5月19日(火) 入院7日目。久しぶりの青空、気持ちのいい日。保護者会の日。


 今日が入院7日目。当初の予定では5から7日の入院予定だったし、藤原さんも1週間で退院したというので楽しみにしていたのだが、、昨日先生から、「もう少しだね。」と言われ、看護婦にも「次は22日です。」と言われてそれまではダメなのかとがっかりした。もっとも私の先輩たちも退院した様子がないから、まずあの人たちの退院を見送ってからということになるのだろう。待ち遠しい。[新聞を読む順さん=自分で撮影=]

 朝、則に電話。水の件。抗ガン剤を流す訳じゃないけれど、他の器官への影響を少なくするために沢山、それも抗ガン剤をする前後は特に多く飲んだ方がよいということ、食事は時間をかけてゆっくりと食べた方がよいことなどを教えてくれた。その後もインタ−ネットで新しい情報を仕入れてくれているらしい。

 朝の回診で、明日結果がでるので晩にはそれを話せるだろうと言われた。そうだ、まだ私の場合、結果が出ていないのだ。もしかしたら悪性でないのかもしれないのだ、と一瞬思ったが、確立は低いだろうな。この年で良性とは考えにくいと言われているし。果報は寝て待てというが、悪い知らせも寝て待てだな。その際、私の乳房を持ち上げて、「うん大丈夫、きれいに直ってる。これなら使用にも耐えられる。」だと。何だこれは?何れにしろ、元通りとは行かないまでもそれに近いように治っていることだけは確かなようだ。

 昼食は久しぶりに全部食べた。朝からの激しい雨が上がったので、昼食前に、駅まで則用の回数券を買いに行ってきたのだが、それが適当な刺激になってよかったのかもしれん。その昼食の盆に21日の食事希望調査票というのが乗っていた。つまり私は確実に21日の食事をとるということだ。昼も夜も肉を希望しておいた。[右の写真はその希望調査アンケート]

 夕方、則が来てすぐに散歩。今日は気分がいいことや駅まで一人で行ったことなどを話す。抗ガン剤は入れた日を含めて4日で抜けたようだ。髪の毛は今のところ正常。


則裕の記録

 今日は朝やら無ければならないことがあり、午前中の前半はそれにかかりっきり。公費会計ではないのだが、ある会計で矛盾が分かりその解決をしなければならなかったから。前年の担当者は異動していたので、早急に解決する必要があったから。それを片付けると、今度は区の主事さん(昔流に言えば用務さんや給食さん・・・今はこうは決して呼ばない)を中心とした管理職との会に参加。その後、校長と教頭と予算(これは公費のそれ)についての打ち合わせ。この業界人なら信じられない話だろうけれども、予算要望は殆ど出てこない。校長にその事情を説明し理解を得る。(まぁ学校事情があってこれ以上は書けない。)

 比較的早めに職場を飛び出す。昨日と同じか少し銀行に寄らなかった分早めに病院へ着く。今日は調子が良かったのか、片道10分少々かかる駅までの往復をしたという。 明日結果が出るという順さんの話は、前を見てもらえば分かるのだけれども、ガンの種類が分かると言うことなのだ。残念ながら、既に1クールの後半の抗ガン剤投与の日程も22日と決定しているようだ。彼女が書いているように、勿論彼女より後に入院した人達は退院していないし、彼女よりさきに入院しているか同じくらいに入院した人も2人を除き、まだ退院していない。

 それにしても驚いたの、今日19時の検温(実際に看護婦が来たのは20時)で、もうシャワーを浴びても大丈夫という話。医師からではない。前にも書いたように、既に2000件を経験しているこの病棟では、こうした判断もマニュアル化していて看護婦の段階で十分可能なのだろう。シャワーを浴びて、問題が有ればすぐに連絡をしてくれとのことであった。

 順さんに直ぐにシャワーを浴びるように言ったが、夜の回診がまだなので、その間にA先生が来ると困るとのことで、既に20時を回っていたので、私はその時点で帰宅した。9時40分頃帰宅。今日も数件ポストに赤十字の募金が投函されていた。そうそう、それと順さん宛のお見舞いのはがきも1通有った。