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2002年 2月28日(木) もう2ヶ月が過ぎた
 今年ももう2ヶ月が過ぎた。この前正月を迎えたばかりのような気がする。早いなあ。今年度も残すところ1ヶ月を切った。仕事は順調に進んでいる。

 ・・・職場は今日から3日間期末試験。何故こう書いたかと言えば、来年からは期末試験も2日に短縮される。試験科目が減るのではなく、午後まで試験をやるからだ。その理由は、(授業)時間数の確保のため。

 試験期間中を利用して、今日はピアノの調律を頼む。といっても、統合校である我が勤務先はグランドピアノ3台、アップライト2台という保有数なので、調律代だけでもバカにはならない。自宅にピアノがある方なら、5台分でいくらになるか計算が出来るだろう。

2002年 2月27日(水) 乳ガンのこと
 久しぶりに自分のこと。そういえば痒みはいつの間にかなくなった。でも、何故なんだろう。乳首は小さいままで回復力もなく、ブラジャーを外すと平らになってぴったりと乳房にくっついたままだ。左の方はすぐに元に戻るのに。

 ・・・最近乳癌の話が無いというA医師の指摘におこたえすべく今日も乳癌の話。NHKの「ためしてガッテン」は今年は癌を特集している。実は順さんのところにも取材が大分前にあったのだ。さて、その番組の今日の放送では、乳癌の一部のタイプに(そのタイプは同じ癌でも悪いタイプだそうだ)、増殖の鍵穴をふたをするという形で、ガン細胞の増殖機能を押さえて、結果的にガン細胞を弱体化させるという薬品が開発されたと言うことだ。また新しい治療法が加わった。

2002年 2月26日(火) 異常はあった
 つらつら思うに、去年から異常は感じていた。実際に自分でも確かめられていた。それを、今日思い出した。子宮の出口(入り口?)にポリープがあるというのだが(もしかしたら腫瘍。といってもその違いはわからない。)、膣から飛び出していたそれを、自分の手で触って、何だろうと思ったのを思い出した。去年の今頃だ。出血が止まらなくて往生していた頃のことだ。つまり、去年の人間ドッグの時にはすでにあったのだ。ただ、大きさはわからない。小指の先ほどだったかもしれない。それで、見逃したか?でも私は見つけた。それに違いないと、今は思っている。

 ・・・昨日主治医のA医師にあった際に、実はおそれおおくもA医師がこのページをかなりちょくちょく見ていることがわかった。前からたまにご覧いただいていることは、聞いていたが、「最近乳癌の話が少ない」というご指摘あり。そこでと言うわけではないが、今日は大分前に乳癌を患い、全摘した人と飲んだ。彼女の言によれば、彼女の手術した病院でも、彼女の手術のあと少ししてくり抜き法による手術が開始されたと言うことだ。この間のNHKのニュース番組で、今では抗癌剤で最初にアタックして、そのあとなお病巣があれば手術という手法もとられるようになったと言うことで、技術の革新というのは目を見張るものがある。

2002年 2月25日(月) 定期検診
 また3ヶ月が過ぎて、定期検診の日が来た。自覚症状がないから大丈夫だろうとは思うけれど、あまり気分のよいものではない。結果は、思った通り異常なし。薬はそろそろ終わるかと思ったが、5年まで続けましょう、と言われた。と言うことは、永遠にこの3ヶ月サイクルは続くのか。

 ・・・今回は順さんに着いていく予定はなかったのだけれども、昨日並びに一昨日の人間ドックの結果のことがあったので、急遽O病院へ同行した。彼女の主治医のA医師の見解は、専門外だけれども(手術を初期段階でするかどうかについては)医者によって意見が分かれていることを説明してくれた。その上、友人の医者を紹介していただいた。全く何から何まで世話になっているというかんじだ。

2002年 2月24日(日) 疲れ休み
 連休だったけれども、一昨日から昨日にかけての人間ドックで疲れて、二人ともダウンしていた。

 ・・・連休だったけれども、何処にも行かない日曜にだった。明日はまた順さんの病院だ。順さんが人間ドックでひっかかったので急遽行くことにする。

2002年 2月23日(土) 再検査
 今日再検査をした。結果はよろしくない。落ち着いてからまた通院して、最悪手術と言うことになりそうだ。ただ、前のように深刻な物ではないので、夏休みで済みそうだというので一安心。

 ・・・再検査の結果は上記の通りだが、そのほかにももう一つ検査があって、その結果待ちと言うところだろう。今ひとつの方が実は心配な検査なのだ。カルテのコピーをとってから病院に戻す。月曜日にO病院へ行くので、その時に持っていく予定だ。職域病院も伝統的なところもあるが、婦人科では定評があるところだが、もっともこれは出産関連。何処で手術をすることになるのか。また心配が増えた。

2002年 2月22日(金) 人間ドッグ
 今日、明日人間ドッグへ行く。ここは4年前に行って、私の病気が発見されたという曰く付きの所。今回はそんなことはあるまいと思っていたのに、また引っかかった。明日再検査。全く疫病病院だなあ。

 ・・・人間ドック。この病院に行くのは、職域病院だからだけれども、それはあくまでも選択肢の一つ。私が節目年齢になったので、この病院で受けると食事券がもらえるので、それで行った。順さんの前回の時もそうだったけれども、その時から「乳癌」は始まっていたのだった。今回も婦人科検診で引っかかった。4年前を思い出した。

2002年 2月21日(木) 土曜学校?
 突然新聞に土曜学校なる物が発表されていた。土曜日休みになったのに、子供の受け皿として学校を開催するという案らしい。これも子供の学力低下を心配する動きに押されてのことだろうが、何のための5日制。

 ・・・今日は午後青梅まで出張ということで、寒くなるかと厚着をしていったけれども、すこぶる暖かな一日だった。会議が紛糾したために(その原因は私にもあるのだけれども)結構遅くなった。

2002年 2月20日(水) 研究発表会
 朝からくしゃみが出て出て参った。そのうち鼻水がだらだら、止まらない。とうとうマスクのお世話になる。午後は研究発表会で出かける。思いの外早く終わったので助かる。早々に帰宅して薬を飲んで寝る。

 ・・・ついに妹の家にもインターネットが。夕方、急いで春日部にいるクレヨンしんちゃんではなくって、妹の家に行く。とにかくクオリティーより安さと接続までの手続きの早さでYahooBBを選ぶ。接続は思ったより簡単で、数分で終わって、あっけなく繋がった。電話局から離れていることや、古い公団住宅であることも災いして300そこそこしか出なかったけれども、それでもISDNから比べれば画期的な早さ。

2002年 2月19日(火) 歯医者
 午後は会議の後、屋上から荷下ろしをした。腕も肩も腰も痛い。抗ガン剤は、筋力がなくなるということだが、鍛えれば元に近くまで復元できるらしい。筋力アップに励まなければ。

 久しぶりに則の歯医者へ付き合う。どうしてこうも歯医者というのは長いのだろうねえ。

 ・・・久しぶりの歯医者。また虫歯になった歯があるというので、治療をした。神経までは行っていないと言うことだけれども、もう私の歯はぼろぼろだ。

2002年 2月18日(月) お疲れさん
 どうもすっきりしないねえ。私の周りでそんなに風邪がはやっているわけではないのに、快調が続かない。

 則は今日発表と言うことで遅い。夜迎えに行って慰労。

 ・・・とうとう今日は発表の日。心配だった天気も崩れることもなく、比較的暖かい一日だった。結論を先に言えば、まぁだいたい及第点と言うところだろう。

2002年 2月17日(日) 久しぶりのお湿り
 オリンピックも日本は惨敗ムードで、面白くもなく、ひたすらパソコンに向かっている。合間に「指輪物語」を読んでいるが、第三部までようやくたどり着いたという感じで、あまり夢中になって読めなかった。まあ、映画を見るとまた感想も変わるかもしれないが。全巻買わないで借りてきていて良かった。

 ・・・相変わらずの風邪気味だ。どうも調子が悪い。腹の方は幾分か改善してきたようだが、本来の風邪の雰囲気?それでも気を取り直して夜の町へ。外は雨だったが帰宅時にはあがっていた。明日は晴れて欲しい。体調良くなく、そうそうに引き上げる。

2002年 2月16日(土) イタリアを求めて
 イタリアから帰って何度かあの美味しいピザを求めてイタリア料理店を巡っている。今日も家の近くへ行って食したが、やはり本場にはかなわない。もう1件あるのでそのうちにまた試してみよう。

 ・・・午前中は研究発表用のスライドの最後の追い込み。内容的に変更するところはないから、少し見栄えの酔いものにしようと努力。

2002年 2月15日(金) いくらか楽に
 薬が効いてきたのか、いくらかからだが楽になった。肩腰の痛みも消えた。代わりにちょっと鼻水が出る。まだまだ完璧に治癒していないと言うことだ。ほんとに弱くなった。

 ・・・ここのところ出来なかった外へ出かける仕事をこなした。15日だったが、銀行も郵便局も思いの外すいていた。風が強くて、自転車に乗っていると何度も前のかごに入れた書類をとばされそうになった。どうもまだ時々食後に気持ちが悪くなる傾向にあり、風邪は抜けていない感じ。それとも医者の言うように何か違う病気なのだろうか。

2002年 2月14日(木) バレンタインディー
 バレンタインディーといっても以前のようにたくさんあげることもなく、則ももらってくることもなく、テレビの中の大騒ぎとはまるで縁のない生活をしている。隣の彼には、他学年の若い人がわたしていた。

 ・・・風邪っぽくて調子が悪かった。それでも今日は午後会議が自分の職場であるので、出かけないわけにはいかなかった。そrでも行けばそれなりに仕事は出来るものだ。5時になったら、速効で帰宅した。

2002年 2月13日(水) 風邪?
 二人とも朝から具合が悪い。私は昼頃から寒気と脱力感で座っているのも苦痛になった。が、午後は会議と言うことで黙っていればいい、と休暇も取らずに頑張る。が、やはり具合の悪さは続くので、夜、近くの医者へ行く。もちろん則も一緒。

 ・・・調子が悪くて、午後予定していた印刷屋さんが帰ったところで休暇をとって帰宅した。発表もあるから大事をとったわけだが、風邪で早退などというのはあまり記憶がない。医者に行った、腹のクスリはくれたけれども風邪のクスリ(抗生物質など)はくれないので、がっかり。順さんがもらった風邪のクスリをもらう。どうも先生はぼけてきた感じだ。

2002年 2月12日(火) 則は発表準備
 則は忙しいので、一人で夕食をすます。体がだるく、どうも疲れが残る。年のせいかなあ。やっぱりそうなのだろうなあ。が、かの長島さんも言っていた。「自分で年だとかそんなことを言ってはいけません。」と。そうだね。
 テレビで、学校5日制についてやっていた。親の意見という物を5つくらい取り上げて、その多くが学力低下が心配という物だったが、その中に「先生たちが楽をするためにやるのでしょう。」という意見があった。そんなことを放送するテレビ局にも怒りを感じる。5人の中にその意見を入れる意図がみえみえ。実際は楽より苦になるのに、どうしてその辺のことを自分の足で調べて正確な報道ができないのだろう。

 ・・・6時過ぎになって、急に腹の調子が悪くなった。飲みに行ってもどうも肩が痛いなど、風邪の症状だ。飲み会を切り上げて帰る。

2002年 2月11日(月) 何となく
 指輪物語、一部と二部を読み終えた。それから掃除をしたり、ビデオを見たりして過ごした。則が昼から出かけたので、遊びにつきあうこともなく時間がたっぷりあったからだ。夜、こんな記事を見つけた。
「学校改革に積極的に取り組んでいる品川区。今年4月からは新学習指導要領の開始でますます私立との格差が広がることが予想されるなか、区民などが公立学校を評価する制度を設けることとなりました。」
「荒川区は来年度から区立のすべての小中学校で、一部の教科について子どもの習熟度に合わせて複数のコースに振り分ける授業を実施すると発表しました。習熟度別授業は例えば通常、2クラスに分かれている学年について、ある教科に限り「基礎」、「応用」、「発展」の3コースに再編成するものです。荒川区では今年度、一部のモデル校で実施した結果、子供たちの多くから「授業がわかりやすくなった」という反応がありました。来年度はすべての小学校の3年生から6年生の算数など、中学校については5校が数学、4校が英語、残り1校が英数2教科で実施されます。コースを選ぶのは子どもたち自身です。ひとつの区や市町村の全校で実施するのは都内では初めてとなります。」
 品川区のことで言えば公立学校を評価したところで、意味はない。教員はすぐに移動できるのだから。また、以前のように長くとどまることも許されないのだから。特に今度導入される主幹というのは、6年しかいられない。これでどうやってその学校の特色を出せと言うのか。
 また、荒川区のも、子供が習熟度を喜んでいるように書いているが、結局は能力別と気がついた時点で、崩れるはずだ。能力に合わない子が、発展クラスに来れば、そこで落ちこぼれる。

 ・・・今日は連休最終日だが、何となく過ぎてしまった。

2002年 2月10日(日) 連休2日目もすることなく
 中日だが、特にどうと言うことなく、オリンピックと読書とパソコン遊びにくれる。女子モーグルで里谷が銅メダル。連続個人メダルは日本人初の快挙だそうだ。この期間、愛国者になる。

 ・・・順さんが午前中なかなか起きてこなかったのだけれども、私も午後バタンと寝てしまった。気が付くと4時近く。

2002年 2月 9日(土) 連休開始
 今日から3日間の連休になると言うのに、どこにも出かけない。則の発表があったりして、その準備ができなかったせいだが、私の体もかなり疲れているので、無理することもあるまいと、休養日にすることにした。が、のんびり読書の思惑は則のパソコン遊びにつきあわされて、おじゃん。

 ・・・今日は朝も、昼も、夜もしっかり外食で済ました。一太郎にもいい加減飽きたので、今日はMSNメッセンジャーで遊んだ。妹の家とこれで連絡を取るための実験だ。まぁまぁうまくいった。

 ところで、オリンピックの開会式の何処かの国(ヨーロッパだったような?)の旗手を務めた人は、二度の乳癌を克服した人だというような紹介があった。頑張った人の頑張った分を頑張っている人が受け継げばいいなぁと思った。

2002年 2月 8日(金) 学校開放日
 今は授業参観日とは言わないで、学校開放日という。保護者だけではなく、地域の人たちにも参観してもらおうというのが趣旨で、近所にビラを配ったりもしたようだが、やはり関係者以外はいなかったのではないかな。

 ・・・今週は金曜日にしてようやく全員がそろった。朝会での発言も今日まで待たないと全員には徹底しない週だった。さて、昨日殆ど一日留守にした罰とでも言うのだろうか、今日は役所の人や業者が入れ替わり立ち替わりやってきて、それに予算の未執行者に催促するなどして、まぁ一日が終わった。帰りに同僚と電車に乗ったが、これも今週初めてだったかもしれない。ドタバタの一週間だった。

 夕方帰宅してから、まずは妹の家に電話して、インターネットの彼女の家の分の申込をする。それから、一太郎の新しいバージョンが出たので、自宅のコンピュータにインストール。でも、感激がだんだん薄くなる、昨今のバージョンアップだ。ただ、このソフトを買うとインターネットディスクという、ディスクエリアをもらえるので、それにつられて買ったと言うべきか。これは、職場でも家でもインターネットでアクセスすれば、同じ環境でファイルを開けるので重宝している。昨日まで160Mだったが、残り少なくなってきて、今日で一挙にそれが320Mになった。便利だ。

2002年 2月 7日(木) 午後は仕事と残り勉強
 区の研究発表ということで、本当は全員出張日だったのだが、何しろこっちの子供を帰す時間がどんなに急いでも1時15分であちらの授業の始まる時間が1時30分。うまくタクシーを捕まえて突っ走っても遅れる会場なので、結局参加をあきらめた人が多かった。代わりの数人の子供を残して勉強。来年度から指導内容が変わって、後れた子には補習でカバーするようにと文部科学省が行っているようだが、6時間が増えるのに、その時間をどうとれと言うのだろう。

 ・・・今日は朝会が終わってから、少し連絡調整のあと職場を飛び出した。研究会の付属資料を印刷しなければならないから。40ページ分、350部印刷する。午後から製本部隊が来るので、それまでに印刷しなければならないからだ。何とか5時までには印刷製本とも終わる。やれやれ。

 その帰り、帰り道一緒になった人の知り合いが乳癌でなくなったという話を聞いた。部分切除だったらしいが、そのあとに何にも処置をしなかったという。具合が悪くなって再入院したら、その翌日にはなくなられてしまったと言うことだ。昨日も書いたけれども、今や乳癌は部位の位置や大小にかかわらず抗癌剤は必須が常識化しつつあるというのに。

2002年 2月 6日(水) 来年度の話&NHKの10時のニュース
 来年度の計画を少し話し合った。土曜日がなくなることが結構影響が大きい。今、年に2度土曜日にPTA関係の行事が入っているのだが、それを生かすために土曜日授業、月曜日振り替え休日という考えが進んでいるらしい。それって変じゃない?

 ・・・2年生がスキーの移動教室に行っているので、今週の水曜日は職員会議がない。移動教室のバスがそろそろ着くというので、迎えの舞台が降車地まで行ったのだが、皆疲れていると言うことで、反省会無しに帰ってきたらしい。それくらい現地ではしっかり滑れたと言うことだろう。まずまず。

 夜NHKの10時のニュースで、乳癌が取り上げられていた。手術前に抗癌剤でアタックをかけると消えてしまうケースさえあるということで、乳癌治療の今後を示すといった風のもの。順さんのところへ来たメールの人でも、劇的な改善が見られた人がいたことを思い出した。

2002年 2月 5日(火) 則は遅い
 則は発表を控えて、準備に忙しい。私の仕事も順調に進んでいる。一人でテレビを見ていたら、イタリアが舞台の物があったので、懐かしく見て時間をつぶす。でも、ひもじぃー。

 ・・・今日は本格的なリハーサルの第2回目の日。8時近くまで修正やらでかかる。だいたい時間的には当初の計画通り収まるようになってきた。ポイントもチェックして、コンピュータ操作をしてもらう人との調整も進んだ。終わったあと、少し飲んでいたら、「あら、まだ10時じゃない」という隣の席の女の子の声に驚いて急いで帰る。

2002年 2月 4日(月) 忙しい
 忙しい、というのは、展覧会の後始末に追われたからだ。休み時間のうちに会場校へ行って、後始末をしてすぐにとんぼ返り。自転車をすっ飛ばしていったのだ。大きな作品を壊れないように気を遣いながらだったので、気持ち的にも疲れた。が、その後はのんびりできた。

 ・・・そろそろ年度末も近いので、今日から少し研究モードから仕事モードにシフトして、会計をじっくりいじらないといけないと言う・・・気持ちだけにはなった。そう思っただけかも。今年は、教員の方も新指導要領対策で、執行も遅い。かつて統廃合や、新校舎移転やら、研究やらをやってきた人たちとは感じが違ってきているのだろうか。

2002年 2月 3日(日) 雨の日曜日
 雨の日曜日。去年は江川・徳光が、「暗い日曜日」なんてことを繰り返していたが、今年はそうならないように清原に期待。

 さて、そろそろ新聞を取ることにするかな。やはり細かい情報は新聞だ。

 ・・・一日雨の日曜日だった。まただからグダラグダラで終わった。コンピュータの前に座れば、相も変わらずプレゼンの修正だ。

2002年 2月 2日(土) 地域の餅つき
 地域の人の尽力で餅つきが行われた。一人一人が体験できる貴重な行事だが、来年度からは土曜日がなくなるので、一体どうなるのだろう。この、土曜日がなくなるというのは、結構不便なところがあって、来年度の行事をくむのにも頭の痛いところだ。毎日の授業だって3日間が6時間、後の2日間は5時間と結構めいっぱいになる。1年生だって週3回5時間になる。これで余裕?これなら土曜日もあった方がいいという話が職員室でなされる。しかも音楽と図工がそれぞれ年20時間も削減される。高学年は担任の負担が大きくなってとても余裕どころではなくなる。

 ・・・土曜日だけでも、出張があたりいろいろで、仕事があったので出勤だ。でもこれサービス分。出勤したら校長が風邪で、大分調子が悪そう。明日からスキー教室引率なのだが心配だ。昼にはイタリアづいて、順さんとピザとスパゲッティ。

2002年 2月 1日(金) もう2月 キャンプイン
 もう2月。早いなあ。なんて言っていながら、今月の学年便りを見て、「あれっ。卒業式のこと書いてないじゃない。」と言って大笑いされた。そう、まだまだ今年度は残っているのだった。

 プロ野球はキャンプイン。始まりだ。また楽しみが増える。が、世の中は、田中外務大臣が更迭されたというので騒がしい。

 ・・・今日は栃木まで出張。18日の発表に向けて発表準備も急ピッチと言うところか。いくつか参考になる点を収穫出来た。それにしても、発表内容がお粗末すぎる。上層部のお題目のような教育か一家卯という言葉が遠吠えのように聞こえる。