6月4日(木) アイソトープ撮影。義弟手術。 


 今日は梅雨の合間の晴天で29度くらいまで気温が上がるとのこと。なのに、義弟の手術の日とあって気分は重い。これまで遊ぶこともせず、ひたすらただただ真面目に生きてきた人なのに可哀想だ。則は最悪の場合も考えているようだが、そうあってはならない、と祈る気持ち。普段神も仏も大事にしたことはないのに、こんな事態になると神も仏もいないのか?と叫びたくなる。

 則は手術に立ち会うために朝からそちらの方へ行っている。私の病気のことは伏せているので、全て則一人でやっているので大変だ。私はせいぜいお金の心配をすることしかできない。

 その私、今日はアイソトープ検査があるので朝から病院に行き、1日がかりの検査となる。今回は骨シンチということで、骨に転移していないかどうかの検査になる。無事にくぐり抜けてくれると良いのだが。これ以上則に心配をかけては申し訳ない。というより、則がつぶれそうで可哀想だ。

病院では先ず腕に注射をした。検査は薬が全身に回ってからということで4時間後。それまで喫茶店に行って時間をつぶす。1時にリナック(放射線)をうけて、少し早かったがアイソトープの受付に行くとどうぞということで予定より30分早く検査になった。

 検査はただ寝ているだけ。先ずうつ伏せになって次に仰向けになって、その私の上を機械がなめるように頭から足先まで動く。20分くらいかな。検査自体はこういうことでたいしたこと無かったのに何か疲れた。無力感が全身を覆っている。

 本日の会計は、13,040円也。いつもは2,380円なのに約1万円高い。医者通いも結構大変だ。
 会計を待っている時、PHSを見たら則からの電話が入っていた。義弟の手術が遅れて12時半からになるとのことだ。約5時間かかるそうだから、今日の帰りは遅くなるな。夕食は外にしよう。 


則裕の記録
 今日は朝いつもより少し早めに起きて、先ず妹の家に行く。

 子ども(女子。短大の1年。)もいたので、最初に父親の手術(癌切除と人工肛門をつける)について、特別なことではないことを力説して説明した。妹は普通のレベルよりも感受性が豊かな人で、その反対に彼女の娘はちょっとデリカシーにかける子どもなので、両方に合わせるのは大変だ。その後子どもは学校へ、我々兄弟は病院へ。

 9時15分くらいに病院へ着くと、だんなさんは病院の玄関のベンチにいた。部屋が掃除中だということで。幸いにして、結構落ち着いている感じ。まぁ、早く来て欲しくて、玄関にいたのだろうけれども。部屋に戻ると、部屋の中でベットの移動があり、処置がしやすい廊下側のナースセンターに近い位置に動かされた。予定は11時という事だったが、12時30分に延びたとの連絡があったので、その間の時間を利用して、昼食をとりに行く。しかしながら、当然とはいえ、妹は殆ど食べなかった。彼女にしてみれば、私に付き合ったのだろうが、私にしてみれば少しでも良いから食べてもらおうと思ったのだが。12時過ぎるにオペ前の点滴が始まった。ナースセンターでは12時30分オペ出し・・・などという声が聞こえる。その後裸になり、丁字帯などをつける。しかし、それ以外は特別なことはしない・・・と思っていると、なんと手術室には歩いていけとのこと。まぁ実際に本人は歩ける状態なのだからそれで良いのだが、少し驚いた。予定時刻にオペ開始。

 その後が困った。妹は待っている間ポロポロ泣き通しだ。彼女の病気とも相まって、仕方のない部分もあるが、予想したこととはいえ、だいぶてこづった。いくつか話をした。一番心配なのは、転移の問題。これは将来の問題ではなく、現在の問題なのだから、くよくよしても始まらない。体液(リンパなど)を通じて既に体に回っていれば、転移の可能性はあるわけで、それをたたくために抗癌剤の投与があるのだということを説明した。

 その他、癌にまつわる話や、手術の話をした。その大部分が、順さんの父親とそして今回の順さんの手術の時の知識。今は気が動転しているから気がつかないだろうが、冷静になれば、なんでこの人はこんなに知識があるのだろうと不思議がられることだろう。それにしても、何度も、順さんの状態を話したい衝動に駆られた。耐えているのは君だけではないのだということを、ハッキリと理解してもらうために。

 それから、インフォームドコンセントのことやセカンドオピニオンなどのことも話をした。特に、妹はだんなさんのことを気遣って「放置すると癌になるから・・・」という説明を医者にしてもらったということだが、結局人工肛門まで説明しているのだから、たぶん本人は癌告知と同様の理解をしているはずで、それはそれで現在の考え方からすると、本人の知る権利を奪っていて、だんなさんに失礼なことをしてとも言えるのだよということを、延々と述べた。

 5時少し前に、子どもが大学から戻ってきた。手術が終わる時間が迫っていたので、医者から切除した肉片をもとに、説明があるので、貧血など起こさないようにとの説明を妹にした。子どもにも・・・というから、それは止めて、少しショックを与えた方がよいとの判断から、説明は省いた。

 手術は3時間以上という医者と、5時間くらいという人といたそうだが、結局5時間30分を要した。その前に、まだ手術室にだんなさんがいる間に、医者に呼ばれた。手術はうまくいったということ、直腸をS字結腸の部分を含めて切除したこと、それから実際の切除した部分を用いて説明があった。肛門部分にごく近いあたり(1pと離れていない)部分に先ず患部があった。赤子の拳大だった。それから、S字結腸に近い部分にももう一つ。順さんの話によれば、括約筋を残す手術が最近は行われているということだが、肛門部の切除は仕方ないというのを納得するに十分な近さに患部はあった。(もっともこうした納得の仕方は私だけだったろうが。)

 私は説明を受けている他の二人が貧血で倒れることを注意しながら聞いた。抗癌剤の投与はいつから始めるかと聞いたら、病理の結果待ちということだった。つまり患部が癌かどうかとその種別、そしてリンパ節への浸潤。抗癌剤は経口でも最近は成績の良いものがあるので、点滴でなくても良いのではないかという話だった。説明をうけた後、部屋の外で待った。待ちながら、医者の説明を少しかみ砕いて、説明した。説明は丁寧だが、動転している家族には余りよく分からない説明だったろう。まぁ、生半可な知識ではあることはその通りだが、補足をした。少しは役にたったかと思う。

 待っている間、子どもは我々兄弟から離れた位置にいた。ある程度のショックは受けたような気がした。彼女にとっては、これが成長への通過儀式となってくれれば、親は体を張ってそれを促したことになり、意義のあることになるのだが、実際のところは、単なるショック状態だけのような気もした。

 6時間弱で、だんなさんはもとの病室へ戻ってきた。だんなさんの痛々しい状態(勿論まだ覚醒していない)も、子どもには少なからずショックだったとは思う。これを機に少しは親の病気の状態への配慮を改めてくれればと思う。私の想像だが、妹もそう考えているように思う。

 面会時間は8時までであったが、後は親子3人の時間を作るべきとの判断から、7時少し前に病院を辞した。20日間で2回の近親者の手術はさすがにこたえた。