8月1日(土) 退院決まらず。久しぶりに何もない1日。


 昨日、義姉が亡くなったとの連絡があったそうだ。既に内輪で見送ったそうだ。すべてが終わってから兄弟に連絡があった。その義姉のことが頭から離れなかった。この3月には死を覚悟して遺書を用意していながら、兄弟を拒否するというのはどういう心境なのだろう。最期の面会も通夜も葬式もすべて拒否。内輪だけのひっそりした見送りといっても私なら必ず呼ぶなあ。兄弟というのは自分の原点というか、両親をも含めて家族の原点になっていると思う。夫との生活の方が長くなってもそれはずっと私の大元には違いない。その意味では義姉にとって兄弟を切り捨てての現在ということになるのだろうけど寂しくはなかったのだろうか。

 朝食前にA医師が来て、明日の退院は朝の白血球の数によって決めると言われた。じゃあ明日退院できるとは限らないわけだ。あーあ。夕べは、というより明け方、もう家に帰るぞーとパジャマのまま病院を飛び出して家に向かって走っていく私の夢を見たのに。気持ちは早く帰りたくてたまらないのに。その後、大きな則が、そうあのトトロのように大きくなった則が私のベッドの横に立っている気がしてはっと目を覚ましたこともあった。

 半分以上もう帰れる気分になって、歩く練習をしたり階段の上り下りをしたりした。とにかく寝ている時間が長かったのでまっすぐに歩くことが出来ないのだ。階段も則に支えられながら歩いた。まさか自分がこんなになるとはねえ。

 それほど練習したのに、夕方来たA医師が「あれ、熱っぽいなあ。これじゃああした帰れるかどうか分からないなあ。と言われてしまった。あーあ。」


則裕の記録

 今日は土曜日なので職場は休み。朝早く電話が鳴るので、何事かととると兄から。姉の家へ明日行くのだろうと言う、多分確認の電話。妹と調整するといって切る。妹に電話をすると、姉の旦那さんは、焼香に来て欲しいといったそうな。言ってることがよく分からない。妻の希望を叶え、自分の常識も叶え・・・こちらの感情はどうでもよいのか。独りよがりだ。ともかく、こちらとしては順さんという負い目(つまり順さんの病気は秘密になっている)があるので、湘南の姉の家の最寄り駅へ明日10時集合と言うことで、お茶を濁す。明日うまくすれば順さんは退院だから、午後にするわけにはいかない。

 朝の8時になったので、郵便局へ預かってもらっている順さんあての小荷物を受け取りにいく。荷物の中身は子供たちの作文。順さんに電話してから、病院へ。10時過ぎに到着。あとは、看病をしているのか、病院に寝に来ているのか分からない生活。

 夕食後にA医師が来る。診たとたん、ちょっと熱があるなぁ、この状態だと・・・。と、明日の退院は白血球数だけでなく、更に発熱も新しいハードルとなってしまった。