7月23日(木) 札幌で倒れた


 朝から調子が悪かった。いのあたりがむかつくような感じの不快感がある。そんなことでぐずぐずしていたが、そうしていても仕方ないので小樽へ出かけた。

 小樽に着いた頃からどうもお腹の調子がよくない。便秘のひどいときの状態で、お腹が痛む。何度トイレに行っても出ないので参った。そうこうしているうちにお腹の痛さが本格的になってきたので、小樽見学を中止して札幌に戻ってきた。あまりにも痛むので、薬局で下剤を買って飲む。それから少しお土産などを買って、夕食のために居酒屋に入った。その少し前から降り出した雨に少し濡れてしまったせいか寒気が襲ってきていたので、これで暖められると喜んだのだが、身体がふるえて思うように箸が使えない。その様子を見て則が事の重大さに気づいた。

 直ぐに店を出てとにかく空港へ向かった。そこの方がいろいろと施設もそろっていると思ったからだ。まず、JTBのカウンターに行って事情を話し医師はいないか聞いたがもう帰ったとのこと。休める場所を時いたら団体待合室を教えられた。そこで横になって直ぐに寝込んでしまった。がたがた震える私のために、則は待合室にあったタペストリーなどを外してかけてくれた。JTBも、自分のところの客なのだからもう少し面倒を見てくれると良いのに。JCBも同じ。カードを手に入れるときにはいろんな得点があるような書き方だが、実際にJCBのところに行っても何ら対応はしてくれなかった。

 とにかく帰りの飛行機の中でも座ると直ぐに寝てしまった。こんな私を見て、則は、この人死ぬんじゃないかと思ったそうだ。

 今回の旅は、則がせっかく時間を割いて計画してくれたものだから、楽しまなくちゃ、少なくとも則には楽しんでいる私を見せなくちゃ、と思っていたのが間違いらしい。大丈夫か?と何度聞かれても大丈夫としか答えなかった私だから。


則裕の記録

 今日も朝は早めに目が覚めた。一方順さんの方は、どうも様子がおかしい。昨日飲み過ぎたような話をしているかと思えば、おそらく夢の中の出来事なのだろう一晩中飲んでいたとか、シュプレヒコールをあげていたので肩が凝っただとか、訳の分からないことを言ったりしている。その上体温がかなり高い。ちょっと拙いなぁと思った。しばらくそのままにして、下り坂の天気予報をチャンネルを変えながら見ることにした。予報では、昼頃から雨という。この昼頃がくせ者で、12時なのか13時頃なのか局によって違っている。とりあえず計画通り小樽に行き、雨の降り出した時点で観光を切り上げて札幌へ引き返してこようと言う方針に変更した。

 順さんにその計画を伝え、了解を取ったが、どうも便通もなく苦しんでいるようだ。7時少し前になって、体温も少し落ち着いた感じになったので、とりあえず食事に行った。順さんはジュースをコップ2杯と、小さな牛乳のパックを飲み、小さなパンを2ヶ食べたくらいだ。まぁこのくらいの食事をとれば、昨日けっこう食べているから大丈夫だろう。

 8時過ぎに宅急便を出しながら、チェックアウトをした。8時20分には札幌の駅に着いた。あいにく直ぐの列車が無く、8時42分の緩行まで待って乗車した。順さんの体調はあまり優れないようで、乗ったらいつものことといえ、すぐにねてしまった。

 順さんの調子の悪さはその後も続くのだが、その話はとりあえず、最初に小樽に着いてから、天狗山に行った。天狗山というのは、小樽の山の手にあるスキーのメッカの山。小樽の海岸線に広がる町並みの眺望が素晴らしいことでも有名。まだ天気が持っている間に、眺望を楽しんでおこうという考え方から。天狗山に登って、眺望を楽しんだ後、順さんはトイレに行ったが、あまり状態は変わらなかったようだ。

 天狗山から一旦小樽に戻り、それから小樽の鉄道資料館に行った。今まで言ったことがないところだったので。そこでビデオを見ている間に順さんは寝入ってしまった。適当な時間が経った後に起こして、それからしばらくまた見学をした。その後再びトイレに行ったが、少し模様があったとのことだ。ただこのころから、腹痛を訴え始めた。下剤を飲まないかと言っても拒否された。

 鉄道資料館の近くに手宮の洞窟がある。実は私はそこに行きたかった。手宮の洞窟は、古代文字ではないかと一時期騒がれたもので、洞窟の中にぼんやりと線刻された図柄がかすかに判別できた。赤い色彩も一部残っていた。このころから雨足が強くなってきた。

 次に旧日本郵船小樽支店を見に行った。ここの建物は、樺太千島国境確定の際の会議が行われたもので、興味深く見学した。ここでも順さんの体調は優れず、トイレにも行ったが改善はなかったようだ。次に日銀小樽支店に言ったが、とうとう本人は耐えられなくなってきたようで、日本銀行の前で鎮痛剤を飲んだ後、小樽の駅に戻り、とりあえず札幌まで戻ることにした。道中は勿論順さんはづっと寝ていた。

 札幌に着いてから、順さんの友人と妹のところに土産を発送した。次に通便に苦しんでいるのだから、便秘薬を勧めて、受け入れてもらった。それから、少し休んでから居酒屋に向かった。雨が振っていたが、そのまま歩いていて、ふと順さんを見ると寒そうにしている。それなら傘を差したものの・・・と思ったが後の祭り。居酒屋に入ったものの、温かいみそ汁とか茶碗蒸しとかを頼んだが、それを食べる順さんの手がふるえている。これは拙いと思い、急いで、そう入ってから20数分でそこを出て、とりあえず空港へ向かうことにした。空港に行けば、医者がいるのではないかという期待からだ。

 電車は出発前数分のものに乗車できた。混んでいて勿論座れない。新札幌に着く頃、とうとう順さんは座りこんでしまった。幸い、新札幌から、やや強引だったが座席を確保した。そのまま新千歳空港まで行き、直ちにエイジェンシーのカウンタに行って事情を訴えたが医者は既にいないという。そのかわり、そのエイジェンシーの待合室を使ってよいとのことだった。カード会社の部屋もあったが、そこは7時までで既に6時30分だったのと座席が寝られるような座席でなかったので、エイジェンシーの部屋に行く。

 エイジェンシーの部屋は誰もいなくて自由に使えた。順さんはしきりに寒さを訴えた。しかし残念なことに掛けるものがなかったので、仕方なく新聞を買いに行った。新聞でしばしの暖をとろうというアイディア。しかし新聞はどこを見ても打っていない。目に付くのは土産物屋ばかりだ。仕方なく薬屋に飛び込んだ。実はその前に風邪だろうと思い薬を買うことを提案したが、既に便秘薬と鎮痛剤を飲んでいるので、飲むことを拒否されていた。今回はカッコントウとビタミン剤を買った。

 戻ってくると、体力的に弱っていたせいもあるが、順さんは今度は私の提案を受け入れた。ふと見ると壁にタペストリーがかかっていたので、それを外して順さんに掛けた。更に誰かの忘れ物のショールも見つけたので、それも掛けた。こうしてほぼ全身を覆うことが出来た。また部屋の冷房をも切った。順さんにその状態でいてもらうことにして、航空券を受け取りに行った。戻ってみると順さんの顔にほんの少しだが赤みが戻ってきて、どうやら一時よりは状態が改善したように思われた。実際順さんに声をかけると、寒さはなくなったということだった。[写真は旅行業者のラウンジ内部。画面左中央が寝ている順さん。右の壁の奥にタペストリーが掛かっているが、手前は棒しか残っていない。このタペストリーが順さんにかかっている。肩の部分のネズミ色部分が忘れ物のショール。]

 こうして8時少し前を迎えた。順さんはトイレに行くというので、出発の時間が8時35分だったので、そのまま起こした。タペストリーを元の位置に戻して、部屋を出た。搭乗は8時25分からというので、また出発待合室で少し横になってもらった。搭乗が始まったので、搭乗口に急いだが、順さんはかなり足下が危うかった。途中で一休憩してゲートに向かったが、その際もトイレに行った。どうしたかは、ふらふらしていたので聞かなかった。ゲートから飛行機へ向かう道中も、廊下の壁に捕まっていないと立っていられないような状態だった。

 ようやく座席に着いた。順さんは朦朧として、そのまま眠りそうだったので、何かあったら必ず袖を引っ張るように説明した。出発前に毛布をもらったので、順さんに掛けた。シートベルト着用サインが消えて少ししてから、機内サービスが始まった。順さんに何がいいかと聞くと、最初ホットコーヒーと答えていたが、暑くなってきたのでジュースに変えてということだった。あめ玉とジュースのサービスを受けた。リンゴジュースをのどが渇いたからと、一気に飲み干した。私はウーロン茶を選んだ。順さんにそれを勧めたけれども、それは飲まなかった。少し熱が下がってきたようだと一言行って、また眠りに陥っていった。

 体温が高いので、額に配られた不織布のおしぼりを当てた。しばらくすると、汗をかいたと言って、そのおしぼりで首の周りを拭いた。だいぶ改善されてきたのかもしれない。飛行機は定刻を遅れて羽田に着いた。順さんは自分の荷物を持って、人々の列に並んで降りることが出来た。ただビックバードのウイング部分に機が到着したので、外に出るのには手間取った。いつもなら歩く歩道を歩くのだが、今日は歩道の動きに身を任せていた。モノレールは帰りの分も買ってあったので、直ぐにホームに出たが、座っていきたいだろうと考え、1台見送って座って浜松町へ出た。会話も少し出来るようになり、倒れ込むように新千歳空港駅に降り立った順さんから比べれば、明らかによくなってきたように思う。それでもモノレールが出る前から寝てしまった。

 やっとの思いで、自宅へ戻った。といっても、状態はやや持ち直したという状態で、改善しているわけではない。でも、東京に着いたので、いくつも手段はあるので、小樽や札幌の心細さはない。とりあえず、順さんも眠りについてくれた。疲れたが、実はこれは疲れの序章でしかなかった。

 今回のこの事件で反省しなければならないことがある。実はここのところ順さんはとみに怒りっぽくなっていて、あまりやたらなことを言うとその怒りを買うので、滅多なことをいえなかったのだ。そのことがあって、色々な点で判断を鈍らせてしまったように思う。責任は私にある。