、丁度よかった。
11時頃、横になったら電気を付けっぱなしで寝てしまった。疲れた。
プトゥリ バリ Hotel Putri Bali ★★★★
ヌサ・ドゥアビーチのリゾート・ホテル。