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2001年 3月31日(土) 桜に雪 |
3月も終わりだというのに、朝からみぞれ。寒い1日だった。そんな中、新宿まで買い物に出かける。その帰りに今回の旅行の写真を取ってくる。今回は合計26本。また整理するのが大変だ。
・・・旅行の写真を取ってきたが、様々な記憶がよみがえる。それにしてもきつかったウルル(英名:エアーズロック)登山。この境最大級の岩に登ったことが、今回の対の何よりものハイライト。詳細はこちらでどうぞ。
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2001年 3月30日(金) いろいろと |
今年度最後の日なので、異動する人とのお別れ会があった。この人達とは1年と短い付き合いだったけれど、別れとなると寂しいものがある。が、もう少しするとまた新しい仲間が増える。
・・・こちらもお別れ会があったが、今年はやけに盛大だった。でもその会もひとあたり挨拶があった時点で辞して、会議に出る。こちらはある冊子の完成報告会。この冊子、毎年1冊出しているが、今年で9冊で来年は10冊目に。
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2001年 3月29日(木) 東京は雨 |
久しぶりの東京は雨。オーストラリアへ全日雲一つ無い青空だったのに。しかし、これで現実へ引き戻された感じがして、気分の切換にはいいかも知れない。則は成田から仕事場へ。
夕方、成田から送ったスーツケースが届いたので、荷物の整理と洗濯。この頃になるとかなり激しい雨。
・・・正直なところ、仕事がたまっていたのでしっかり仕事をしたものの、眠かった。
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2001年 3月28日(水) オリンピック会場とブルーマウンテン |
オリンピック会場をまず見学。記念に帽子を買う。
そのあと、ブルーマウンテンへ行く。コーヒーとは全く関係なく、山がブルーに見えるところからそう呼ばれるのだそうだ。スリーシスターズは、エアーズロックとちがって原生林の中に浮かび上がる。トロッコで下へ下り、スカイウェイで周りを見ながら上がってきた。最後の見学でたっぷりと自然の大きさに浸ることができた。
夜、東京へ向けて出発。今夜も飛行機の中。
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2001年 3月27日(火) オペラハウスとハーバーブリッジ |
シドニーの売り物は何と言ってもオペラハウスとハーバーブリッジ。都会だからこうした人造物が目玉になるのは致し方ない。が、双方とも人間の知恵を生かして素晴らしい景観を作り上げている。遠くから、近くから、船上から、方向を変えてこの2つを見て回ることになる。
夜は、コアラバスという2階建てで屋根のないバスに乗って夜景を楽しむ。はずだったが、どうしたことか途中でパンクしてしまって普通のバスで市内巡り。
今夜も南十字星がきれいに見えた。こんなに都会なのにこんなに星が見えるなんてうらやましい。
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2001年 3月26日(月) エアーズロック登頂 |
最高気温24度という気温にも恵まれ(この時期では気温が低いということ)、早朝のせいもあってあまり暑くない中での登攀となった。45度前後の傾斜を鎖を頼りに登って行く。足下は岩。まさにロッククライミングだ。鎖のないところは、足下に気を付けながら、ところによっては、手で支えながらの登攀となる。上は台風並みのすごい風。なるほど、下界では無風状態でこれだもの、ちょっと風のある日には登攀禁止になるのもうなずける。そんな厳しい中、めでたく頂上へ。エアーズロック征服成功。
これが順さんの3大登攀の完成の時でもあった。それは、アンコールワット寺院の一番上の階に登ったこと、メキシコでピラミッドに登ったこと、そして今回のエアーズロックだ。
午後、シドニーへ向かう。
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2001年 3月25日(日) マウントオルガ散策 |
早朝の便でシドニーを経由してエアーズロックへ向かう。着陸寸前に眼下にエアーズロックとマウントオルガがハッキリと見えた。明日はあそこに登るのだと思うと気持ちが高ぶってきた。だだっ広い砂漠の中に赤茶けた岩がひときわ目立って精彩を放っていた。
午後、マウントオルガ周辺を散策する。ここはアボリジニの聖地で登ることは禁止されているそうだが、そうでなくてもとてもその気にはなれないところだ。
夕方は、シャンパンを飲みながらエアーズロックのサンセット見学。赤いエアーズロックが、更にその赤みを増していく姿が何とも言えず厳かな感じで、まさに神のなせる技かも知れない。
夜は、南十字星、オリオン座、天の川を堪能する。
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2001年 3月24日(土) コアラと土ボタル |
機内で夜を過ごして朝早くにブリスベンに到着。夏の終わりということで、半袖1枚。ボーットしたままブリスベンの町を見学しながらゴールドコーストへ向かう。野鳥園ではコアラを抱いて写真撮影。ほとんどのところで禁止されているので貴重な体験ができた。
夜は、土ボタルの見学。本当の蛍ではないのだけれど、真っ暗な中で光を放つ蚊蜻蛉を称してこう呼ぶのだそうだ。千を越える数がいるともいわれ、洞窟で見たそれは満天の星のようできれいだった。
なおこの旅行の記録は別途アップされているので、お暇があればそちらをご覧いただければ幸いです。
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2001年 3月23日(金) 卒業式 そして旅立ち |
卒業式は無事に終了。大きな流れは以前のところとほぼ同じなので違和感なく雰囲気を楽しむことができた。当日の仕事があったので結構走り回って疲れた。珍しくスカートなぞをはいていたので動き回るのが大変だった。これで1年が終わり。リフレッシュして四月に臨もう。
さて、スッキリしたところで、夕刻成田へ向かう。今回の行き先は、オーストラリア。雄大な自然が楽しみだ。
・・・とうとう今年度も、終業式を迎える日となった。まぁどうと言うことはないが、今年は比較的年度末の事務が順調にきたように思う。ということで、退職者や異動者と別れを惜しんで、帰路に就く。この繰り返しもあと10年で終わる。おわらせたい。
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2001年 3月22日(木) 修了式 |
終わった。修了式で、とりあえずの終わり。来年度のことはわからないので、子どもとは別れなのか継続なのかハッキリしないさよならとなる。その後すぐに卒業式の予行。運動会の予行というのはなくなったが、こちらの方は依然として続いている。学校最大のイベントということのようだが、絶対に失敗は許されないという考えなのだろう。もっとも、該当学年はきっちり練習しているのだから先生達の練習といった方が正解だ。
・・・今日になってにわかにクラス編成の変更による生徒の机椅子移動を考えるなんて、なんてすばらしい職場なのだろうか。感動ものだ。おまけに、今まで使っていたけれどもじゃまになったソファーを捨てるときたもんだ。備品管理など頭にないらしい。ますます感動だ。
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2001年 3月21日(水) 片付け |
今日卒業式の会場準備と思っていたが、ほとんど高学年が済ませていたので結局は何もしなかった。担当学年ではないとこんなに楽なものかと驚きにも似たものがあった。ここ数年高学年ばかりの担当だったし、視聴覚の方もやっていたので、この時期は目の回るほど忙しく過ごしてきていた。他の人もそうなのだろうと勝手に思いこんでいたのだが。結局午後何も無かったので、教室の大掃除をした。もういつでも教室を明け渡せるほどに片づいた。こんなこと初めてのことだ。
・・・今年は25日が日曜で、24日が第四土曜日ということで、23日が終業式。順さんの場合は小学校なので、22日が終業式で、23日が卒業式。まぁ学校における師走だ。経理もまとめの時期であり、人事も確定して来る時期だ。
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2001年 3月20日(火) 墓参り |
お彼岸ということで墓参り。体調は今ひとつパッとしないが、則にひかれて墓参りと相成った。帰宅後も結局はダラダラ過ごして何もない1日だった。
・・・我が家の食事サイクルはかなりおかしい。その一つに、平日は朝はとらないが休日はしっかり食べるという法則がある。しかし今日は休みだけれども、昨日食べ過ぎたので食べない。順さんは昨日借りてきたビデオ(DVDはレンタルビデオやでみたいものはだいたい見てしまったらしい)2本を朝から見ている。その間に妹に電話をして墓参りの時間のアポととる。
妹の話は、病気の話。どうやら「ミトコンドリア脳筋症」は本物らしい。幸い旦那の方が比較的元気そうなので、少しは安堵。先の見えない話だ。
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2001年 3月19日(月) 中学の卒業式 |
中学の卒業式。教え子が卒業する。異動していなければ是非出席したかったのだが、致し方ない。祝電ですませた。みんなそれぞれ進路が決まったようで一安心だが、後5年位したら会ってみたいものだ。
・・・我が中学校は今日が卒業式。といってもこちらはもう何度も見慣れた光景で、感激もないし、仕事もない。事務屋は事前準備と後始末しか仕事はない。胸花(きょうかと読む)をつけるために買う、それを払う。壇上の花を買う、それを払う。KT叔母で書けばいたってシンプルだ。というわけで、業者を呼んだりなど、普段と変わらぬ生活。
もっとも小学校が長かっただけに、どうも卒業式=年度の終わり(だいたい小学校のそれは25日)というイメージが体に染みついていて、どうも今日で現状のスタッフとは今日でお別れという間違った気が何度もした。
とはいえ、以外と仕事があって、順さんとは6時頃に落ち合う約束。彼女は職場でちょっと意外なことに遭遇して胃が痛かったらしい。胃が痛いのは塩酸が胃壁を刺激するからだから、食べれば直る。生ビール半額の宣伝につられて、縄暖簾をくぐる。
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2001年 3月18日(日)   楽な日だ。生き返る。 |
春の休み中の旅行の準備をした。栞は昨日印刷したので、今日は荷作り。短期間だから荷物は一つになったので良かった。団体ツアーではなく出かけるので書類の準備が結構面倒だったが、なんとか終了。後はお天気になることを祈るのみ。
・・・土曜日だったが、明後日が卒業式ということもあって、職場へ行った。そのあと昼食を挟んでフィルムの買い物に順さんと行く。帰ってきてから寝てしまって、起きたのは19時。それから食事だ。
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2001年 3月17日(土)   色々と・・・ |
半ドンで本来なら楽な1日になるはずだったが、朝から一人の子どもが荒れてなだめるのに大変だった。実は、昨日もそうだったのだが、一人の女の子が泣きながら学校へ来た。両方とも家を出るときに家族とのトラブルが原因なのだが、気持ちよく家を出してあげるように親の方で気を遣って欲しいと思う。今日の子は、もう家に帰らないと言って家のカギを捨ててしまったのでそれを探したりでもう大変だったのだ。
・・・土曜日だったが、明後日が卒業式ということもあって、職場へ行った。そのあと昼食を挟んでフィルムの買い物に順さんと行く。帰ってきてから寝てしまって、起きたのは19時。それから食事だ。
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2001年 3月16日(金) 疲れたー |
疲れた。何がというわけでもないのだが、体がだるくて疲労感が充満している。午後の職員のお別れ会でも、どんと座ったきりで、申し訳ないと思いながらも動かなかった。まあとにかくもう少しだから、なんとかもたせなくちゃ。
・・・順さんはしきりに今日は疲れた疲れたを連発している。明日の朝は強壮剤でも飲まないと行かないとまで言っている。だいぶ疲れているようだ。まぁ仕事も一段落したという精神的な張りがなくなったせいもあろうかと思うが、体調的な不良でないかどうか心配なところだ。
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2001年 3月15日(木) 内輪の打ち上げ会 |
今年度最後の保護者会。そして、来週に今日にはもう修了式だ。それで春休みにはいる。一息というところだな。で、ちょっと早いのだが、則と二人で打ち上げの会をやった。
・・・どたばたと卒業式の用意。どうしてこうも突貫工事の好きな人たちなのだろう。まぁともかくも月曜には卒業式、学校最大のイベント。会計の方も、まぁだいぶ進んだ。といっても後半月。こちらも卒業式が間近だ。
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2001年 3月14日(水) 二人で休暇 |
午後休暇で帰宅。いまいちパッとしない体調だ。仕事が終わったというせいもあるのかも知れないが、気が抜けた感じ。それにしてももう1年が終わる。ホッとしたのかも知れないな。
・・・今日は家事都合ということで、早退した。家事都合は家事都合であって、帰ってきてからはほとんど寝てしまって、昨日寝付かれなかった分のツケを支払った感じ。春の陽気が一時的に戻ったようで、今日はかなり暖かかった。本当はこういう日にはどこかへ出かけるのが正解なのだろうけれども、そうはいかないのが宮仕え。
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2001年 3月13日(火) 仕事一段落 |
6時間ぶっ続けの授業でお疲れ気味。が、則との待ち合わせが遅い時間だったので、子どもの作品の後始末をして時間を潰す。成績関係の仕事は全部終わったのだ。これで年度末が無事迎えられる。
・・・今日も午後は出かける日程。しかも都下だ。その点新宿という土地は何処へ行くのも便利。ともかくも、今日も仕事は午前中に終わるような量しかこなせない。明日からがきつい。それにさすがに2日出かけるとと、慣れたない分疲れた。
ところで順さんはだいぶ疲れているようで、明日午後は特段の予定がなければ早めに帰宅したいと言っている。
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2001年 3月12日(月) 仕事・・仕事・・ |
とにかく仕事を終わらせることを主に、放課後は教室に籠もって没頭。おかげで大分はかどった。今週中には全て仕上げなければならないのだが、色々と予定が入り込んでいて忙しいのだ。
・・・金曜は実質全日出張だったので、何とはなしに久しぶりの職場だった。出張だろうが、休もうが、1日あけると言うことは、仕事がそれだけたまっていると言うこと。おまけに業者も2組来る。走行しているうちにもう昼。今日は今日とて出かける用事があるから、いそいで昼を食べて飛び出す。時計を忘れたのでやや時間が不安だったが、結構定刻より早く到着。来週の今日はもう卒業式だ。
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2001年 3月11日(日) 旅行の写真の整理 |
外へ出るとまだ風が冷たい。そのせいでもないが、ほとんど家の中で過ごす。で、やっとメキシコの写真の整理が終わった。次は関西旅行の写真が待っている。早く仕上げないとまたその次がある。
・・・昼間少しまた家の片づけ。片づいているのか散らかしているのか?
順さんの写真の整理の話を聞くにつれ耳が痛い。新春のメキシコ旅行のページがまだ最初の日が終わっただけなのだ。そのうち(というかこれを書けばそうなるわけだが)文句がくるだろうなぁ。
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2001年 3月10日(土) 結婚式 |
今日は後輩の結婚式に出席した。仲人をおかない友人達が中心になった今様の結婚式だったが、なかなかいい会だった。最後に新婦のお父さんが、「今日は寂しい」ということを話していたが、父親というのはそんなものなのだろう。私の父がもし私の結婚式というのを体験したら、同じようになるのだろうなあと思うとある種、感慨深いものがあった。
出血はまだ止まらない。披露宴の後、お茶に誘われたが、とても参加できる状況ではなかったので、不義理をしてしまった。
・・・順さんは体調不良のようだが、原因が今ひとつはっきりとはしない。少し熱もあるようで、夜中に弱くかけている暖房を切っていた。それでも予定は予定で、彼女の元同僚というか後輩の結婚式のために10時に出かけてた。式にも列席するそうな。お互いにそろそろ最後の結婚式列席になりつつある。次が兄弟の子供の番?
さて森政権がいよいよおしまいになるらしい。これで株価も戻ってくればよいのだが。別に株をやっているわけではないが、市中にお金が流れ出す構造にならないと景気は回復しない。
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2001年 3月 9日(金) 具合が悪い |
風邪かな?と思っていたが、どうもそうではなかったらしい。夜中お腹が痛くて目を覚ましたら、大出血をしていた。スーパータンポンをした上に夜用の大きいナプキンをしていたのに、持ちこたえることができずに溢れてしまっていた。その後も30分と持たないので何度もトイレに行くハメになり、ほとんど眠ることができなかった。こんなことは初めてなので、一体どうしたことだ?更年期障害のせいなのか、子宮がどうにかなってしまったのか。時折、黒いどろっとしたものが出てどきっとしたりもした。が、先日の人間ドックの結果は、異常なしだった。といっても去年はクラスTだったのに今年はクラスUになっていたから、少しは悪い方へ進んでいるのかな。もっとも、私の病気も結局は人間ドックでは見つからなかったわけだから妄信はできない。しかも今の薬は、乳癌を抑える作用がある反面、子宮ガンを誘発する危険も持ち合わせているというものだから油断はならない。最近も、久和ひとみが40才の若さで子宮ガンで死亡している。
で、今日1日からだが重くて早めに帰宅。子どもに、今日の先生くらいね、といわれて、子どもの観察力に脱帽。
・・・順さんの体調が思わしくない。昨日はあまり寝ていないらしい。私は最近の生活では9時には寝てしまい、3時か4時に起きてそのままというパターンだが(どうしてそんな生活をしているのだとお叱りの向きもあろうが)、私の起きる直前まで寝られなかったらしい。この体調の悪さは、人間ドック以来なのだが、ドックで体をまさか悪くしたのだろうか?
今日は前日出張だったので、帰ってみると休暇をとって寝ている順さんがいた。
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2001年 3月 8日(木) 風邪かな |
朝から調子が悪くて参った。子どもが入れ替わり立ち替わり休んでいるから、うつったかなあ。学校でもくしゃみばっかりしていた。他にはこれといった症状もなく、帰宅後はスッキリしたから治ったみたいだ。
・・・午前中は急に沖縄からの視察ということで、かり出されて、その間に業者が3組きて、その間に都庁へもいて、正直何かわからぬうちに1時近くになってしまった。1時30分からは瑕疵(かし)検査で、その前にまた飛び込みの仕事があって、それが途中のまま検査に移る。これがまた大変だ。もちろん職場くまなく回るわけで、何のことはない一日終われば、走り回っている自分がそこにある。夜には近所の不動産屋に家事で出かける。
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2001年 3月 7日(水) 仕事の日 |
今日はできるところまで仕事をしてくるといって、結局5時半まで仕事。最近、我々の勤務時間が問題になっているが、こういうサービス勤務はまったく無視されているのだから腹が立つ。が、仕事の方はだいぶ進んだ。
もう今週は水曜日だ。もうと書くのは忙しい証拠か。ところで、昨日今日と暖かい陽気であったが、夕方から一転寒い北風が吹いてきた。おかげで帰宅時は寒くて鼻水がでてきた。順さんはいつものごとく要録をハイピッチで仕上げているらしい。
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2001年 3月 6日(火) 年度末 |
今日も午後は目一杯であった。6時間授業の後,PTA総会で、もうフーフー。その後、しばし親と話す。先日ちょっと子どものことで連絡をしたのだが、真摯に受け止めてくれて嬉しい。最近は、下手に注意をすると、保身に走って牙をむいてくることがあるので、人を見て話すようにしないと難しい。
年度末だ、年度末だと書いているが、それは事実で、忙しい。相変わらずの毎日だが、それでも暖かさで春の着実な訪れを感じるのと同様、帳簿の確実な締めの作業が年度末の風情?を醸し出している。帳簿上はあといくつかの科目を残すのみだ。とはいえ、まだまだ卒業式関連の予算の執行は残っているし、白衣の洗濯は給食が終わらなければできないし、なにより3月31日の夕刊の到着を確認しないと(この確認は実際は4月2日(月)に実際はなるわけだが)新聞の執行が出来ない。まぁ順調な推移だとこの時点ではお話しをしておきたい。
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2001年 3月 5日(月) 会議の日 |
午後、仕事をしようと思っていたら、職員会議が入っていた。やる気をそがれて、結局挫折。子どもの作品を整理して終わった。なかなか仕事が終わらない。
・・・今日は午後が忙しかった。普通月曜日の午前中に我が職場では運営委員会(職員会議の議題を整理したりする役割を事実上になっている会議)が開かれるが、いつ決まったのかそれが午後になり、午後に予定を沢山入れていたので、困惑した。
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2001年 3月 4日(日)   きままな1日 |
今日も怠惰な1日。というより自分の好きなことをして過ごした1日と言っていいだろう。寝たいときに寝、食べたいときに食べるという我が儘勝手なし放題の1日だった。うーん、シアワセ。
・・・家で作業をしようと職場から持ち帰ったものを結局そのままにして一日が終わった。午前中かなり激しい雨が降っていたせいもあるけれども、振り返ってみると、人間ドックの糖尿病の記述が職だったのかもしれない。ほかのあらゆるデータは、体重にしてもそうだけれど、去年の数値よりよい。評定がCだったものもAに変わっている。なのに、糖の負荷試験だけが異常に悪い。
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2001年 3月 3日(土) 前任校の親との同窓会 |
夕方から去年の親との飲み会に出かける。久しぶりに古巣へ戻るような懐かしさで自転車のペダルをこぐが、気は軽くても体は重いなあ。通っていた頃よりも時間がかかってしまった。
なつかしい顔が沢山揃って、終わり頃に次回の幹事を決めて、私はそれで先に失礼した。お母さん達はきっと午前様。子どもがいるときのこうした会は極力遠慮してきたが、もう卒業となれば、という気楽さや巣立った子どものその後を知りたいという気持ちで参加している。
・・・今日は所用があって職場へ出かけた。でかければそれなりに仕事もあるものだ。予定のことが全部はできずに昼過ぎになり、順さんより電話。昼に待ち合わせて昼食を食べて帰ってくると、人間ドックの結果がきていた。なんと「糖尿病」とかかれていた。以前にも一回指摘されたことがある。家に帰ってからは順さんが夕方でかけるまでのんびりと過ごす。夕方5時半頃順さんは出かけた。たぶん半分は旧担任に会いたいのだろうが、あとの半分はそれをだしに配偶者の許しを得て飲み会とするのだろう。
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2001年 3月 2日(金)    テレビ局からのメール |
某TV局から取材の依頼があった。雑誌などでは何度かこなしているのだが、これもこのホームページの影響だ。ただ「がんと闘う」というテーマにはとまどいを感じてしまう。戦っていないよなあというのが実感。まあ、薬は飲んではいるけれど、他には何もしていない。というより人よりもかなりハードに過ごしているのではないかと思うときもある。養生なんていうことばとは無縁の生活をしているのだ。でも、今テレビを見ていたら、たまたまガンを取り上げていたが、お気楽な方が良くなると言っていたから、これでいいのかも知れないよ。
・・・どうも前日出張して職場をあけていたので、今日が月曜日のような錯覚を持つ一日だった。やはり1日いないということは結構仕事がたまるもので、午前中は連絡などで結構忙しかった。午後は決算期なので、コンピュータとまたまたにらめっこだ。学校の自主性とはいうが、予算自体はお仕着せなので、時にはアンバランスなこともある。12月に監査があったが、監査院の質問で、「お宅は新設校の割に工事費が多い」というのがあった。まぁしかるべき理由があったわけだが、そのような質問をするくらいなら配当する方に文句を言うべきで、なんとも滑稽な話だ。ともかく、あと半月は予算とにらめっこで、綱渡りの経理が続く。
ところでテレビの取材はだいぶ前に、夫婦二人旅の取材というのがあった。これは企画そのものを含めて没になった感じ。実際のところ、NHKの特集番組と教育番組で1回ずつつとローカルなテレビニュースにでたことが私はあるが、順さんはまだない。この取材はどう見ても順さんの登場となる場面はないだろうけれども、一度はテレビに出るのもよいのではないのかとも思う。(と書いていたら担当者から電話があった・・・このことは順さんの口から)
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2001年 3月 1日(木) 新しい形式で再出発です |
久しぶりの1日雨。この雨、明日の朝には雪になるかも知れないということだ。降るなら降れと思うが、沢山積もるとまた大変だ。今朝、則と待ち合わせの約束をするのを忘れたので、仕事が終わってから待機。めでたく連絡が付いて帰宅OK。帰ってからは成績つけに励み、大分はかどった。
・・・今日から形式が変わります。新しくiDiary2というソフトを使って日記を書くことにしました。
(1)少し目先をかえること
(2)日記の生産性を上げること
を目指してのことです。
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