ごらんいただきまして有り難うございます。あなたは今月のページの人目の閲覧者です。

2002年 7月31日(水) 出勤日
 久しぶりに職場へ行った。今までは夏休み休暇。全て使い果たしてしまった。午前中はパソコン室に閉じこもりっきりで仕事。工事が始まってガーガーうるさい。とても集中して仕事をする雰囲気ではない。これからどうしよう。

 ・・・朝いつもより早く家を出て目的地に向かう。前橋に全国大会があるので赴くためだ。暑い日差しが容赦なく照りつける一日だった。暑かったが体調を壊すほどのこともなかった。夜は高崎のホテルに泊まる。

2002年 7月30日(火) 診察へ
 今日は先の人間ドッグでひっかかった箇所の検査で病院へ行った。簡単ではあるが手術が必要とのことで、がっかりして帰る。

 ・・・実は2月に受けた人間ドックで引っかかって、O病院のA医師に相談した結果、I病院の院長I医師を紹介してくれた。A医師は慎重にした方がよいと言うことで、知人のI医師を紹介してくれたわけだが、少しというか大分いい加減に考えて今日まで延ばしのばしにしてきたのだった。

 結果として、「手術」というご選択と相成った。そう、また手術なのだ。

2002年 7月29日(月) 勉強の日
 この夏休みは一つ資格獲得に向けて勉強しているので、結構大変だ。1日5時間の授業がある。予習復習を入れるとまるまる1日がつぶれる。が、何とかとれるようにガンバロー。

 ・・・久しぶりに職場へ。たまっている仕事をかたづけるのだが、かなり暑い。その上眠たい。夏休みなので、昼も出かけないと食べられない。未だ現実に体が慣れない。

2002年 7月28日(日) 後始末
 旅行の後始末に追われた。といっても洗濯を繰り返しただけだが。則は写真の整理をしていたようだ。今回もものすごい量になるらしい。私も20本近くとってきた。

 ・・・順さんはAPSで19本撮った。私は約1400枚をデジカメで撮った。この整理が大変だ。

2002年 7月27日(土) スリランカより帰国
 飛行機の中で一夜を過ごして、朝、帰国。運良くすか以来何飛び乗れたので、思いの外早く帰ることができた。東京もやっぱり暑い。(この旅の詳細はこちらにあります)

2002年 7月26日(金) スリランカ7日目
 シギリヤロック登頂。いよいよロックへ登る。といっても私は地元の青年二人に両脇を抱えられての登山となる。途中、シギリヤレディといわれるフレスコ画を見たが、ただただ驚くばかり。とてもきれいだ。そのあと、急な階段を上ってどうにか頂上へ。見渡す限りのジャングルにしばし感動して、下山。青年二人にはしっかりと料金を取られた。

 ホテルで休養したあと、帰国の途へ。(この旅の詳細はこちらにあります)

2002年 7月25日(木) スリランカ6日目
 目の前のシギリヤロックを横に見ながら、今日はボロンナルワへ行く。ここも昔の王朝の首都ということで、宮殿跡やら大きな仏像があり、見応え十分。特にガルヴィハーラはすごい。ここはさすがに観光客がたくさん来るのか、初めてしつこいと思う物売りがたくさんいた。

 今日は遺跡観光をしているなぁと思わせる一日だった。観光も午前午後と休憩を挟んだので、体的にも楽だった。(この旅の詳細はこちらにあります)

2002年 7月24日(水) スリランカ5日目
 今日から遺跡巡りになる。まず始めにアヌラーダプラという街。スリランカ最古の都なのだそうだ。仏舎利が見事だった。ただ、お寺参りは全て靴を脱がねばならないので、歩きにくい。この日はシギリヤまで移動。夕方目にしたシギリヤロックには圧倒された。この旅の最終日にそこへ登る。それまで何とか体力を温存しておかなければならない。(この旅の詳細はこちらにあります)

2002年 7月23日(火) スリランカ4日目
 お茶畑が延々と続くヌワラ・エリヤから、今回の最大の呼び物である「ペラヘラ祭」の行われるキャンディへ移動。ペラヘラ祭は仏教(ほか)のお祭りなのだが、民族ダンスと象の行進が見物。しかしそれが行われたのは夜の9時過ぎから。松明をかざした中でのそれは、十分に興奮させるものだった。が、眠かった。

 写真はメインイベントとも言うべき、仏歯の入った容器を象に乗せて行進する様。(この旅の詳細はこちらにあります)

2002年 7月22日(月) スリランカ3日目
 今日はゴールからずうっと海沿いに移動してヌワラ・エリヤという所までいく。バスで10時間近くもかかる大移動だ。いつもならぐっすり寝ながら行けるのだが、このバスの運転手、というかこの国のお国柄か、運転が荒っぽくてぐっすりというわけにはいかなかった。何度急ブレーキを踏んだことか。命の縮まる思いをした。

 それでもパキスタンの深夜特急の表現を借りるならチキンレースのような凄さはない。ただバスも結構古いので、そのたびにガタピシするし、後部座席に積んでいる荷物が荷崩れをおこすこともしばしば。(この旅の詳細はこちらにあります)

2002年 7月21日(日) スリランカ2日目
 今日はコロンボ市内を見学したあと、ゴールという街まで移動する。途中ものすごいスコールに見舞われたが、ちょうどバスの中で濡れずにすんだ。東京と同じような暑さで、湿気もものすごい。

 写真は世界遺産にも指定されている城郭都市のゴールの中にある時計台。今aもの格好の攻撃目標のようにも思うのだけれども。

 さてさて、体調はすこぶるいい。仕事をしていたときのあのだるさは何だったのだろう。やはり気分的な物?解放されるというのはこんなにも心地よい物か。(この旅の詳細はこちらにあります)

2002年 7月20日(土) スリランカへ出発
 休みに入ったとたんに旅行へ出る。今回の目的地はスリランカ。暑い国なので、着る物は簡単にすんで、荷物は一つ。勿論則が持っていく。昼過ぎの出発だが、早めに到着するために、いつもと同じくらいに家を出る。今回は総勢16人。まあまあの人数だ。

 約8時間の飛行でスリランカに到着。入国は思ったほどのことはなく、ホテルにも日本時間では深夜になったが、現地時間ではまぁ間の時間に到着。(この旅の詳細はこちらにあります)

2002年 7月19日(金) 終業式
 終業式。でも水泳の授業をばっちり2時間。そのあとは国語の勉強。一昔前なら考えられない。それでも給食は昨日までなので、子どもたちは午前が選り。そのあと、教室の後片付けなどをする。

・・・終業式と言っても、昔のような騒ぎもなく、淡々と終わる。それでも勤務時間終了時刻ともなると校長室で飲み出す人が何人か出てきた。でも明日のこともあるし、帰宅する。荷物の最終チェックをして、準備は完了、旅行鞄を玄関に出す。

2002年 7月18日(木) 片づけ
 今年は職場の工事があるというので、職員室の片づけにかかりっきりだった。何しろ工事が始まると中に入れないので、必要な物は段ボールに詰めて物置に入れておくことになる。暑いのに、この夏はどうなるやら。

 ・・・夏期休業にはいるまでの準備で、なんやかんやと忙しい。1週間直ぐに休むので、仕事もそれなりに追い込みを書けてやらなければならないが、部屋のクーラーの利きが良くない。それでも何とか明日の終業式に間に合う程度の追い込みは出来た。

2002年 7月17日(水) 授業も終わり
 暑い中だが、授業は何とかやっている。それでも今日から午前中になるので、少しは楽かな。放課後も遊んでいる子も少ないが、光化学スモッグが出ない。何で?

 ・・・旅行の用意の最終チェックをした。今回は旅行鞄は一つだ。だんだん旅慣れてくると持っていくものも減ってくる傾向にある。

2002年 7月16日(火) 暑い暑い
 台風はたいしたことなく通過。休校になった所もあったというが、早とちりだったな。

 午後はお説教タイムで、暑い中ますますヒートアップ。全くもうすぐ1学期も終わるというのになあ。ダブルで気のゆるみが出たかな。といって今更締めてもなあ。あと3日で終わりだし。

 ・・・牛ハマという青梅線の駅まで行く。新宿から特別快速で行ったが、幸いにも座れたので楽に行けた。午前中は台風で雨模様であったが、ちょうど出張をする頃には雨が上がり。牛浜駅に着いた頃は青空だった。帰りも直通電車に乗れて、存外早く帰ることが出来た。台風一過は青空だが、この台風の後は夏本番が待っている。

2002年 7月15日(月) 台風がくる?
 明日は大型台風がくるかもしれないというので、1日中その情報集め。といっても暇があればテレビを見ているという程度だが。ただ、予報通りにとなると、かなり登校に影響が出そうだ。いつも通り、明日の対策について職員会議が開かれた。

 ・・・今日は虎ノ門へ夕方から出張した。送り火の人いうことで、これまでの報告を受け、また作業をして解散。幸いにして明るいうちに送り火を焚けた。

2002年 7月14日(日) 旅行の準備
 旅行の資料が少ないので、図書館へ行って参考になる本を借りてきた。ちょうど旅行期間中が貸出期間になるので、そのまま持っていくことにした。最近はこの方式が多く、節約できる。

 ・・・急遽図書館に行くことになった。その後に食事をしたが、また肉食になってしまった。行かないとは思うのだけれども、手頃なのだ。

2002年 7月13日(土) 則の誕生日
 則の?歳の誕生日。といっても歌を歌って終わってしまった。夕食はごちそうをと思ったが、何ということもなく普段通りの食事で何となく終わってしまった。すまんのう。

 ・・・歌は朝起きがけに歌われておしまい。まぁそんなものさ50を過ぎれば。お盆の入りなので、迎え火を焚いた。

2002年 7月12日(金) (タイトル無)
 (順さん記録無し)・・・職場の人が、明日の誕生日を祝ってくれて、休憩時間を利用しての茶会を催したのだけれども、それも喧噪の中。週末だというのに、様々なことが立て込む。コンピュータというか、インターネット接続でトラブルがあって、久しぶりに9時まで職場にいた。疲れた。

2002年 7月11日(木) (タイトル無)
 (順さん記録無し)・・・大型台風の襲来という情報だったが、幸いにして東京直撃は避けられて、今日は台風一過という感じで、また真夏の太陽が戻ってきた。そろそろ梅雨明け宣言が出ても言い頃だと思うのだけれども。

2002年 7月10日(水) (タイトル無)
 (順さん記録無し)・・・朝のうち、出勤するまではもった天気であったが、台風の影響で昼からはかなり荒れた天気となった。養護学校時代には、こうしたときには明日のスクールバスの運行だとか登下校時間の調整だとかで結構忙しくなるわけだが、中学校は至ってのんびり。それでもニュースによれば、対応策をとっている所もあるとか。もっとも高校や大学は遠距離通学もあるから、電車が止まれば仕方がないか。

 夕方、歯医者へ。そのあとが大変だった。いじられたせいだろうか、他のところが痛くなって、台風情報を聴きながら、歯痛に耐えた。

2002年 7月 9日(火) (タイトル無)
 (順さん記録無し)・・・暑いと言っても、何かじっとりしめった感じの暑さで、嫌な感じだ。昨日の方がさらっとしていた。やはり近づいている台風の影響だろうか? そろそろ1学期の伝票の整理をしなければならないから、今日は業者に電話をかけまくり。でも案外皆のんびりしている。公務員相手の商売は不況も無関係か?

2002年 7月 8日(月) 暑さも本格化?
 いよいよ真夏日がやってきた。教室の4基の扇風機もフル回転。それでもこの暑さにはささやかな涼風を与えてくれるに過ぎず、休み時間は職員室へ避難。そんな中でも子どもはよく遊ぶ。

 ・・・水銀柱も鰻登りで、30度を超えた。昨夜は最低気温も25度を超える熱帯夜だった。沖縄に行ったことのない人に、部屋から廊下に出ると沖縄に着いたときの感じか味わえるとくだらないことを言ったが、そんなもわっとした気候だ。

2002年 7月 7日(日) 結婚式
 また今日も結婚式。雨の予報が青空も出るようなお天気で、ラッキー。今回は私の方の甥で、田舎の親戚もほとんど来ていたので、20年から30年ぶりといういとこたちにも会えて、しばし同窓会のような懐かしさがあった。それにしても、この甥が1歳の誕生日を迎えてすぐに母は亡くなったわけだが、一番見せたい人であった。

 ・・・親戚の結婚式はいい。スピーチを頼まれて緊張するでもなく、ただ飲み食いしていればよいだけだから。そのぶん祝い金ははずまなければならない点が欠点だが。おまけにそれが二週続けてと言うのだから、ちとつらい。


2002年 7月 6日(土) 仕事三昧
 成績のための入力作業に1日を費やした。個人データをパソコンに入れるのはいけないという意見もあるが、これだけ普及しているとやはり便利で簡単に成績が出る。テスト以外に普段の様子も加味するので、実際はこれからが大変だ。

 ・・・明日はまた結婚式と言うことで、互いにそれぞれの領分のことに頑張った一日だった。

2002年 7月 5日(金) 疲れもピーク?
 疲れがピーク状態か、体がだるい。私だけではなくみんなそうらしい。特に先日移動教室へ行った学年は、もうどうしようもない状態らしい。週5日になって、毎日の授業時数が多いことと内容が変わって今までの積み重ねがいかされない部分も多いことが原因らしい。

 今年1年はこんな繰り返しなのか。早く体と脳が慣れてくれるといいのだが。

 ・・・今日は以前の職場の人と飲む予定だったが、その方はもうとうに退職している人なのだけれども、足の指を骨折したとかで、延期になった。自宅で転んだと言うことだが、年を重ねる毎に店頭の機会も笛、それ故に注意が必要だと改めて思った。

2002年 7月 4日(木) 飲み会
 今日は授業研究があったので、夜慰労会に参加。無理しないでいいよと言われたが、こういう事には参加しないと悪い気がして、おまけに参加が当然と思っているので出席。ただし、1次会で帰宅。

 ・・・明日は以前の職場の人と会う予定があるので、順さんも早めの帰宅となったのだろう。私の方は最近職場の人と飲むというようなことは全くと言っていいほどない。

2002年 7月 3日(水) 午後は一休み
 個人面談の最終日なのだが、昨日までに詰め込んだので今日は午後がすっぽりとあいた。と言っても別に遊ぶわけではなく、子どもの作品の整理をしていたら、結局はいつもより遅くなってしまった。やればやるだけあるのが我々の仕事だが、本当に終わりがない。と言うより余裕がなくて、ストレスばかりがたまる。

 ・・・今日明日と期末試験。従来だと試験の日程は三日間だが、今年から2日にして、試験時間を短くするとともに最初の日だけ午後も実施。これがゆとりなのかなぁ。ともかくタイトだ。でも、それに気づくのが始まってからと言うのは、それ以前も忙しかったからなのか怠惰だったからなのか。

2002年 7月 2日(火) 面談終了
 今日も午後は面談のために、授業は午前中。その中でテストばっかり。子どもはうんざりしているが、成績をつけるためには仕方がない。面談は今日で終わり。いささかホツ。

 ・・・どうもまた歯がぐらつきだして、予約を取って歯医者に行く。抜かなければならないだろうと覚悟していったが、「あなたは最後まで頑張ると言ったのだからそうしましょう。」ということで、だましだまし使うことと相成った。調整した結果は、悪くはない。

2002年 7月 1日(月) 興奮冷めやらず
 昨日のサッカーの興奮が冷めやらず、普段サッカーなんて嫌いと言っている女子まで、ブラジルが勝ったねなんて言っている。でも、それももうおしまい。短い1ヶ月だった。

 ・・・なにやかにや言っていたらもう7月だ.今日は夕刻出張。大学の先生や文部省の役人さんなど、コンピュータ教育関係の面々のお偉いさん達との会合で、かなりくたびれた。そういえばこの前同じ会場に会議で来た後は、その時は早い時間だったので、日本戦があって勝利に酔いしれた日だった。