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2001年10月31日(水) もう10月最後
 早いものだ。もう10月も終わり。今日は冷え込むというので長袖。ということを書いている程度にまだ暖かい。が、来週は寒波が来るそうで、やっと本格的な寒さになるらしい。それを望んでいるわけではないが、紅葉のために、と、頭にはそれしかない。

 子どもの能力差について思うこと。いま、分数の計算への入り口として、最小公倍数や最大公約数をやっているが、できること出来ない子の差が大きい。勿論出来る子は既に塾でやっている子たちで、すらすらとこなす。出来ない子は初めて教室で問題に向かった子達。それもその先が2つに分かれる。真面目に取り組む子は、塾組へすぐに追いついて、できるグループへはいることができる。ところが一部、やはりやる気のない子が問題で、これがどんどん取り残されていく。

 昔の寓話に、「馬を水飲み場へ連れていくことはできるが、水を飲ませることはできない。」というような話があったが、。全くその感が強い。これは小グループ指導に切り替えてうまく行くのだろうか。

 最近、親のアンケートの中に、早く小グループにして指導して欲しいというのがあったが、親は、自分の子どもが遅進児グループにはいることも予想してそういっているのだろうか。それでもOKと考えているのだろうか。私が子どもの頃、そういうクラス編成があったが、それが世論の猛反対でつぶれたのではなかったのか。

 ・・・10月は久しぶりに旅行に行かない月となった。正確には1日に北海道にいたわけだが、紅葉前線が進む中で、東京にじっとしているのは珍しいことと言わなければなるまい。朝晩はだいぶ涼しくなってきて、今日から毛糸の帽子と手袋での自転車通勤となる。体のための自転車通勤だが、寒いからいつまで続くことやら。こうしている間に紅葉前線は東京へ近づいているわけだ。

2001年10月30日(火) 気温が下がる
 最高気温が20度をきるそうだ。もう11月というのに、まだ半袖で過ごしている子が何人もいる。さすがに私は今日は長袖。でも早く寒くなってくれないと紅葉が遅れてしまって、予定したときに見られない恐れがある。寒いのは嫌だけど、一番いいときの紅葉に会いたい。

 学校が新1年生から自由化になるというので、先週は学校公開といって自由に見学できるようになっていた。思ったよりたくさん来たようだが、「学校がきれいか」というあたりもポイントになるらしい。でもこれって、区の予算の関係で順番になっているのだから学校側としてはいかんともしがたい。
 また、他の学校は校長や教頭が着きっきりで案内してくれたのに、ここは何もしてくれなかったという声があったようだが、管理職ってそんなに暇なわけではないのになあ。たまたまそういう時間があったか無かったかと言うことではないのかな。
 それにしても、学校選択の自由化というのは、何をもたらすのだろう。

 ・・・ハッキリ言って学校を選んでも仕方がない。特に小学校の場合には。もし保護者の選択権というものを「ある程度」認めるとするのならば、それは教師を選ぶと言う作業になる。ある学校にすばらしい先生ばかりいてある学校にはそうでない先生ばかりいるなどというのは、ちょっと冷静になって考えれば判りそうなもの。あり得ないだろう。学校だけでなく、それは何処の職場だって同じようなものだ。

 ここでは小学校の子供を持っている親が見ている数も多くなかろうと思うから、しっかりと書いてしまおう。学校などと言ういい加減な固まりでなく、もし選択権を与えるというのならば、教師の選択制にしなければ、特に学級王国の小学校の体制では、そのメリットを享受することは出来ないだろう。逆に言えば、現在の選択制が目指しているもののその目的が何処にあるのかが判ろうというものだ(何年生になるかも判らない先生をどうやって選択するのかなどと言う問いは愚問だ)。現在の動向を将来に向かっての第一歩と見ることも、それは表面的な手段で真の目的は別の所にあると見ることも、可能だろうし、それを判断するのは有権者だ。

2001年10月29日(月) 研究授業で遅い帰宅
 別に授業が夜まであったのではなく、その後の反省会で遅くなった。我が学年は全員出席。その意味で優秀。さすがに6年生は移動教室に続き連合行事の練習で疲れ果てたらしく、出席ゼロ。来年はそういう状態になるのだろうなあ。
 これで最後にしたいと思っている。

 ・・・今日は昨日の代休で休み。昨日はほとんど仕事らしい仕事もなく、教室の鍵を午前中と午後それぞれ一回ずつ閉めて開けてを繰り返したくらい。今日の休みはそのような事情だから、何となくズル休みの感じ。

 順さんが出勤するときに、順さんの命令で、姫リンゴの花とカイドウの花を撮ったが、姫リンゴの花のほうは時期が遅くってその上昨日の雨で写真を撮れる状態ではなかった。代わりにほんとはこの時期こちらのほうが正解の実の方を載せることにする。カイドウの花は逆光だったので、こんな感じになった。ところでデジカメだが、どうも調子が今ひとつ。電池の方が悪いのだろうか。

2001年10月28日(日) 則は仕事
 則は学芸会ということで出勤。で、私は江戸東京博物館へポンペイ展を見に行った。今日が最終日で混雑が予想されたが、思ったほどでもなくゆっくり見ることができた。といってもがらがらというわけではないので、人垣をかき分けてというのは、いつもの通りだが、自分のペースで回れたのがよかった。

 帰りには資料を買い込んだ。土産は、実際に行ったときのために控えて置いたので無し。

 ・・・またまたアサヒコム話題で恐縮だが、こんな内容の記事があった。『実験ではまず磁界感受性のある乳がん細胞「MCF7」に人体と同じ濃度のメラトニンを加え、乳がんの増殖が抑制されることを確認。次に同じ条件でこのがん細胞を高圧線下や家電製品など日常生活でも経験されるのと同じレベルの1.2〜4マイクロテスラと、やや強い100マイクロテスラの磁界に入れた。その結果、いずれの場合もメラトニンは細胞の中で抑制作用を低下させ、濃度によっては消失する例もあった。』

 メラトニンというのは、ガン細胞の増殖の抑制作用を持つホルモンの一種だそうだ。これが電磁波によって不活性になると言うことらしい。もっともこの研究はあくまでも細胞レベルでの話と言うことだが、電磁波にあったっていると癌になりやすいという「ウワサ」の根拠にもなるのでは?

2001年10月27日(土) 華の土曜日
 ゆっくり休んでいようと思っているのに、いつもと同じ時間に目を覚ます。仕方ないのでインターネットなどをする。子どもたちもインターネットを使えるようになったので、こちらも腕を磨かねば、と思うのだが、なかなか則のようにいかない。同じことを調べるのでも、私がなかなかたどり着かないところへいとも簡単にたどり着く。うーん。

 ところでその職場のインターネットなのだが、子ども専用。というか、未だに職員室にはパソコンがないのだ。つまり職員用のパソコンは1台もないということ。従って、職場で仕事をしようと思うと、子どもの使っていないときということで、使いたいときに使えない。一般社会では一人1台パソコンの時代だというのに。こんな状態に置いておきながら、コンピュータを使えない先生は困るとは一体どういう事だと文句を言いたくなる。

 ・・・子供が利用するインターネット検索システムとしては、goo、Yahoo!、Lycosなどが子供のページを持っている。この3つを最近試す機会があったが、「こけし」では全員アウト。「伝統こけし」で引けるのはgooのみ。後はアウト。以前も書いたけれどもフィルタリングのためだが、これでは教材になり得ない。以前台風を引くと「仙台風俗情報」まで引っかかるという話を聞いたことがあるが、何でもかんでも検索出来なければ安全という発想はいかがなものか。検索出来るから検索システムではないのか。こうしたリンクは何処か文科省などでしっかり研究してもらわないと、使い物にならないシステムになってしまうだろう。もちろん危険を冒せと言う主張ではない。念のため。

2001年10月26日(金) 連休前は気が楽
 足はまだ痛いが、昨日よりは湿布が効いたのか少し楽になった。あすから連休と言うことで、気分的にものんびりして、則と待ち合わせて外食。久しぶりに中野へ行った。則は、本当は秋葉原へ行きたかったようだが、私の足が痛いので、延期。

 ・・・昨日今日と少し残業。と言っても学芸発表会前の準備のおつきあいのようなもの。久しぶりの「歯医者のない」金曜日で、憂いなくお酒を飲む。

2001年10月25日(木) 足が痛い
 朝、ちょっとした拍子に右足の親指の付け根を痛めた。1日痛くて、帰ってからよく見てみたら、少し腫れていた。早速湿布をしたが、全く参るなあ。歩くのに不自由したこともだけれど、こんなことで痛めるなんて、ある意味ショック。

 ・・・順さんは朝突然に足が痛いと言い出した。それでも自転車で出かけた。まぁ歩くよりはよいだろう。夕方になっても階段を下りるときに痛いという。ぶつけたわけではないし、困った。

2001年10月24日(水) 水曜日だというのに
 水曜日だというのに午後何も会議がない。こんなことがあっていいのだろうかと思いながら、儲けた、と早速子どもを残して残り勉強。貴重な1日だ。そういえば、昔はよく残り勉強をさせたものだ。今ではそんな時間もないし、たとえあっても、下校の心配があるから、なかなか難しい。

 ・・・相変わらず一日のかなりの部分がコンピュータとの格闘だ。自分が事務屋なのか、サービスエンジニアのごとき人種なのか判らなくなっている。

2001年10月23日(火) 春でもないのに
 朝、出がけに足元を見たら、白い花びらが落ちていた。あれ?と思って上を見ると、何と姫リンゴが花を咲かせている。おまけに、花カイドウまで。一体これは何としたこと。確かに例年より暖かいのかも知れないが、春と間違えるには寒すぎるだろう?持ち主に似て、あわてものめ。

 ・・・昨日予報よりも早く雨が降り出したという多分事情からだろう、予報に反して朝には雨が上がっていた。今日もどうと言うことのない日。そんなに食べているわけではないのに体重がなかなか落ちない。秋になって怖い。

2001年10月22日(月) 帰りは大雨
 寄るから雨になるといっていたのに、昼過ぎから降り出して、帰る頃には大雨となった。この頃よく降るなあ。ちょうど1週間前も2日続いての雨だった。今回も予報は明日も雨。通勤がめんどくさい。

 ・・・市議とは立て込んでいると言うことは全くないが、ストレスになるようなことばかり。雨が帰るだいぶ前に降り出してしまったため、自転車で来ていたのだが放棄し、更に買い物をしようと思ったが、それも面倒なので食事をしてから帰る。中華料理店で食事をしたが、この店ほとんど中国だ。店の人も客も、要するに日本人はわずかしかいない。携帯電話も中国語。彼らの日本語は流ちょうだから、やはりその国へ行かなければ外国語はダメなのだろうか。

 ところで興味深いページを見つけた。田中宇と言う人の作っているページ。アフガン・パキスタン情勢について現地へそれ以前から足を運び注視していた人ならではの解説が読める。一例を挙げれば、カブール市内の瓦礫の山を見てアメリカのミサイル攻撃と思うのは早計だという話。もともとカブールは廃墟同然の町で、それはそれ以前のソ連問いの戦いや内線の結果なのだということ。そうしたことのコメント無しに見せられるカブール市内の状況は、我々の思考を混乱させることになるだろう。ジャーナリストなのでもちろん米国よりに書いているわけでは決していない。

2001年10月21日(日) ぐうたら夫婦
 旅行のことが頭から離れず、半分諦め、半分未練。ぐずぐずしている。 
 アメリカの空爆は毎日続いているようで、アフガンの難民も急増だ。こんなご時世に、旅行をどうするかなんて、贅沢。だが、これが平和のいいところなのだろう。といっても、世界がこれだけ騒然としていると、本当は旅行どころではないのだ。

 ・・・ぐうたらな一日を過ごしてしまった。11時に開店する近くの衣料品店へ行った後は、寝ては起きの生活だった。困ったものだとつくづく思うが、最近の休日はこのパターンが多い。来週は変則的な休みになるが、このぐうたら生活を何とかするのが課題となりそう。

2001年10月20日(土) 銀座へ
 午後銀座へ行った。正月の旅行の説明を聞きに行ったのだが、難しい内容で、挫折しかかっている。お金も随分とかかりそうだ。うーん、どうしよう。

 その帰り、友人の写真展を見に行った。退職してから写真三昧で、各地を飛び回っている。うらやましい生き方だ。

 ・・・今日は職場へよった後、銀座へ出て、旅行の商品説明会のようなものを聞いてから、順さんの友達が出品している写真展を見て、そのあと新宿のヨドカメをふらついて帰ってきた。こう書くとずいぶん沢山のことをしたようにも見えるが、何のことはないただ歩き回っただけだ。

2001年10月19日(金) 暖房を入れて
 今日も冷え込んだ。朝は何と暖房を入れていた。ただ、日中は暖かくなって、半袖姿に戻れた。6年生が移動教室から戻ってきたのを出迎えてから帰宅。則の歯医者に付き合う。

 ・・・今日は仕事にならない一日だった。だいたい中学校にコンピュータなどを持ち込もうとしたのは誰だと言いたくなるように振り回された。帰ってきてまで夜なべ仕事になった。歯医者は今日は余裕があったようで、いつもより念入りに見てもらえた。

2001年10月18日(木) 12月上旬の気温
 今日は寒かった。長袖にフリースという出で立ちで出かけた。さすがに日中も長袖のままだった。聞くところによると12月上旬の気温だったそうで、何と最高が14度。一気に冬かあ?

 ・・・結局今日もほぼ一日、それもかなり肌寒い雨の一日だった。午後から出張。寒かった。どうと言うこともない会議だったが、疲れた。新宿17時20分台に戻れたので、ラッシュアワー手前ということで、混雑した電車に乗らずにすんだ。

2001年10月17日(水) まだ半袖
 今日の朝は寒かった。で、長袖で行ったのだが、日中は暑くて半袖になっていた。ただ、帰ってからニュースを見ていると、最高気温は20度程度だったそうだ。まだ体がほてっているのだろうか。

 ・・・一日中雨だった。それでも今日は午前中暑いくらいの陽気だったが、明日からはぐっと寒くなるらしい。今日は職員会議がない水曜日だったので、のんびり少しアクセスの勉強などが出来た。

2001年10月16日(火) まだ火曜日
 始まったばかりなのに、まだ火曜日なんてこといっている。しょうがないなあ。というのも、夕べは眠れなくてゴロゴロしているうちに朝を迎えてしまったので、体がだるくてしょうがなかったのだ。あと4日ガンバロー。

 ・・・小学校の学芸会や展覧会と高等学校の文化祭の中間のような感じの行事を中学校や養護学校では行っているケースが多い。学習発表会というような名称で呼ばれている。そろそろその時期で、いろいろな物品類が行き交う。この狂想曲が終わると3年生は受験まっしぐらとなる。

2001年10月15日(月) まだ暑い
 日中の温度は25度近くにも成るので、まだ半袖で十分。さすがに朝晩は冷えるので、長袖だが、いつまでこの温かさは続くのだろう。私的には助かるのだけれど、着る物に困る。いつまでも夏服というわけにはいかないしなあ。

 ところで、今日旅行会社のパンフレットが送られてきて、則がその中からオーロラツアーというのを見つけた。そこへでも行こうかと言うが、アメリカを通っていくのでうーん。

 ・・・このページのサーバが変更になり、(我々の側の)操作方法変わったと言うことだ。これからテストをしなければならない。

2001年10月14日(日) テロの続き?
 アメリカで炭疽病の患者が9人も見つかった。これもテロの続き?全く物騒な世の中だ。まだまだテロを続けると宣言しているから恒例の正月旅行はどうしよう。東南アジアとかオセアニアならいいかなあ。

 ・・・つい先日も、今年も行くのとか今年は無理でしょうという言葉を職場の同僚に言われた。でも基本的には順さんは行くのだろうなぁと思っている。海外が減れば日本が高くなる。まだ全くの白紙ではあるが。

2001年10月13日(土) ゆっくり減量日
 二人とも体重を落とす必要を感じて、この連休は食を控えることにした。動くとお腹が空くので、私はゴロゴロしていた。衣替えをしなければと思いながら、結局何もしなかった。


 ・・・今日のニュースでは、米国とCIS諸国の一つであるウズベキスタンが(準)同盟関係に入ることになると言うことだ。CIS、すなわち旧ソ連の領土だった土地だ。時代は急展開しているのかもしれない。ところでこのウズベキスタンだが、日本人の我々にはあまりなじみ深くはないように見えるが、第二次世界大戦の抑留者はウズベクにも送り込まれていて、建設労働にかり出されていたようだ。写真は首都タシケント(中央アジア唯一の地下鉄のある町で、空路夜着陸する際のきらめく数多の灯りは今も忘れられない)のナポイ劇場建設に携わったというその記念のプレート。約2000人の人が働き、生還出来たのは100人以下だったということだ。(念のために書くと、死んだ理由に当時のガイドは、食事が合わなかったと言うことを理由に挙げていた。1997年当時の我々旅行者の食事から想像するに、その説明は半分判るような気がする。)私としては第三次世界大戦などと言う名称が着く戦争にこの軍事行動がならないことを祈るばかりだ。

 テロの事件はあらゆることに影響を与えている。神戸の被災した友人が、その後数年経っていった言葉に「なおそれは現実なのだ」という主旨のものがある。おそらくはあの日マンハッタンにいた人たちはすべてそうだろう。ところでくだらない話で恐縮だが、新しく売り始めたドコモの新世代携帯のNEC製の機械の待ち受け画面のひとつはワールドトレードセンターが描写されたものだったが、それが変更されたようだ。あらゆる所に影響が及んでいるのが判る。

2001年10月12日(金) 則は頭痛持ち?
 則の歯医者へ行ったら、頭が痛いという。最近ちょくちょくあるらしい。鎮痛剤で抑えていると言うが、たびたび続くと心配だ。人間ドックは2月に申し込んでいる。今回は念のため脳ドッグも申し込んだ。早くその日が来ないかなあ。

 ・・・今日はいやな感じのニュースが2つ重なった。(結果的には白の判定だったが対応のまずさを指摘されていた)挙牛病の疑いのある髄液が東京市場で見つかったというニュース。それからアメリカからの炭そ菌騒ぎ。まだテロの断定はしていないが、どうも組織的なものである可能性が高いらしい。

 ところで職場を出るときから頭痛にみまわれた。最近こうしたケースが多い。歯医者によって(幸い今日はあまりいじられなかった)帰宅して鎮痛剤を飲んで落ち着いた。鎮痛剤を飲んでだいたい小一時間すれば落ち着くことが判っている。頭痛持ちになってしまったのだろうか。それでも夜は飲めたのだから不思議だ。深夜帰宅。

2001年10月11日(木) 医者はクリア
 今日も医者へ行く。体調は落ち着いてきたようだが、これは薬のせいなのだろう。行っている医者の婦長さんも私と同じ頃子宮ガンの手術をしたそうで、その後やはり高血圧の治療を受けているのだそうだ。そういえば義弟も同じだ。抗癌剤の影響なのか?

 ・・・今日こそはパソコンはまともに動いているものと思っていたが、帰り際にまた1台おかしくなって、でもそれはさすがに今日は遅くはなりたくなかったので放り出して帰宅。順さんが病院へ行っている間に食事の準備をしたが、少し作りすぎた。順さんは高血圧で医者に行ったが、その時の測定値は比較的高かったが、最近は薬の効果だろう、120台になりかなり普通の人に近づいてきた。

2001年10月10日(水) 大雨
 朝から雨が降っていたが、昼から激しい降りになった。おかげで、二人ともかなり濡れて帰ってきた。夜はこれまたすごい雷。季節はずれだろう?これって。それでも寒くはない。

 ・・・雨。今日は昨日のパソコンの症状が職場の多くの機械に広まって、一に始終その対応に追われた。ようやく7時頃終わったが、外はすごい雨。びっしょりになって帰宅。雷も。

2001年10月 9日(火) ボーツ
 連休明けというのにボーっとしている。昨日手術跡?が突っ張るような感じで痛みを覚えた。ちょっと気になったが、今日は何ともない。盲腸でも手術後は季節の変わり目などに痛みを覚えるのと同じことなのだろう。

 今日は久しぶりに職場の人と飲んだ。といっても体調が今ひとつでジョッキ1杯だけ。どうも頭がスッキリしない。

 ・・・3日ぶりの職場だ。と言ってもそんなに休んだという気はしない。行くとプリンターが止まっているとのこと。まだハッキリ言って教員はコンピュータというものを使いこなす努力が足りない。テレビか何かと勘違いしている。そうこうしているうちに他の教員のパソコンが印刷出来ない状態になった。これはお手上げで、フルインストールする羽目になった。くたびれた。

2001年10月 8日(月) 体育の日
 体育の日は晴天と決まっていたのだが、日にちを動かしたせいか、曇りで寒い。長袖の時期になった。
 今日も写真の整理に追われる。

 ・・・体育の日。無理矢理月曜日をくっつけるのは、どうも思い出からして困る。1964年の10月10日に東京オリンピックが開かれたのだ。聖徳太子の悲田院(これ一発で変換出来たので驚いた)なんて言うのは、そもそも旧暦だとかの問題があるから何処にくっつけてもよいだろうけれども、年寄りは反対していた理由が判らないでもない。だいたいこう月曜日を休みにされると、ただでさえ押し出されて月曜日が休みになる日があるのに、学校のカリキュラムは大混乱だ。

 カリキュラムの話で言えば、学校では従来中高学校だと50分、小学校だと45分で1年35週を従来測定単位にしてきた。例外的に1.5単位などと言うのも昨今生まれていたことは確かだが、たとえば国語は105時間とか35時間の倍数ですんでいた。しかし来年度からは、二つの方向でこれが解体される。一つは1時間が50分でなくてもよい、つまり25分や、75分、100分という時間を作ってもよい。たとえば、英語などのように反復が大事な教科は、毎日25分の帯でやることも可能になる。第二には、1年間の標準的な時間数が35の倍数では必ずしもなくなる。たとえば中学校3年の理科は80時間というように。こうした背景があるから、月曜日の休みの増大はカリキュラム場更に悩ましい問題を生じさせることになる。聞いたわけではないが、大学など月曜日の授業を選ぶ先生はいないのではないか。

 それはさてき、昨日の深酒のせいで、或いは何らかの胸騒ぎで、今朝早く起きると、コンピュータにはテロップが。それからはもうテレビに釘付けだ。世間はあまり注視していないかもしれないが、ビンラディンの手際のよい声明は、内容的に自身がやったと言うことを言っているように聞こえる。

2001年10月 7日(日) 日曜日
 そう、今日は日曜日。久しぶりに家で過ごす。といっても、旅行の写真の後始末で、結局はまだ旅を引きずっているのだ。

 アメリカがアフガニスタンに空爆を開始。世界は動いている。子どもにも記録として残させたい。

 ・・・のどが終日痛い。これは義歯のせいだと思う。何とかこの状態はならないものか。自宅のコンピュータのある部屋を片づけようと思う気はあれど、体が動かず。風呂場の掃除をしただけ。

2001年10月 6日(土) 夏日
 まだ夏日だ。もう衣替えをしなくちゃと思っているのだが、半袖でも暑いくらいで、どうしようと思う。そんな中の授業参観だったが、たくさん来てくれた割に、室内気温はそう上がらなかったみたいで、心地よく終わることが出来た。

 ・・・毎日新聞サイトによれば、『乳がん患者の支援や患者同士の交流を続けている市民団体「あけぼの会」(本部・東京、ワット隆子会長)が6日夜、東京タワー(東京都港区)をピンク色の光でライトアップし、「乳がんについて正しい知識を持ち早期発見を」とアピールした。』とのこと。この記事で、「乳がん早期発見啓蒙」のシンボルがピンクのリボンなのだとは知らなかった。(適当な写真がないかと捜していたらこの朝日新聞のサイトに載っていました。)

 それから今日昼間順さんはメガネを作りに眼鏡屋へ。今使っているものがあわなくなってきたのと、鼻にかける部分が折れて暫定的にアロンアルファで私が接着してあるため。私がそうしたらばと言うことで、2つ作る。7万何がしなり、一つは遠近両用のもの。左目は少し度が進み、右目は前よりよくなった?という。でもほとんどメガネ無しでは生活出来ない状態なことには代わりはない。今ひとつはパソコン専用のもの、というか自宅にいるときのもの。遠近両用メガネだと、パソコンを動かすときに、どうしても下の部分を使わざるを得ないので、あごがあがった状態で使うことになる。それを避けるためだ。来週末には出来ると言うことだ。

 昨夜行方が判らなくなっていた福岡の私立のおそらく女子ばっかりの小学校の児童6人は無事保護されたらしい。どうやら下山方向を逆に言ったらしいが、そのうちの一人はラジオを持っていたとのこと。そしてその後報道がぱたんとなくなった。大事件ではないが少し奇妙。子供らの反乱か?子供のインタビューもない。お金持ちの学校のためなのか?

2001年10月 5日(金) 順調に
 昨日のめまい騒ぎから一夜明けて、今日は元気。気力体力共に、元に戻った。特に薬を飲んだわけでもないので、自然治癒というところか。明日は授業参観。まだ計画がが十分出来ていない。図々しくなって困ったものだ。

 ・・・1〜2時間ですむかと思っていた仕事が、結局ほとんど一日ががりになった。その上紛失物まで出してしまうことに。今日のTV占いの一つは天使マークだったのに。夕方はまたは医者。

2001年10月 4日(木) めまいがして
 朝起きたら、ふらっとしてからだが定まらない。頭がフラフラするので、血圧のせいかと急いで計ったが、いつもと変わりはなかった。則は自転車で行くのを心配してくれたが、子どもを早めに呼んでいるので自転車にした。頭のふらつきは午後まで続いて、夕方ようやく何とか楽になった。食事もちゃんとしているのに何だったのだろう。

 ・・・今朝は本当に驚いた。その上、順さんは職場でロッカールームにPHSを入れていたので、電話も通じないので、よけいやきもきした。マァ大したことはなかったらしいのだけれども。

2001年10月 3日(水) 午後のんびり
 午後は溜まった仕事をこなすのに使った。なかなか子どもの作品にも目を通せないので、こういう日があると助かる。それでも全部は終わらなかった。作文が残ってしまった。

 ・・・水曜日だが、移動教室の学年があり、職員会議などがない日。その分のんびりした日程。教師たちは職員室で仕事をすることが多くなり、その分コンピュータを使うから、トラブルで呼ばれることが多くなる。自分の仕事があまり進まない(学習発表会準備前で筆禍雨滴経理畑の仕事は少ないが)。

2001年10月 2日(火) 疲れるのはやむを得ない
 昨日帰りが遅かったのだもの、疲れるのはやむを得ない。静かに過ごして、回復を待った1日だ。それでも子どもの喧噪の中にいると、気分的にはこれが生きていると言うことなのだなあと心地よい。

 ・・・まだ日中は結構暑いが朝晩はだいぶ涼しくなってきた。そんなわけで、健康上の理由もあって自転車通勤。だが今朝はアクシデントに見舞われた。T字路から出てきたバイクとぶつかったのだ。一通だったので、バイクは反対側しか見ず、私を見てもなお曲がってきた。私も右膝を少し打っていたい。

2001年10月 1日(月) 北海道3日目
 昨晩は層雲峡に泊まった。日本で一番早く紅葉するところだそうだ。昨日あんなに素晴らしい紅葉を見たので、それではここはもう遅いかと思ったが、部屋の前は見事に真っ盛りだ。今日は、昨日よりも早くホテルを出て、大雪山ロープウェイで黒岳へ登った。大雪山は頭が白くなっていた。紅葉はといえば、十分。遅くなく早くなく、しっかり紅葉していた。きれいだという言葉を何度繰り返したろう。

 それからホテルへ戻って朝食を摂り、その後、銀河流星の滝へ行った。いやあ、ここも言葉にならないほどきれいだった。ほんとにいい時期に来たものだと思う。もう大満足。三国峠も180度の視界いっぱい紅葉していた。が、それよりも何よりも然別湖の紅葉は一番いいときだったのではないだろうか。赤や黄色が湖面に映って素晴らしかった。あまり人が来ないところと言っていたが、確かに遊覧船は小さくて、我々のグループが乗ったらもう満員状態だった。それでも次の客はいなかった。もったいないと思うが、交通の便が悪いのかな。ものすごく得した気分。

 そこから日勝峠への樹海ルートというのもよかった。要するに北海道は、全山紅葉状態だと言うことだ。たった3日なのに、なんと25本ものフィルムを使ってしまった。

 なお、この3日間の旅行の詳細について旅行記の当該ページをご覧いただけると嬉しいです。