6月24日(水) 放射線最終週突入


 やっと最後の週になった。技師さんにも「あと4回ですね。土日を乗り越えればすぐですね。」と言われたが、その通り。思ったより早かったなあ。

 今日も混んでいて2時半頃にやっと診察。一通り見てもらったら、いつもの質問の時間に「抗癌剤3つは決めてあるんですけど、その後やるかやらないかで生存率とか再発率にどの位の違いがあるんですか?」と聞くと、「3回と6回で比べると6回の方が4%位高いな。でも、あなたの場合再発は無いから3回で良いね。」とのこと。何を根拠に再発はないと言えるのかは聞かなかったけれど、そういうことなので一安心。ここは来週の診察で一応の区切りになる。ただ、まだO病院の方は続く。

 その後、則と待ち合わせをして義弟の見舞いに行く。もうすっかり慣れたようで、あきらめがついたというのか現実に立ち向かったというのか、前よりかはすっきりしていたように思う。が、相変わらずあまり食べないとのことでげっそりと痩せていたのが気にかかる。私のことはどうするかな、と思っていたら、妹には内緒と言うことでおもむろに話し始めた。はじめは何の事やら分からない様子でぼんやり聞いていたようだが、しばらくすると大変なこととわかったらしく姿勢を立て直して聞いていた。

 最後に「共に頑張りましょう。」と握手をして分かれたが、少しでも私のことがこれからの彼の励みになってくれると良いと思う。

 高円寺で少し飲んで帰ったが、則は疲れているようですぐに酔っぱらってしまった。まあ、職場でも家でもゆったりと出来る場がないのだから仕方ない。もう少し則には負担をかけることになる。


則裕の記録

 今日は水曜日だったが、学校行事の関係で職員会議がなかった。保護者が5時過ぎに来るという約束を相棒に任せて、順さんが書いているように妹のだんなさんの見舞いに行った。

 今日のテーマは、食事がすすんでいるようだったらよし、そうでなかったら順さんの話をして、少しは前向きにさせて上げたいと考えてのこと。10日ぶりに彼を見て、私はひどく驚いた。更に痩せ、顔色も白くなっていたからだ。更にすぐに食事になったが、妹の手作りのおかずなどもあったのだけれども、半分も食べなかった。順さんのことを言う覚悟というか、土壌は出来たのだけれども、やはり言うには勇気が必要だった。

 妹とその娘が7時過ぎに帰った。8時までと面会時間が長いので、私たちはその後も居残った。8時20分過ぎに、覚悟を決めて話し始めた。話す趣旨も、つまり同じ様に戦っている人がいるのだと言うことも、そして自分の内的な環境が変わることも、つまり臭いにひどく敏感になったり味覚が変わったりというようなことも、単なる解説はこれまでもしてきたが、今まで以上にきちんと聞いてくれたことと思う。

 ただ効果の程はどれくらいあるかわからない。医者が食べろと言ったも聞かないで、看護婦の巡回には7から8割は食べましたとこたえて過ごす状態は、深刻だからだ。彼の方から、順さんに上記のように握手を求めてきたことに一縷の望みを託したい。ただこれは諸刃の剣で、妹に知れたら大変なことになる。おそらく彼女は今の状態以上にパニック状態になってしまうことだろう。そのことはわかっているので何度も妹に言ってくれるなとお願いしたが、これまた気の弱くなっている状態ではどれほどの効果があったものやら。

 帰路の電車を待つ間に順さんに効果のほどを聞いてみた。彼女の評価は、かなりあったと思うよと言う、ねぎらいの言葉を差し引かなければならない評価。彼女も私の話の途中で、とにかく体力を付けることが大事なことを、体験の中から語ってくれた。順さんにとっても辛いことだったと思う。そのことを含め理解してもらって、彼がこれまで以上に萎えている気力と戦って欲しいと思う。一見さばさばしているように見えるのはあきらめの境地の感じで、もうちょっと頑張って欲しいと祈らずに入られない。

 帰りに飲んだが、帰路深夜までやっているスーパーマーケットにも寄ったし、決して酩酊状態というわけではなかった。ただ、この記録は翌朝の5時頃書いているのだが、その時は気力が無く、ただただ寝たかったことは確かだ。それにしても「放射線最終週突入」と言う今日の題は、やはり病気は闘いなのだ、順さんは戦っているのだ、という状態を改めて表している様に感じる。