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2002年 3月31日(日) 帰国へ
 朝食はとらずに出発するので、5時にはバスが動き出した。6時40分、やっと空港着。手続きは50分からなので少し待つことになる。今回我が家は手荷物として預ける物はないので、搭乗券をもらうだけ。今回も43のAB。窓側だ。ラッキー。7時15分からの朝食は和食。ふつうの旅館の朝食と思えばいい。みそ汁も日本風でおいしかった。食事が終わってからすぐに出国の手続きをとる。ここでガイドさんともお別れとなる。これが、8時10分。飛行機の出発は10時だからずいぶんと時間がある。とにかく頼まれたブランド品を探すことから始める。一つは手に入ったが、もう一つは品切れということで、残念。こんなことなら、成田で真剣に探すのだった。

 9時20分になると搭乗開始の案内があったので、荷物の多い我が家は10番目くらいに乗り込んだ。11時45分になると、機内がざわめきだした。富士山が見えるというのだ。富士山が見えると日本だーという感じがする。紛れもない日本人だ。飛行機は10分遅れの12時10分に着陸。それからも早かった。足早に歩いて何と、12時48分発のスカイライナーに乗ったのだ。時間的なこともあるのだろう。すいていて4人席で足をのばしてきた。
 13時41分日暮里着。そこから新宿を回って帰宅。

 この記録はたびたびの旅「韓国編」にて詳細をご紹介する予定です。

2002年 3月30日(土) 特急セマウル号・宋廟・昌徳宮・オンドル体験
 ちょっと早めの朝食の後、近くを散歩して桜とレンギョウを楽しんだ。さて、今日は楽しみにしていたセマウル号乗車だ。予定より3分遅れて、8時33分セマウル号発車。特急というほど早くなかったが、座席がゆったりしていることと、天井にテレビがあって駅名がでる。列車は田園風景の中をゆったりと走る。はじめは興味もあったが、4時間を超える乗車となれば飽きてくる。途中でビュッフェへ行ってビールとコーヒーを飲む。ここは円で支払い可能。そうこうしているうちに、待ちに待った昼食。弁当ではなく、日本の幕の内のような感じのもの。この列車の食堂車で作った物らしい。ほのかに暖かくておいしく食べた。が、魚介類入りのキムチはどうも臭いになじめなくて残してしまった。

 ソウルに着くと、バスに乗り換え宋廟へ。が、なんとその門前で組合の集会が開かれていた。大きなスピーカーと歌など、日本のそれとよく似ている。騒々しいなあと思いながら、中にはいる。といっても、廟の中には入れないので、表から建物を見るだけだが、質素さが、いかにも厳かな廟という感じがした。そこから次の昌徳宮へ向かうのが大変だった。というのは、集会があるので、警官隊がたくさんきているため、道路二車線の所を一車線しか仕えない。そこへ観光客の車がたくさん入り込んできているので身動きができない状態になってしまったのだ。

 昌徳宮到着は見学開始14時30分に遅れること8分。バスを降りて走った走った。入り口で、今ならまだ間に合いますよという声を聞いて、さらにスピードを上げた。そのため、入り口のところで、民族衣装を着た一団がいたが、何なのかよく見ることもできなかった。ここには専門のガイドがいて、解説してくれる仕組み。忙しいのは入るまでではなかった。百人はいようかと思われる日本人観光客を相手に解説しているのは一人。それも話すだけ話すとさっさと次に移動してしまう。みんな急いでその後を追いかけるので、遅れまいと思うと走る格好になる。声もよく聞こえないし、当然内容もわからない。それでも則は一番前にいたが、順はもうあきらめて最後からゆっくりと写真を写しながら勝手に歩いた。

 最後の夕食。最後の韓国料理。しゃぶしゃぶだ。久しぶりの肉。一口食べておいしかったので、追加。今日は二人で一鍋だったので、ゆったりと食べられた。その後ホテルへ。1泊目と同じホテルだが、ホテルの手違いで2部屋だけオンドルの韓国式の部屋になるという。希望者はいますか?という問いかけに二人でさっと手を挙げてめでたく当選。この夜はオンドルの部屋に布団を敷いて寝ることとなった。オンドルの部屋は初めてではないが、布団を直接しいて寝るという体験は初めてだった。じわっとした暖かさが布団を通して体に伝わってくる。
部屋は2階。ふつうは高い方が景色がいいのだろうけれど、ここからは川が目の前に広がり、対岸の街灯や車の列が目の高さに見られるため、部屋の電気を消してみると光のショーを見ているように思えた。

 この記録はたびたびの旅「韓国編」にて詳細をご紹介する予定です。

2002年 3月29日(金) 石窟庵・仏国寺・天馬塚
 今朝も嫌がる順を連れて「温泉」へ行く。今日は有料だった。ひとり5000W。風呂の中身は昨日と変化は無し。ただ、湯舟は狭く、暗い感じだ。ここでもそうだが、女の人はまず歯磨きをする。それから朝シャン。それも立ったままでやるので、シャワーの水が飛び散る。そして大股開きで体を洗う。これは目のやり場に困るような光景だ。ところで、外はなにやら激しい音。雨だ。かなり激しく降っている。朝の散歩は中止。

 今日の最初の石窟庵。石窟庵というのは、勿論韓国の国宝にもなっており、世界遺産登録されている。石で作られたドーム。そこに釈迦が安置されいる。神々しい表情で素晴らしい。周りにもたくさんの菩薩などが彫ってあるが、残念ながらガラス張りにしてあるので見ることはできない。もっとゆっくりと見ていたかったが、地元の高校生らしき団体がドバッと入ってきたので早々に外へ出る。ここでショックだったのは、これを日本統治時代日本人が解体したことだ。解体をいい加減に行ったために、完全に元通りに出来なかった。

 バスが山道を下って行くと、いつの間にか仏国寺の山門前に到着した。仏国寺の伽藍配置は奈良薬師寺に似ている。我々は脇から入ったが、一番大きなメインの門は、紫霞門でその前に青雲橋がかかっている。この橋の美しさが国宝になっているほどのものだが、橋とはいえ階段というか、陸橋になっている。中にはいると、大雄殿の前庭に、向かって右に多宝塔、左に釈迦塔がある。いずれも新羅時代の傑作でともに韓国の国宝になっている。

 昼前に登り窯の見学。でも、ただそれだけでは済まないのがツアー。隣接する店に連れて行かれた。高麗磁器というのがたくさん並んでいた。我々はそこで、マグカップを購入。代表的な模様であるという鶴と牡丹を選んだ。

 昼食は石焼きビビンバ。現地ガイドの薦めでカルビ焼き肉を追加注文。そうこれが食べたかったのだ。我々はそれぞれ1人前ずつ食べたかったのだが、隣に座った老夫婦と一緒で二人前となった。残念な気がしたが、出てきたのを見て、それで良かったと思った。テレビで見るようなカルビとは違っていたからだ。やはり安いのかな。このころになると雨はすっかり上がって青空も見え隠れして、皆を喜ばせた。

 続いて天馬塚を見学。古墳公園とは知っていたが、実際に目にしてみるとその数の多さ、大きさに圧倒される。その一番奥にあるのが天馬塚。唯一中に入れる古墳。誰の墓かわからないため、天馬を描いた絵に依ってそう名付けたそうだ。

 夕食は宮中鍋。鍋の中にたくさんの具が入っている。それをぐちゃぐちゃに煮込んで食べるのだが、順はおいしいといってたくさん食べた。20時近くにホテルへ戻る。ホテルは昨日と同じ。

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2002年 3月28日(木) 韓国温泉体験・百済終焉の地扶余・海印寺の高麗八万大蔵経版木
 今日は最初に朝起きて、ホテル付属の「温泉」へ行く。韓国の「温泉」はい、ホテルとは別個の銭湯と思えばよいだろう。従って、軽装でも良いが浴衣スリッパで出かけることは出来ない。ここはホテルに宿泊している者は無料。入り口でキーを見せて、そこで男女別れ、さらにその先の受付で、ルームナンバーと氏名を記入して入る。そこからはオンドルになっているので靴を脱ぐ。

 最初に百済の終焉の地扶余へ向かう。山城だ。入り口からアップダウンを繰り返して、落下岩の上に立てられた百花亭という東屋に到着。唐の軍勢に追いつめられた百済の女官たちが、チョゴリを頭にかぶり怖さをふりしぼり、断崖絶壁から飛び降りたという悲劇のあった地で、その飛び降りた女官たちの様が花びらのようだったことからこの地がそう名付けられているという。落下岩の断崖絶壁の様子を見るために遊覧船が出ているというので、少し下って船着き場へ行く。日本語の解説付き。船の上から絶壁を眺めると、飛び込むと途中で引っかかりそうで、文字通りの断崖絶壁ではないが、その悲劇だけは高さから伝わってくる。

 それから向かったところは昼食場所。参鶏湯。二人で1羽かと思ったら、なんと一人1羽なの。どんぶりの中にそれはかわいそうな形で入っていて、それをぐちゃぐちゃにかき混ぜて食べる。勿論鶏そのままだから、軟骨とか骨も多く、順は食べると言うよりそれを探すのに夢中になっているようだった。味は淡泊で、自分で塩こしょう、キムチなどを入れて味付けする。

 バスに揺られ海印寺へ着く。思ったよりも奥が深くて始めの門を通してずっと奥まで見える。最初に、高麗時代の石塔を見る。これは国宝だと言うことで、先についた金属が風にゆられてなっているのが印象的だった。しかしながらなんと言っても、海印寺のメインは世界文化遺産に1995年12月に指定された高麗八万大蔵経と呼ばれるお経の版木。ただ実際はその姿を見ることはあまりかなわない。ベンガラ格子のような窓からのぞき込むだけだ。一枚だけ、おそらくはレプリカだろうものが、その覗き窓の脇に掲げられている。それとてガラス越し。当然版木だから逆さ文字になっているが、お経はハングルではなく漢字で書かれているのは日本と同じ。

 海印寺の門前町のようなところで、夕食。は山菜定食ということで、三頭山荘のような感じのもてなしだ。数を数えるのを忘れたが、30品目は優に超えていたように思う。その半分以上はキムチになっているから、何のことはない山菜定食というが、キムチ定食と言っても良い。

 高速に載り、今夜の宿泊地慶州へ。夕刻になり、定かではなかったが桜が満開状態で、明日が楽しみ。

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2002年 3月27日(水) 江華島ドルメン・水原城趾
 今日は江華島とドルメンと水原城趾の見学。

 江華島は日本人にとっては微妙な島だ。明治時代に鎖国政策をとる朝鮮政府に軍隊を派遣して、丁度ペリーの逆をやるような形で開国を迫り不平等条約を結ばせた、その土地だ。そして現在は北朝鮮とその島の4分の3の海岸線を対峙させる停戦ライン最前線の島でもある。さてドルメンだが、日本で花輪の環状列石を見たことがあるが、これも古代の墓と言われているもので、江華コインドル遺跡とも紹介されているもの。また日本語では、支石暮といわれるもの。韓国全土には3万ともあるといわれるもののうちで、かなり保存状況の良いものがここ江華島にあり、また韓国最大の北方式支援暮とも言われている。

 次いで伝燈寺を見学。ここは372年の創建と伝えられる韓国最古の寺。堂宇がいくつかあるが、その中のどれが最古のものなのかは聞き漏らしたが、どうも感じとしては創建当時からのものがあるのではなく、何回か立て替えられているようだ。伝燈寺と呼ばれのは、高麗忠烈王の王妃の公主が献灯したと伝えられているところから来ているらしい。

 昼食後水原城に到着。この水原城が1997年12月にユネスコ世界遺産に登録されたわけだが、その前後に修復が行われた。その修復には、それが比較的に近代のもの(1796年9月完成)であったこともあり、詳細な城郭の設計図があったことが幸いしているらしい。特徴は、丁度西洋の城郭都市のような構造にあるということだ。中に町も田畑も存在したようで、その延長は5キロを超えるものとなっている。ここの整備は、世界遺産への指定が早かったこともあろうが、かなり進んでいる。城門には巡視の兵士の格好をした人を配置したり、公衆便所を整備したり、インフォメーションセンターを置くなどされていた。日本語の無料のガイドまであった。

 高速を通って宿泊地を目指す。途中、サービスエリアで17時25分から40分まで休憩。栄養ドリンク剤を購入。18時40分から夕食。しゃぶしゃぶの予定がブルコギに変更。マッコリを飲む。日本のどぶろくのようなものと思えば間違いはない。ホテルはすぐそばで19時30分には到着。

 この記録はたびたびの旅「韓国編」にて詳細をご紹介する予定です。

2002年 3月26日(火) ソウルへ
 今回の旅行先は「韓国」。・・・ところで何故今まで韓国へ来なかったのかというと、それはひとえに順がキムチに対して拒否感があったからに他ならない。が、今回は意を決して訪れることにした。

 今日は沖縄よりも飛行時間の短い隣国とは家、外国なので一人前に入国するだけの日。飛行場はインチョン(仁川)の新しい空港。1時間かけてソウルにはいる。夕食後ホテルチェックイン。

 この記録はたびたびの旅「韓国編」にて詳細をご紹介する予定です。

2002年 3月25日(月) 卒業式
 練習の後の卒業式。完璧とはいかなかったけれど、まあ無事に終了。5年生は大忙しの1日だった。何しろ卒業式の後かたづけと入学式の準備をいっぺんにするのだから。でも、子供たちがよく動いてくれるのでものすごくスムーズにいって予定より早く終わった。
 来年度はどうなるのやら。

 ・・・正直に書いて、一昔前には今日はご苦労様と言って、少々のビールなども出た昼食になる日だが、もはやそういう時代でもなく、去っていく人との最期の職場での日も単に事務作業に追われる日となる。夕方から校長室にはビールが数本並んだが、辞して帰る。ここ何日も酒が続いたので、今日は休肝日。明日からまた約1週間酒漬けなのだから。

 花冷えというのだろうか、適正な気温というのだろうか、昨日今日と少し寒かった。

2002年 3月24日(日) 何で休みなの?
 日曜日でお休みは当たり前のことなんだけど、卒業式前に2日も休みがあるなんて全くなあ。金曜日に終わっていればすっきりするのに。なんてこと思いながら最後の荷作りに励む。なんか忘れているような、でもまあ何とかなるだろうという気楽さも、だいぶ旅行慣れしていたってことかな。

 ・・・今日は荷造りの日。と言っても、その役目は殆ど順さん。それでも自分も分だけはどうにかパッキング。今回は6日間と短いので、リュック2つでおしまいだ。考えてみれば、以前は5日間くらいの旅行でも旅行鞄に詰めていたのだから、慣れというのは恐ろしいものがある。順さんのリュックは着替えしか入っていない。

2002年 3月23日(土) ホッ
 桜も満開なので、花見にでも行こうかという気もあったが、旅行の準備をしているうちに疲れて結局行くのはよしにした。世の中浮かれているが、これでは入学式にはもう桜は見られそうもない。
 準備完了。  

 ・・・どうにも腑に落ちないし、気持ちが悪いの、今日は朝職場へ休みだが出かける。デジカメを捜しにだ。結果、あったのだが、だんだん頭が固くなってきている自分を、いやと言うほど知らされた。ついでに少し仕事をした。校庭の桜はもはやかなり散っていた。

2002年 3月22日(金) 終了式
 今日ですべてが終わった。なんかあっという間の1年間だった。が、実はまだ卒業式が残っている。終了式の後その練習をした。何でこんなにやるの?という子もいたが、実は今日は先生たちの練習日なのだ。全員が参加しての予行となる。

 ・・・暦のいたずらで、小学校は卒業式と終業式の間に二日の休みが入る。中学校の方も卒業式のあと終業式を除いて1日で、これまた日程的にも授業に身の入らない日程だ。実質これで2001年度は終了。ところで、一昨日職場へ持っていったデジカメが見つからない。20日に飲みに行った店にも出向いたけれども、そこにもなかった。と言うか、そんなにものをなくすほどに飲んではいなかった。困った。
 夕方やけ酒を飲んだ(冗談)のだけれども、どうもデジカメのことが頭から離れないで、酔えず。

2002年 3月21日(木) 墓参り
 墓参りで、久しぶりに義妹夫婦と会う。義妹は最近則にパソコンを教えてもらっているので、食事の後も二人でそれにはまっていた。まあ仕方ないかと傍であくびをしていた私でした。

 ・・・気のは墓参りにあまり乗り気ではなかった順さんだったが、付き合ってもらって良かった。それに秋葉原に出たので、500円の図書カードを2枚、新しくなった秋葉原デパートの景品でゲット。そのあと新宿に回り、フィルムを買って旅行の準備をした。

2002年 3月20日(水) 最後の授業
 早いものでもう今年度最後の授業の日になった。といっても大半は卒業式の練習と準備に当てられて、勉強というものは無し。余った時間はみんなで遊んで終わりにした。
 ところで昨日撮影した写真を載せた学級便り、みんな喜んでくれた。大事にしまっている子がいて、こちらが感激した。大サービスだねえ、と言っている子もいた。

 ・・・今日は卒業式。訳あって校長の式辞にも力が入っていた。この学校も創立5年目を無事に終えることになりそうで、まぁ一つの節目ではある。校門を出る生徒の方に桜の花びらが一つ二つ。この先も頑張って生きて欲しい。

2002年 3月19日(火) 記念撮影
 学級便りの最後にクラス写真を載せたいと思ってデジカメを持っていった。ちょっと日がよすぎて屋上でとるにはまぶしかったが、中よりはいいかと思ってそこで移した。結構いい仕上がりだ。それをカラーで印刷して明日配る。反応が楽しみだ。喜んでくれるかなあ。

 ・・・今日一月ぶりに歯医者に行った。歯垢を取るだけだったけれども、40分くらいそれが続いたので、ほんとうに疲れた。今日も気温高く快晴。明日は卒業式だが、もう桜が満開状態だ。

2002年 3月18日(月) 最後の週だ
 今年度も最後の週になった。もう勉強することはないので、まとめがほとんどだ。生活の自己評価などをしたり、卒業式の練習をしたり、といったスケジュールだ。午後は教室の大掃除。持ち帰る荷物の整理などもして、結構忙しかった。

 ・・・相変わらずの暖かな日が続いている。今週は中学校では卒業式があるし、そろそろ異動者(公式に)も分かる時期なので、仕事としてはあわただしい時期になる。

2002年 3月17日(日) 家の中で
 久しぶりに引きこもって過ごした1日だった。が、ちょっと外へ出ると春風を感じるようになった。そうだよなあ、もう3月も半ば過ぎだもの。気分もうきうきする。

 ・・・昨日も暑かったけれども、どうやら今日も20度を超えたらしい。おかげで、昨晩は風呂に入ったし、もうほぼ体調も戻ってきた感じだ。天気もスカッとは行かない感じだが、これはまさしく「花曇り」なのだろうか。

2002年 3月16日(土) 記念日とロードオブザリング 
 今日は公立学校最後の土曜日。来年度からは原則休みになる。ただ、行事の関係で土曜出勤という日も何日かはある。

 午後は映画を見に行く。1時間も並んでしまった。大盛況だった。楽しみにしていた映画だったので、私はおもしろかったが、則は退屈したようだ。すまん。

 ・・・今日は記念すべき日。本来土曜だから休みの訳だが、出勤した。と言っても、何をすることもないわけだが、それでも今日は是非とも出勤したかった。そして何事もなく半日が終わった。そうこれが最後の公立の学校における土曜日だったのだ。(確かに順さんが書いているように土曜出勤が無くなったわけではないが、あるとしてもそれは平日との交換であって、いわゆる「半ドン」は最後となったわけ。)

 さてその足で、順さんと待ち合わせて映画を見に行く。あまりにも長い映画なので、途中で時計ばかり見ていたら、順さんにひんしゅくを買った。3時間は長い。夕方お湿りがあるかと思ったが、それはなかった。夜私のパソコンの一つにXpをインストールした。これはほぼ無事に終わる。

2002年 3月15日(金) 卒業式練習
 来週の卒業式のために、練習たけなわ。暖かいのに、体育館はひやっとする。風邪が全滅していないので、結構空席も目立つ。本番無事に終えたい。

 ・・・ここのところの高温は、風邪にとっては良いことのようだ。でも今日はすごかった。気温が24度近くになったそうだ。暑さになれていない状態では、結構きついものがある。帰りの電車をホームで待っていると、反対側の電車が来たが何と冷房を入れていた。春は直ぐそこ。

2002年 3月14日(木) 春到来
 まさに春だ。薄いTシャツ1枚で過ごせる。ただ、卒業式の練習で体育館に長くいると、さすがに冷える。明日まで暖かい日が続くそうだ。が、もう春と言っても差し支えないだろう。そんな陽気だ。

たまたま次のような記事を見つけた。

 「昨夏、乳がんで乳房の全摘手術を受けました。定期検診でひっかかり、1センチぐらいのごく初期でしたので、抗がん剤も放射線も受けず快適に暮らしています。ただ、乳房切除は女の恥辱と感じている私は、家族以外は誰にも秘密で通しています。温泉や銭湯に行く勇気はありません。もっぱら家のお風呂党です。私は生涯秘密主義で通すしか自信のない弱虫なのでしょう。」

 えっ?1cmで全摘?位置とか深さとかは書いてなかったので詳しいことはわからないが、「もう66歳にもなっているのだから乳房などいらないでしょう。」という医師の思いがあったとしたら、何とも許せない。他の本によると、実際そう口にする医師もいるということだ。

 ・・・最近順さんのところに来たメールで、どうやら「温存」とは言いつつも、(医者との間にどういう話があったのかは定かではないが)かなり患者の想像とは違った形での手術結果であったメールが来ていたと言うことだ。ともかく、その最前線では、ひょっとしたらもはや手術をしなくてもと言う可能性まで考えられつつある昨今なだけに、考えさせられる。

 今日は出張で池袋まで行った。池袋まで行ったが、脇目もふらずに町をあとにした。ふと気が付くと順さんとの待ち合わせまでには時間があるので、新宿で途中下車して、USB2のPCIカードと、Xpプロフェッショナルのアップグレード版とXpプラスを買った。ポイントがたまっていたので、すべてポイントで買ったので支出はなかったのだが、こうした気力が出てきたのは、ようやく風邪も峠を越したと言うことか。

 ところで、少し良くなった来たので、クスリを3回に2回しか飲まないようにしている。それでは効かないと言う人もいるが、どうもクスリを飲むとやる気が失せる感じがするから。それでも少し直ってきたわけだ。そんなわけで、他の人とはこの風邪の間も飲んではいたわけだけれども、今日久しぶりに順さんと飲む。飲むと言っても、ジョッキ二杯程度だったわけだが、それでもこうしてまた飲めるようになったことに感謝だ。それくらいに長かった。

2002年 3月13日(水) 今年度最後の保護者会
 早いものでもう1年が過ぎて、今日が今年度最後の保護者会となった。それでも出席者数は半数をちょっと超える程度。

 忙しい親が増えてきている。いずれにしろあと少しで終わりになる。

 ・・・ここのところ雨らしい雨が降っていないので、学校のご近所さんから校庭の砂が・・・という電話が先日あった。体育主任が塩カルを巻いたが、幸いにそれが功を奏した形で、からから模様の天気だが、校庭も少し落ち着いている。でも、このからから天気は、風邪のためには良くない。まだ咳が時々出る。

2002年 3月12日(火) 生きていれば
 来年の担任はどうなるの?というのが子どもたちの今の最大の関心事。でも、その話題が出るたびに、ある男の子「先生が生きていればまた自分たちの先生だよ。」と頑張って大声を張り上げている。来年も一緒にいたいと願ってくれる気持ちは嬉しいが、生きていれば、という言葉にはグサッとくるものがある。もうすぐ、あと2ヶ月で4年目が終わる。

 ・・・順さんの最近の4年目という言葉はよく耳にするフレーズだ。私が今の職場に移って2年目の春に発病したわけだから、現在5年目が終わろうとしているから確かに4年目だが、これには訳がある。そう、普通の癌は3年で、乳がんは進行が遅いこともあって5年目で、一応の区切りになるからだ。私もあと1年を待ちたい。

 今日は、事務室のみんなが過日の研究発表のご苦労様会をも要してくれた。こんなことは思いもよらなかっただけに、ほんとうは体調万全で望みたかったところだ。

2002年 3月11日(月) 暖かい
 昨日といい今日といい、まさに春。暖かい日が続く。梅も桃も真っ盛りのところに木蓮も花を開かせて、春だ春だと気分もうきうきする。あと10日あまりで今年度もおしまいだ。

 ・・・どうもまだ体調がいまいちだ。だんだん回復が遅くなってきているのだろう。老域への階段を登り始めたと言うことか。そういえば最近単語や人の名前が出てこない。そういうわけで、休暇をとって、遅くなった確定申告を税務署に出しながら、医者に行く。医者を変えてみたが、どうだろう。もう同じ医者に3度通ってダメだったのだから、変えてみたわけだけれども。

2002年 3月10日(日) かけもちで
 今日は2つの旅行社を掛け持ちで旅行説明会に参加する。一つは近く、一つは新宿。で、自転車で移動することにした。
新しい自転車に変えたので、こういうのも苦にならないで移動できる。

 仕事は一応めどがついた。

 ・・・午前中はの分は、最後のお楽しみ抽選会で何も当たらなかったが、午後の最初は一等賞でワインの瓶が1本当たった。そのあとの説明会では更紗のテーブルセンターがあたった。順さんにみんな献上した。帰宅するとまた風邪がっぶりかえしあたかんじなの出、大事をとる。順さんは早速資料の整理。

2002年 3月 9日(土) のんびりムード
 久しぶりに何もしないのんびりした1日だった。本屋で本を見つけて早速購入。自分の名前が乗っているのは何か変な感じがする。匿名にすればよかった。

 ・・・匿名にしてしまったら、たぶん順さんのページの成功は今の半分くらいだったのではないだろうか。本はまた別問題とも言えるが、おそらくは目に触れるのはウエブ版の方が圧倒的多数だろう。

2002年 3月 8日(金) 週末というと則は
 週末というと、則は飲み会。もっとも今日のは、先日の発表会の慰労会だから仕方ない。本人も体調を気にしてか、いつもより帰宅が早かったようだ。

 ・・・今日は午後から出張で、そのあとこの間の研究会の反省会をした。結構高級そうな店で、面食らったけれども、食事はまぁまぁだった。風邪を引いていたので、あまりさわぐこと無く終わる。

2002年 3月 7日(木) 本が出た
 昨日、本屋に並んでいるかと行ってみたのだが、まだなくてがっかりしていたところ、出版社からの贈呈本が今日届いてやっと目にすることができた。名前を見ると何か変な感じ。でも、これを読んで救われる人が一人でもいればと思う。

 ・・・ともかく今日は夕方には、二人して病院へ行った。

 さて、今までも雑誌に掲載されることはあったけれども、今度は乳癌手記集という感じのもので、全部で10編あるうちの一人に名を連ねている。風邪でなければ祝杯をあげるところだけれども・・・。ともかくも、こうして本になってみると感激もひとしおだ。

2002年 3月 6日(水) 焼き肉
 久しぶりに焼き肉を食べに行った。則に元気をつけてもらうためだ。則は珍しくニンニクをたくさん食べた。ニンニクは私にとって元気の元だが、則はいやがっていたのだ。早く回復したいという思いがそこにあるのだろう。よしよし。

 ・・・昨日のように順さんに怒られるのがかなわなかったのと、実際問題少しぶり返し気味だったので、医者に行こうと1時間休暇をとって帰ってきた。しかしながら、医者は水曜午後休診。ショック。それではと、夕食は焼き肉屋へ。豆腐チゲを食べ、ニンニクを焼き、ともかく回復の努力をしてみた。

2002年 3月 5日(火) 何とか
 則は何とか起きられるようになって仕事へ行った。早めに帰るようにと、さんざん言っておいたのに、私よりも遅く帰ってきたので怒った。それで、まだ気分が悪いの何のと言っているからだ。治りかけに無理するとすぐにぶり返すのに。

 ・・・出て行けば仕事があるから仕方がない。年度末というのは、非常に忙しい時期なのだ。熱は大分収まってきたけれども、こんどは咳が止まらない。

2002年 3月 4日(月) 一人ダウン
 私は回復。風邪の種類が違ったようで、早い回復だ。当然仕事へ行くが、則はだめ。3日も寝込んでいる。こんなのも初めてだ。早く元気になってくれないと、こちらの気分も滅入る。

 ・・・職場を休んでしまった。風邪で休むと言うことはここ何年間も記憶がない。おそらくはこの日記でも、風邪で職場を休んだというようなくだりは初めてなはずだ。それくらいまいった。夕方外出したが、まだ本調子ではない。

2002年 3月 3日(日) 二人でダウン
 則がうんうんうなっている隣で、なんか私も気分が悪くなってきた。熱は出ないのだけれど、頭痛がひどくて、鼻水も止まらないので薬を飲んだ。全くいやになるなあ。則のが移って同じようになったらどうしよう。

 ・・・天気はいいが、体調は最悪。もうろうとしている。体温は38度台から39度台。最高は39.7度。かなりしんどい。医者のクスリの合間に、バッファリンを飲むが、劇的に改善されるというわけではない。明日の出勤が危ぶまれる。

2002年 3月 2日(土) 則倒れる
 昨夜から具合の悪かった則が、とうとうダウン。休日出勤をするはずだったのに、結局自宅で休養。39度以上にもなって、さすがの私も真剣に看病と相成った。なかなか熱は下がらず、こんなことは初めてだ。

 ・・・職場へ行こうとしたが、熱が高くてどうにもならない。結局職場ではなく、近所の医者へ。クスリをもらって帰るが、もう完全に病人状態。

2002年 3月 1日(金) 力がない
 力がない。今日もそれを痛感した。今、組み体操の練習をしている。以前、いわゆる「サボテン」というのを小さい子どもとやったときにたてなくて腰砕けになったのに続いて、今日は、「滑り台」という相手の子の足を高く掲げる技をやろうとしたのだが、できなかった。力が入らない。そんな馬鹿な、と思いながら、再度チャレンジしたが、できなかった。

 力だけは自慢できるものを持っていたはずなのに、ちょっとしたショックを味わった。

 これは純粋に年のせいなのだろうか、それとも薬のせいなのだろうか。

 ・・・午後から急に悪寒がしてきて、風邪の初期症状。それでも工事が入っていたので、工事が終わるのを確認してから帰宅。クスリを飲んで直ぐに寝た。