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2002年 1月31日(木) 出張 |
区展の準備のため、3時過ぎから出張。実は今日も小さな会議が入っていたのだが、私は出かけることがわかっていたので、事前に終えていたのに、「こちらの方は大丈夫なの?」だって。足りない時間をやりくりして他に迷惑をかけないようにしているのに。もっとも今日の出張だって、好きこのんで行ってる訳じゃないのに。だったらやめてもいいですか?って逆に聞いてみたい。
・・・今日は午後会議で、スンナリと退勤出来るかと思っていたら、なかなかそうはいかずに、結局5時半くらいになってしまった。焦っていたのは、今日は妹の家に泊まりに行くためで、明日の出張のリスクを少なくするための防衛策。
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2002年 1月30日(水) 会議疲れ |
今日も会議。連日3時間以上の会議が続くと疲れる。が、やっと終焉。これでやっと来年度の計画に入れる。つまりはこの3日間は今年度の反省だけだったのだ。
・・・職員会議の日。今時は何処でも年度末反省と新教育課程による来年度の教育課程編成で会議会議になっている。その実があがっているかどうかは定かではないが、(内容的にかけないけれども)驚くようなこともていきされたりする。
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2002年 1月29日(火) 則は打ち合わせで |
則は発表の打ち合わせで遅くなると言うので、仕事をしてこようと思ったが、会議疲れで早々に帰宅。子供の中にインフルエンザと診断された子がいて、ドキッ。広がらなければいいが。
・・・今日は発表の担当者と夕方から打ち合わせをして、一応完成版を作る予定だったので、帰宅が遅くなった。遅い時間に駅に降り立つと風もきつく、あまりの寒さにちょっと一軒よることにした。でも二人で1200円ちょっと。ところで、新宿ではまだインフルエンザの話は聞かない。
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2002年 1月28日(月) 今日から会議付け |
この時期になると、どこでもそうだが1年の総括にはいる。ということで、我が校も午後は会議の連続になる。授業は午前中のみ。司会をしたせいでもなかろうが、則が寝たらすぐに私も寝てしまった。
・・・今日は気が付くと10時、昼食も気が付くと13時15分であわてて食べて、午後は午後で業者が工事や修理で来たり、子供が(決して故意ではなく)窓開閉用のハンドルを壊したり・・・と珍しく忙しい一日でした。それがためかどうか分りませんが、8時過ぎにはねてしまいました。
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2002年 1月27日(日)   何と言うことなく |
何と言うこともなく1日が過ぎた。ほとんどをコンピュータの前で過ごした。それでも何か成果があったかというと別段これと言った物もなく、ほんとに何となく過ごした1日であった。
・・・まぁ順さんの書いたとおりの日を過ごした感じがする。今週は金曜日にまた出かける予定があるので、少し忙しいからそれもよしとしなければならないだろう。
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2002年 1月26日(土) 連休だー |
連休でほっと一息。則と映画を見に行く。フランスの「ヴィドック」という作品。サスペンス物で、私は結構楽しんだが、則には面白くなかったようだ。夜はテレビで「ランボー。怒りの脱出」を見る。もう何度目だろう。このシリーズは大好きだ。
・・・だいたい私は、女優の顔が皆同じに見えてしまうくらいに、映画が苦手だ。今回の話も最後に詰まるところ大逆転劇があるのだけれども、そうもそれがよく分らなかった。でもこの映画の券を無料でくれた職場の人に感謝しなければならないだろう。この映画のおかげで、私は順さんに今度の研究発表のリハーサルを手伝わせるのに成功したのだから。
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2002年 1月25日(金) 週末だー |
今週は早かったなあ。疲れたと思いながらもあっという間にすぎてしまった。帰る途中で買い物をしてきたので、則より遅くなってしまったが、頼んでおいた荷物が案外早く着いたので、その後でかける。
・・・荷物が届くというので、急いで自宅へ帰る。何と順さんよりも早く戻ってしまった。今日もまたまたパワーポイントの修正と、いよいよ発表原稿の読みに入って、またまたいくつか修正を余儀なくされる。
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2002年 1月24日(木) 梅の花が |
朝から体がだるくて重くて、結局は1日直らなかった。昨日のせいかなあとも思うが、医者へ行ったら血圧も上がっていた。腰も痛くて風っぽい感じもする。早めに寝よう。
明日も寒いと言うことだが、今日梅の花が咲いているのを見つけた。1本だけだが、まんべんなく花をつけて見頃だった。日も長くなった感じがするし、春がやってきている。嬉しい。
・・・一昨日と徹夜まがいと、昨日の深酒がたたって、今日は一日眠かった。順さん共々今日は早寝だ。
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2002年 1月23日(水) 久しぶりに友と |
お別れの会で久しぶりに出会った人と、今日も会うことになった。彼女の娘さんがやっているという店に行って久しぶりに近況や先日亡くなった友の話などをしてひとときを過ごした。
・・・五語は研究発表の会場へ、最終的な下見に行く。その後飲み会。また葬式の話やらで、ヘンに盛り上がってしまって、結構飲んでしまった。ショット羽目を外しすぎたようにも思う。
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2002年 1月22日(火) 疲れた |
日曜日の疲れがでたのかなあ。気持ち的にもガクッときて、なんか体がだるい。まあ、仕方ないな。今週は冥福を祈りながら過ごすことになるだろうね。何かというと思い出されるもの。
・・・今日はようやくパワーポイント用のコンテの一番大きな部分が届いたので、家に帰ってから殆ど徹夜で仕上げる。全くこの分だれが保証してくれるのだろう。
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2002年 1月21日(月) ふーっ 冬の稲妻 |
昨日の今日、とは言ってもなかなか気持ちが切り替わらない。昨日の延長のような気がする。ただ、午後は保護者会があったので、そんなままでぼーっとしているわけにはいかなくて、かえってよかったかもしれない。
外は大嵐で、雷が鳴っていた。あれだけ荒れると、すかっとして気分転換に役立つ?
・・・昨日までのことは昨日までのこと。すっきり気分を入れ替えて一日をおくる。相変わらず研究の原稿がうまく集まってこない。そんなこんな思っていたら、また友人から電話で、これがまた気分のすっきりしない電話。良い一日ではなかった。
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2002年 1月20日(日) お別れの式 |
朝から葬式の手伝いに出かけた。葬儀の後、焼き場に行って、その後は初七日の会に出たので、帰ったのは夕刻になってしまった。久しぶりに会う顔もあったが、なかなかゆっくり話はできなかった。でも、年々こうした懐かしい顔が消えていくのは、やむを得ないとはいえ寂しいものだ。
・・・昔ののみ友達の一人が逝ってしまった。彼はその世界ではかなりの著名人だったし、大きな葬式に結果としてなった。しかしながら、その彼が癌になってからと言うのはアッという間の人生だった。退職して2ヶ月で発病し、その後の二年半でだ。私はさぞや彼は残念だったろうともう。冥福を祈りたい。
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2002年 1月19日(土) 朝からめまいが |
朝からめまいがして、いったいどうしたのかと自分でも不思議だった。こんなことは初めてだ。午前中ずっとふらふらして座っていた。4時間目は親と子の会だったが、ごめんといってずっと見学させてもらった。夕方になって少し収まってきたが、まだめだ。明日は1日葬式になるのに大丈夫だろうか。
・・・妹の家に一日でかけた。コンピュータを買ったので、そのセットのため。結構疲れたが、まぁ彼女の意気込みをよしとしたい。
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2002年 1月18日(金) なんてこと |
なんてこと。突然の知らせを聞いてびっくりした。午後の予定をすっぽかして帰宅。しばし気持ちを落ち着けて則と善後策を話し合う。
・・・午後、予期せぬ知らせが順さんからあり、それからはそのニュースを中心に回ってしまった。簡単に言ってしまえば、順さんも私も知り合いの人が、退職間もなく発病し、そしてわずかに二年足らずで逝ってしまった。病名は癌で、結構運動もするしで、体を鍛えていた人だった。アンディー・フグだって病魔には叶わなかったと順さんがつぶやいていたのが印象的だ。少なからず順さんはショックだったことは、言うまでもないことだ。
帰宅後、相当数の人々に電話連絡をした。これが功徳とも思いかけたわけだが、こうしたことを後何回繰り返したら、自分の番になるのだろうかとも思った。ともかく、冥福を祈りたい。
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2002年 1月17日(木) 学校評価2 |
今日の話し合いで何とか終わった。来年から大幅に変わるので、いろいろと大変だ。話し合いもなかなか先が見えない・
・・・午後から出張した。最近また会議における発言が多くなって、少し反省をしている。それでも唇寒しにならないようにしているつもりなぶん、としとったなぁと言う感じもするが。さいわい昨日から崩れていた天気も回復して、近場の出張だったこともあり、帰宅時間に差はなし。
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2002年 1月16日(水) 学校評価1 |
学校評価が始まった。これは今年度の学校の様子を振り返って反省したり、それを元に来年度の計画を立てたりすることだ。今月はこうした会議が続く。
・・・参集の職員会議は眠かったが、今日はそういうことはなく、過ごせた。時差ももうどっかにいてしまったのだろう。ところで今年度は全体に仕事が遅くなっている傾向にある。自身の理由によるものも、そうでないものもあるが、早急にナット化しなければと、気だけが焦る。夕方から雨になった。
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2002年 1月15日(火) 連休後はいつも・・・ |
連休後はいつも疲れてしまう。なんで休むと疲れるのだか。全く怠け者は仕方ないなあ。
・・・月曜日はつらいが、連休後の火曜日はもっとつらい・・・、はずだが、今日はそうでもなかった。しかし朝起きる時はさすがにつらかった。
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2002年 1月14日(月) 写真整理 |
やっと写真の整理が終わった。その間にコンピュータのいろいろをやってもらったりして、結局はほとんどを家で過ごした3日間だった。
インストールをさ
せられながら、僕がいなくなったら困るでしょうと言われたが、則がいなくなったらもうパソコンはやらないよ。ついでに、病で寝込んで最期に近くなっても友人に見舞いにきてほしいという則の願いも聞いた。もう、そんな話をしている。
・・・三連休も終わってしまえばアッという間。なんだかパソコンに振り回された三日間。ともかくも、これで正月気分とも小正月も過ぎ、完全におさらばだ。年末年始級のイタリアへの旅のページも完成させた。ご覧いただけると幸いです。
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2002年 1月13日(日) 暖かい |
新しいパソコンが使えるようになったが、写真の整理に追われてほとんど使わず。1日中机に向かっていたので腰が痛い。全く何をやっているのだろうと思うが、けりをつけなければずっと引きずっているようで次の仕事に入れないので、仕方ない。そういう性格なのだ。一度にいくつものことができない。
・・・一応新しいパソコンも動くようになったが、ちょっとどじをしてしまいもう一度再インストールしたい心境だ。私の方は、ウエブの旅行記を仕上げている。でもいつになるやら。
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2002年 1月12日(土) 3連休。新しいパソコン来る |
やっと休みがきた。やっと休める。と思っていたのに、全くふつうに目が覚めて起きてしまった。どうも年のせいか、以前のようにゆっくりと寝過ごすことができなくなってしまった。これで疲れがとれるのかと心配だが、まあ、無理して寝ていることもないだろうと活動開始。
・・・今日はいよいよ順さんのコンピュータが来る日。朝9時から14時の間というので、スペースも確保し朝ご飯も食べて待てど暮らせど来ず。仕方なく13時頃弁当を買いに行き、弁当を食べながら待つと、14時少し前の時間にようやく到着。その後は21時頃までひたすらインストール作業。疲れた。
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2002年 1月11日(金) 則は新年会 |
則が遅いというので、仕事をして、と思ったが、特に今やらなければならないこともないので、早々に帰宅。といっても則を迎えに行かねばならないので寝るわけにもいかず、といってパソコンは壊れて思うに任せず、休み中にビデオを撮っておいた「レ・ミゼラブル」を寝ながらみていた。
・・・夕方から新年会。いつもはもう少しは人数が多いはずなのだけれども、今回はたったの6人。それにしても少し料理が豪華で、食べきれなかった。まぁそれもよし。さすがに帰って何も口にすることはなかった。プリンターのインクを買ったので、イタリア旅行の最後の印刷をして寝る。
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2002年 1月10日(木) 最悪 |
やっと3日目が終わった。空き時間はひたすら丸付けで仕事に努めた。6時間目はひたすらしゃべって何とか頑張った。明日1日頑張れば休める。
手術した方の乳首が痒くて参る。外見はどうということはないのだが、痒い。
・・・昼間職場でユーロを見せていたら、社会科で使うからと、社会科の講師の人に貸すことになった。戻ってくるかちょっと心配。さて今日もイタリア旅行の印刷の続き。とうとう100枚買ってきた紙が無くなってしまった。インクももう少し。明日インターネットで買ったインクと印刷用紙が届くので、続きをやることにして寝た。
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2002年 1月 9日(水) 時差ボケ |
2日目も無事に終わる。が、体がだるい。今週は土曜日が休みなので4日頑張ればいいという気楽さを思っていたが、とんでもない。やはり時差ボケか、体が重い。もっとも、毎日ごちそうを食べて太ったせいもある?
・・・どうもまだ時差ボケが治っていないのだろうか。職員会議が関係ない話題だったせいもあって、とんでもなく眠かった。家に帰るとまたイタリアの印刷の続き。ようやく新しい年の分に入った。
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2002年 1月 8日(火) 始業式 |
私の仕事始め。これも始めの顔合わせなどなく、それぞれがそれぞれの仕事に精を出す。味気なくなったものだ。といっても、北の方の警察が新年会と称して勤務時間中に麻雀をやったと非難する報道がなされていた。
・・・始業式。でも、出発式もない静かな滑り出し。まぁそれの方がよかった。今日は何せ、歯医者の新年初日なのだから。ところでその歯医者、しばらくは現在の調子で様子を見ましょうということで、次の予定はおよそ一ヶ月後になる。少し気が抜ける日々が続くか。
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2002年 1月 7日(月) 仕事始め |
則は仕事始め。私は旅行の後始末。寒波がきているそうで、家の中はなかなか暖まらない。イタリアも例年以上の寒さだったようだ。世界的に冷え込んでいる・
・・・職場へ久しぶりに出勤する。しかし誰もいなかった部屋は、寒々しく、これは例年のことではあるが、暖房をフルパワーにしても暖まらない。この時期はいつもそうだけれども、何年たったらこのコンクリートの湿気というか、寒さが抜けるのだろうか。
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2002年 1月 6日(日) 買い物 |
今回の旅行は、則がカメラをデジカメにしたので、その印刷用の紙とインクを買いに行く。ついでに私のパソコンも見に行く。今故障中で自由に使えないので、買ってくれるというのだが、なかなか手に入らない。
・・・今日はヨドカメにデジカメで撮ってきたイタリアの画像を印刷するための用紙などを買いに行く。コンピュータを見るが、結局買わなかったので順さんはお冠だ。だいたい私の優柔不断さは慣れているだろうに。
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2002年 1月 5日(土) 帰国 |
飛行機は1時間弱の遅れになったが、無事に帰国。鞄も無事にでてきて、1時間弱で荷物の託送もすませ(幸い一つの業者だけだったけれども当日配達に間に合った)、発射数分前の成田エキスプレスに滑り込む。
久しぶりに戻った我が家はひんやりと冷たかった。考えてみれば支倉常長は、昨年訪れたメキシコを経由してローマに至っている。イタリアは遠いはずだし、何かしらの因縁も感じる。
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2002年 1月 4日(金) 今日の夢ローマの夢 |
いよいよイタリアを離れる日が来た。
我々の飛行機はローマを12時の予定が、30分以上も遅れて離陸。途中ミラノに立ち寄るが、ミラノでは降機できず。ミラノで更に遅れは大きくなる。ひたすらがまんがまんの飛行機旅。
それでも定刻より小一時間の遅れで成田着。鞄がでてきて、それを唯一12時を回っていたものの今日配送してくれるという配送業者に預けて、発車2分前の成田エキスプレスに飛び乗った。これでわれわれの正月休みが終わった。
この旅行の詳細は「イタリア周遊マップ」からご覧いただけます・・・
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2002年 1月 3日(木) ローマ |
今日今日で昨日とは違った意味で、ジェットコースターのような旅程。
最初はバチカン博物館。バチカンが集めた様々な美術品が、建物全体から調度品まであふれた博物館。ここで我々は予定にないラファエロに対面する。これも見学予定になかったので超ラッキー。ここであの、「アテネの学堂」に対面。古代の哲人達をラファエロがその同時代人を映したことで有名。もちろん本人も登場している。ちなみに、中央左はモデルをレオナルド・ダ・ヴィンチにとったプラトンであり、中央右は、ミケランジェロをモデルにしたプラトンの弟子アリストテレス。
そして、この旅の半分の感動はシスティーナ礼拝堂。ミケランジェロの「最後の審判」や旧約聖書に基づく天井絵がある。ここは写真を撮ることはもちろん叶わなかったけれども、ミケランジェロが絵画においてもやはり彼は彫刻家であったとうならせる作品。何処まで替えで何処までがこの礼拝堂の構造物なのかは歴然とは判明せず。すごい。この感動は写真では絶対に味わえないものだ。そして修復をしてあるものの、美しさも特筆もの。もちろんルネッサンス期の最高傑作の一つであるが、30分ほど採っていただいた鑑賞時間はあっという間に過ぎていった。
それから昼食を挟んで、ローマの古代建築物の見学。何と言ってもメインはコロッセオと呼ばれる巨大な円形競技場。とにかく大きい。でかいと言った方がよい。残念ながらフェロ・ロマーノと呼ばれる歴史的建造物が林立している地域はその入り口までで遠望するしかなかったが、その規模たるやすごいとしか言いようがない。
それから定番のローマの休日で有名なスペイン広場やトレビの泉に行き、スペイン広場近くの有名な喫茶店にもよって最後はローマの夕日を見ていたリア旅行の最後を終えた。
この旅行の詳細は「イタリア周遊マップ」からご覧いただけます・・・
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2002年 1月 2日(水) ポンペイ&カプリ |
午前中はポンペイの観光。でもその後にナポリがあるので、とっても時間的には厳しい観光になった。朝早く、ポンペイに行く。でも、ここで入場券が発売出来ないトラブル。でもこのトラブルは否応なしに我々に新しい時代が来たことを教えてくれたのだ。元旦の酒で少々忘れかけていたことだったわけだが、時代は確実に新しい年になり、ググッと針は進んで、ヨーロッパはまさに1年遅れで新世紀に突入したわけだ。そう、昨日からイタリアンリラからユーロダラーに貨幣が変更になったのだ。もちろん2月までは同時並行的に使えるらしいが、さすがに政府の機関(?実はこれは想像だけど)だけあって、早くもリラではなくユーロ立ての支払いになり、添乗員氏もあわてたらしいが、こちらのコンピュータもうまく作動しなかったようだ。
さて、ポンペイであるが、残念なことに比較的古い部分の町並みを1時間半程度で駆け足に見たに過ぎない。しかしながらさすがに先進国だけあって、整備状況はこれまでの遺跡の中でもエフェソスに次ぐ整備状況だ。最初に訪れた市場のあったと言われる広場からは、祭壇の向こうにベスビオスが見える観光ベストポジションとも言える場所で、まぁそこだけでも満足出来る場所。それから丘の斜面を利用して作ったらしい劇場。これは古いものだ。もう少し時代が下った頃のものは遠くにあり見ることは叶わなかったのが残念だが、ベローナで見たそしてローマで見る円形競技場はこれを平地に移築したものと考えると、その歴史的過程を見るのも面白いだろうと感じた。2匹の犬に吠えられているイノシシのモザイクのある家があったが、その見事さとともにいぬが当時も人間お友達だったことが分る。このころからもうフレスコ画(乾いていない漆喰に染料を混ぜて描く技法)が会ったことも知らなかったけれども、その画報のおかげで裕福な家の壁面を飾っていた絵なども今日まだ見ることが出来る。さらにそれは、洗濯屋の看板のようなものにも使われていたことも見学出来た。ポンペイやエフェソスにもあった売春宿の後は、この商売の歴史の古いことを感じさせる。道路も寄進と五番お目のように整備され幹線道路は太いし、轍の跡も残っていた。一日いても良い場所だろう。パン屋の炉の跡を見たときには、この時代のパスタはあったのだろうかと思ったが、質問しそびれた。
ポンペイからの帰路、カメオ工場に立ち寄った。これまでのこうした土産物店にもられるような感じはほとんど無く、芸術的な感じさえ抱かせる店だった。順さんはもちろんカメオを買う。
午後の観光はナポリから船で1時間足らずの所にあるカプリ島。ここは青の洞窟と呼ばれている波が浸食して出来たのであろう洞窟を見学出来るというので、このコースを利用するようにした曰く付きの場所。しかしながら、カプリ島に上陸してわかった。冬はでないらしい。まぁ詐欺のような感じがしないでもないが、旅行会社も後ろめたさを感じるのか1000円バックとなる。でもカプリも美しい島で、のんびり休日の延長は堪能出来た。ところでカプリの一番の思いでは、地元の乗り合いの観光ワゴン。十数人乗るその車は日本にあるものと似ているが、その運転は島の細い山道をまるでジェットコースターのように走るのだ。しかも脇見運転おしゃべり運転お構いなし。カプリは陽気なカプリの島の人を味わう旅となった。
ナポリへ帰ってきてから夕食。ここで我々はレストランで、かなりイタリア人と同じような食事を味わったように思う。これまでいささかかの興味といささかの恐怖を持って眺めていたピザをここで食べるチャンスに恵まれたのだ。トッピングそのものはきわめてシンプルなものだけれども、その大きさについて言えば日本では3〜4人前の大きさのものが一人に一枚ずつ配られた。さすがに残してしまった。
この旅行の詳細は「イタリア周遊マップ」からご覧いただけます・・・
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2002年 1月 1日(火) ナポリ |
いよいよ年も改まって2002年。元旦だ。本来ならば今日はポンペイにも行くのだけれども、ポンペイが元旦休日なので、その分今日がのんびり明日はぎっしりと言うことになる。さて今日は一気にナポリまで南下する。でも日程がきつくないので、出発は9時と遅い。およそ3時間かけてナポリへ行き、昼食。さすがに海辺の町だけあって、シーフードがうまい。
そのあとナポリの町を車窓見学中心の観光。元旦にふさわしい穏やかな日和だった。弓形になったナポリ湾の中央部に飛び出た卵城の向こうに、ベスビオス火山が見える。もちろん明日行く予定のカプリ島も遠望できた。夕方早くホテルへチェックインしたが、順さんは一気に寝てしまって起きる気配無く、そのまま夕食まで爆睡だ。やはり少々疲れがでてきたのだろうか。その分良い休日になった。(写真の中央の山がベスビオス。湾がナポリ湾で、ちょこっと飛び出しているのが卵を敷き詰めていると言われる通称卵城で、右に延びる半島がソレント半島。)
この旅行の詳細は「イタリア周遊マップ」からご覧いただけます・・・
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