8月19日(火)快晴 40度

0545 起床
 いつも通りの早起き

0620 朝食
 いつも通りの朝食。メニュウーは少しではあるが、内容に変化がある。が、二人ともほとんど同じものを食べている。今日はカモメはこない。

0720 旧市街散歩〜 0840
 出発まで時間があったのでまた出かけることにした。朝の涼しいうちにと思ったのだが、どうしてどうして結構気温は高くなっていた。
 海岸沿いの出口を利用して外へ出て、ふと振り返って我が部屋を見ると、なんと洗濯物の上に可愛い猫がしかも5匹も出てきて休んでいるではないか。それを見た順さんは飛んで戻ってバスタオルを振り回して猫を追い散らかした。また洗濯のやり直しだ。せっかく乾きかけていたのにもう頭に来ると、順さんはプンプン。
 気を取り直して出かけた。
 ブロチェ門を入ると黒い鳥(カラスを小さくしたような)や鳩が沢山舞っていて、ギャーギャーとうるさい。これがホテルへ戻る頃には静かになっていた。城壁の壁に開いている穴をすみかにしていて、そこへ収まったのだ。ひとつの穴に一羽ずつちゃんと収まっている。自分の穴が決まっているらしい。
 ルジャ広場へ出て、大聖堂の方へ道をとった。夕べもそうだったが、この時間、まだ路上の店は準備をしていないので道本来の姿が見える。人もほとんどいないので、建物本来の姿を写真に撮れるという絶好の条件だった。早起きは3文の得とはこういうことなのだろう。その得に便乗して、城壁もただで入れないかとその入り口まで行ってみたが、しっかりと錠が下りていた。仕方ない。
 大聖堂の西側のちょっとした広場(14・・・昨日の地図参照)で朝市の準備をしていた。野菜や花が並べられて、ここには結構な人が集まって賑わいを見せていた。その横の階段を上がって昨日行かなかった聖イグチナオ教会と修道院(15・・・昨日の地図参照)へ行った。何かイベントがあるらしく舞台と沢山の椅子と照明設備が用意されていた。ために、本来の姿はよく見て取れなかった。残念。
 それからぐるりと大聖堂の裏手を回り大きい方のオンフリオの泉へ行ってみることにした。途中またルジャ広場周辺の写真を撮った。
 オンフリオでは昨日参加しなかった人とばったりであった。この人は、昨日我々と別行動で、自分で車を借りてドライブをしてきたのだ。こんな楽しみ方もあることを知った。
 その人にこの街の外観を説明して、目の前にあるフランチェスコ教会中まで案内した。ついでに我々ももう一度見学してきた。早いために料金収集のおじさんがいないのをいいことにただで入っている人もいた。ここの修道院の入り口に「ピエタ」のレリーフがある。夕べ写真を撮った。また、小さな突起があるのだが、昨日沢山の人がここに手放しで乗れるかどうかを競っていた。何か謂われのあるものなのかもしれない。

1100 出発
 ゆっくりの出発がいいのか悪いのかわからない。この頃にはもう40度くらいになっているのではないかと思えるほどの暑さになっていた。今日はコルチュラ島を目指してただひたすら走るだけだ。
 「魔女の宅急便」「紅の豚」など宮崎駿の一連の作品の舞台となったドブロヴニクともお別れになる。最後に去年完成したドブロヴニク橋の所でバスを降りて名残を惜しんだ。(1130 ドヴロブニク橋)

1145 樹齢400年プラタナスの木
 ここでもまたバスは停車。大木の下ではしっかりと地元のおばさんたちがオリーブ油や果物を売っていた。買い込んでいる人も多かったので、いい商売になるようだ。
 しばらく行くと、ようやくペリシャッツ半島に入った。
 牡蠣の養殖が盛んらしく、モンテネグロで見たよりも大がかりな様子が見て取れた。
 これがクロアチアの人が世界一と自負する牡蠣だ。

1230 昼食(生牡蠣、ムール貝) 〜1430 塩のおみやげ5クーナ
 その牡蠣が昼食だ。一人6個もある。みんな美味しい美味しいといって食べていたが、これは添乗員さんの暗示にかかったと思われる。我々はそれほどの感激はなかった。日本でもこれと遜色ないものが食べられる。
 その後、ここの塩田で手作り塩を買った。1kg5クーナ。その後裏の港へいって、ここに昔塩田があったとの説明を受けた。塩田も歩いて見に行く予定だったが、あまりの暑さにキャンセル。バスに変更した。

1440 塩田、城塞見学 ストーンという町 〜1510
 それは予想したよりも大きな塩田だった。相当量の塩がとれたと思われるし、現在でも塩の製造は続いている。そう言えばアドリア海の塩分濃度は日本のそれとは比べ物にならぬほど高いそうだ。そうした条件も利用しているのだろう。
 古今東西塩は人間生活になくてはならない物。塩は昔ここの大切な財源だったので、それを外敵から守るために城塞を築いたわけ。地元の人は「クロアチアの万里の長城」と呼んでいるそうだが、なるほどその長さにおいては見劣りしない。そこへ上ると計画的に建設されたこの街の概要を見ることができるというので、当然上った。これは思ったより規模の小さな街だった。
 そこからバスは、ペリシャッツ半島の内陸部を走る。

1600 ワインセラーでワインを試飲後購入 220クーナ
 道の両側にブドウ畑が広がってなるほどワインの生産が盛んだと知る。ここの銘柄としては「ディンガッチ」や「ポストゥップ」が有名らしい。
 ここのプリズリナという村で自家製の「ルカタッチ(白)」と「バルトゥル(赤)」というワインをご馳走になった。始めは売らないという話だったが、終わってみればしっかりと2本も買い込んでいた。どうやら訪ねてきた人には売るということだったらしい。ただし、ここ伊良波共産政権時代はワイン製造を個人的の戸なうことは禁止されていたので、禁煙それは復活したという物で、歴史的にはきわめて新しいものだ。

1710 港着
 ようやく港に着いた。ここからコルチュラ島へ行く。船着き場の近くでも人が泳いでいる。とにかくこの暑さだ、どこへ行っても泳いでいる人がいる。バスは荷物を降ろすとここへそのまま泊まるらしい。
 写真は船を待つ一行。順さんの左にあるのが我々の乗ってきたバス。

1740 乗船 〜1755 コルチュラ島着
 しばらくすると島から迎えの船が来て、我々の荷物と我々を積んで島へ向かった。かなりのスピードで走るので、後ろの方は水しぶきでびしょびしょになった。

1815 入室
 暑い。とにかく暑い。ロビーで舞っている間にも汗はどんどん噴き出てくる。なのに部屋にはクーラーがない。地獄だー。

1930 夕食(バイキング)
 唯一クーラーがあるのがレストラン。たっぷり時間をかけて食事を採った。

ホテル マルコ・ポーロ 217号室 クーラーなし
 あまりの暑さに、窓もドアも開けっ放しで寝た。おかげで、順さんは強盗が部屋の中に入ってきた夢を見て夜中に叫び声を上げた。
 夜中になって夕立がやってきて、あわてて窓などを閉めたが、そのおかげで少しそのあと涼しくなって眠ることが出来た。

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